読書日記

いろいろな本のレビュー

中国社会の見えない掟  加藤隆則  講談社現代新書

2011-10-08 14:53:28 | Weblog
 副題は「潜規則とは何か」で、この言葉は2001年にジャーナリストの呉思が使ったもの。彼は「明文化されてはいないが、ある集団で広範に認知され、明文規定以上に実生活を支配するルール」と定義した。中国の社会には、長い年月を経て根付いた潜規則があらゆる領域に存在しているということでその具体例を述べる。その中で潜規則と並んで「面子」が大きな重要な意味を持っていることも述べられる。これがはびこると公徳は失われ、私欲のぶつかり合いとなり、利己主義・拝金主義が助長される。こうなるとお上が皇帝であろうが共産党の書記であろうが、関係ないということになる。先頃の温州での新幹線事故は鉄道局の論理がまかり通り、被害者の遺族が軽視されたことは記憶に新しい。共産党指導部の面子、鉄道局の面子、それを順に立てていくと人民にしわ寄せが行くのである。すべて当局の都合で物事が運ばれることを如実に物語っている。この件については『中国大暴走』(宮崎正弘 文芸社)が詳しくレポートしている。宮崎氏は中国新幹線を全線乗り継いだ経験をもとに、その危険性を予見していたようだ。
 暗黙のルールが支配する中国の裏側を司法・地方自治・言論界等についてレポートするが、中国の思想史の教養で分析しているのが類書にはないパターンで面白い。立ち遅れた民衆の意識を啓蒙するために医学の道を捨てて、文学者になった魯迅をはじめ、林語堂、明末から清初にかけて活躍した学者・黄宗羲、民国の陳独秀などの言葉、唐代の詩人杜甫の詩句を引いて人民の奴隷根性とそれを生みだす非情の抑圧権力の問題点を歴史的視野で分析している。さらに儒家と法家の思想がそれぞれ人治主義と厳罰主義の源流になっていることを指摘し、中国の現状が共産党の崩壊があったとしても容易に改善されないだろうという予測を強烈に印象づける。この点だけでも本書の存在価値は十分あると言える。この歴史的パースペクティブが今までの中国批判本にはなかったのだ。一読の価値がある本だ。
 それにしても、抵抗することも批判することもできず、服従するしかない愚民を描き個人の覚醒を求めた魯迅の『阿Q正伝』の世界が未だに現代中国にはびこっているのはどういうことなのか。