副題は「生涯91年の真実」。サリンジャーと言えば、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が有名で、今でも版を重ねている。1951年の出版で、以来62年の歳月が流れている。私は1970年代の前半に学生生活を送ったったが、利沢行夫先生がアメリカ文学の講義でサリンジャーを取り上げていたと記憶する。、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の主人公はホールデン・コーフイールドという若者だが、1950年代の多くの若者が周囲の世界に対する幻滅や挫折感をホールデンに投影して、共感したことでベストセラーになった。作者のサリンジャーは私生活を隠して、謙虚さを追求していたことが、読者には魅力的で、近寄りがたい聖人の雰囲気が生まれていた。
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は当時買って読んだ記憶があるが、本自体はどこかへ行ってしまったが、角川文庫で四冊残っていた。それは、昭和44年(1969)刊の『フラニーとズーイ』『九つの物語』、昭和45年の『倒錯の森』、同47年の『大工らよ、屋根の梁を高く上げよ』だ。翻訳は故鈴木武樹氏。氏は当時気鋭の英文学者で明治大学助教授。テレビ番組でも活躍していた。(大橋巨泉のクイズダービーではなかったかな。)
この中の『九つの物語』の冒頭の「バナナ魚にはもってこいの日」についてレポートを書いたらしく、そのメモが本に挟んであった。それにはグラス家の長男のシーモアの自殺に関する考察が書かれていた。
シーモアは第二次世界大戦中、連合軍によるノルマンディー上陸作戦に参加したのを始めとして、その後、多くの激戦に従事し、その衝撃でノイローゼになり、未だに回復できない人物として描かれている。本書を読むとサリンジャーも同じ体験をしており、戦争のトラウマがあったようだ。特に「防諜部隊」で働いて、ダッハウはじめ強制収容所の惨状を目撃。ナチスのユダヤ人に対する蛮行を体験した。帰還後、人間の存在についての疑問から、宗教について深く考察するようになり、ヒンズー教にも関わった。シーモアはサリンジャーの分身と言える人物だが、1965年ニュヨーカー誌に発表された「ハプワース16、1924」にも登場し、こう宣言する、「ああ神よ、あなたに謎が多いということはありがたいことだ。よけいにあなたを好きになったよ。いささか頼りないけど、僕をいつまでもあなたの下僕だとお考えください」と。サリンジャーの作品の宗教性は軽んじるべきではない。よって、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』もありきたりの青春小説の文脈で読むべきではない。人間存在に苦闘するサリンジャーを意識して読むことが求められる。
本書は650ページに渡る大部の書物だが、翻訳は達意の文章で大変読みやすい。訳者の田中啓史に感謝。
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は当時買って読んだ記憶があるが、本自体はどこかへ行ってしまったが、角川文庫で四冊残っていた。それは、昭和44年(1969)刊の『フラニーとズーイ』『九つの物語』、昭和45年の『倒錯の森』、同47年の『大工らよ、屋根の梁を高く上げよ』だ。翻訳は故鈴木武樹氏。氏は当時気鋭の英文学者で明治大学助教授。テレビ番組でも活躍していた。(大橋巨泉のクイズダービーではなかったかな。)
この中の『九つの物語』の冒頭の「バナナ魚にはもってこいの日」についてレポートを書いたらしく、そのメモが本に挟んであった。それにはグラス家の長男のシーモアの自殺に関する考察が書かれていた。
シーモアは第二次世界大戦中、連合軍によるノルマンディー上陸作戦に参加したのを始めとして、その後、多くの激戦に従事し、その衝撃でノイローゼになり、未だに回復できない人物として描かれている。本書を読むとサリンジャーも同じ体験をしており、戦争のトラウマがあったようだ。特に「防諜部隊」で働いて、ダッハウはじめ強制収容所の惨状を目撃。ナチスのユダヤ人に対する蛮行を体験した。帰還後、人間の存在についての疑問から、宗教について深く考察するようになり、ヒンズー教にも関わった。シーモアはサリンジャーの分身と言える人物だが、1965年ニュヨーカー誌に発表された「ハプワース16、1924」にも登場し、こう宣言する、「ああ神よ、あなたに謎が多いということはありがたいことだ。よけいにあなたを好きになったよ。いささか頼りないけど、僕をいつまでもあなたの下僕だとお考えください」と。サリンジャーの作品の宗教性は軽んじるべきではない。よって、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』もありきたりの青春小説の文脈で読むべきではない。人間存在に苦闘するサリンジャーを意識して読むことが求められる。
本書は650ページに渡る大部の書物だが、翻訳は達意の文章で大変読みやすい。訳者の田中啓史に感謝。