読書日記

いろいろな本のレビュー

中国化する日本  與那覇 潤  文藝春秋

2012-03-03 22:06:29 | Weblog
 著者によれば、「中国化」とは1千年まえの宋朝に始まった「中国独自の近代化」のことを指すらしい。宋朝で起きたのは、経済の自由化と政治の集権化の同時進行。科挙による官僚登用と貴族制の全廃と皇帝の権力一元化。その一方で農民にまで貨幣使用を行き渡らせ、市場で自由に競わせる体制にした。1980年の英米や日本の小泉改革のような新自由主義に似ており、トップダウンで競争原理を導入し、結果の平等を犠牲にしても成長を追求するというもの。現中国は共産党の独裁政権だが、書記長を皇帝に読み変えれば矛盾はないということらしい。これと対照されているのが江戸時代で、規制(身分)と共同体(ムラ)で生活を保障するという社会である。昭和初期に終身雇用企業という新しいムラが出来て、企業内組合とともに生活保障を担うというのも江戸時代の再来と見なされる。この江戸時代的流儀は今グローバリズムにさらされて風前のともしびになりつつある。現に大阪維新の会の橋下徹は組合を既得権益の「悪」と見なして、自身はこれと闘う「徳治者」に見せることで支持を得ていることは彼が中国の皇帝に自身を擬しているように見える。なるほど、なかなか面白い。
 この中国化と江戸化の議論をそれぞれハイエクとケインズの経済学の視点で説明しているのも面白い。ケインズの公共事業論は江戸時代の参勤交代のような「塀埋め・掘り出し」レベルの何の意味もない公共事業に税金を投入した御蔭で、御用商人や宿場町におカネが回り、景気回復したことが例に出されている。この参勤交代の実情については『大名行列の秘密』(安藤優一郎 NHK生活人新書)に詳しい。
 さて日本が「中国化」するとなれば、今の中国の体制が歴史の到着点になるわけだが、かつて1990年代にフランシス・フクヤマが『歴史の終わり』で、アメリカの自由主義政治体制に世界は収斂すると言ったようなことが、今度は中国の体制に収斂するという議論になるのだろうか。そう簡単には行かないような気がする。次作に期待したい。ところで、本書の巻末の参考文献は素人でも読めるものばかりで、私も読んだことがある本が相当数あった。ということは逆にこの本が「のりとハサミ」的な側面を持つということだ。是非一読されてそれを実感して欲しい。