読書日記

いろいろな本のレビュー

戦艦武蔵 一ノ瀬俊也 中公新書

2016-12-05 09:42:46 | Weblog
 2015年戦艦武蔵がフイリピン沖海底で発見され、世界の注目を集めた。武蔵は太平洋戦争中の1942年に完成し、1944年のレイテ沖海戦でアメリカの航空機によって撃沈された。武蔵は大和の姉妹艦で、大和が戦後一貫して脚光を浴び、戦記・映画・アニメ等で描かれたのとは対照的に半ば忘れられた存在だった。折しも2016年12月4日にNHKスペシャルで「戦艦武蔵の最期」が放映され、発見された武蔵の残骸を最新のコンピューターグラフイックで分析し「不沈戦艦武蔵」の弱点を指摘した。それは敵の戦艦の砲撃を受けても、浸水しないように、艦の内部をいくつもの部屋に区切り、外部を厚い装甲板で覆っていたが、その厚い鉄板をつなぐリベットが弱く敵の魚雷攻撃で鉄板が外れ、艦内が浸水して沈没してしまったというものだった。航空機からの魚雷攻撃を想定して設計されていなかったことも指摘された。日本海軍は真珠湾攻撃で敵の戦艦を飛行機で壊滅状態にさせたが、その戦法を自らが生かすことはなく、逆にやられてしまった。巨大戦艦の時代ではないのにそれに固執したところに失敗の原因があった。番組の中でアメリカ軍の元パイロットのインタビューで、アメリカ軍は1944年秋までに航空機による戦艦攻撃を検討していた事がわかった。前後左右から四方面に分かれて魚雷攻撃、そして真上から爆弾投下というものだ。アメリカ兵は最初武蔵を見た時その巨大さに驚いたという。しかし大きいので、標的にしやすかったとも述べている。この攻撃に晒された武蔵の甲板上は悲惨な状況だった。機銃で対抗しようとしたが敵の圧倒的な攻撃の前に銃に肉片がこびりつき、日本兵の死体が山積の状態だったという証言があった。いわばなぶり殺しの状態である。テレビでは特に二番目の主砲の下の火薬が爆発して沈没を早めたという指摘があった。最大の武器の46センチ砲が実戦で火を噴くことはなく、火薬が沢山残ったままだった。それに引火して轟沈したのである。この戦いで2400人の乗員の内、1000人以上が戦死、生き残った兵は、そのまま、今度は陸上戦に派遣され、最終的に生き残ったのは490人だった。不沈戦艦武蔵の沈没を目の当たりにした兵が各所で、武蔵の弱点を言い募り、軍批判を阻止するために帰国を許さなかったものと思われる。残酷な話である。 
 本書は上記の武蔵の問題点を含め、大和の蔭でひっそり生きた武蔵の姿を多方面に渡りで解説しており、大変面白く読めた。猪口敏平艦長が退艦することなく、武蔵と運命を共にしたエピソートや、元乗組員佐藤太郎の手記『戦艦武蔵』と吉田満の『戦艦大和の最期』の比較、佐藤の作品を批判して事実の掘り起こしに専念した作家吉村昭の『戦艦武蔵』の問題点などを通じて、戦争批判の小説の限界を指摘している。曰く、武蔵や戦争を自ら知った人々の話は、彼らが体験を語り終えるや、同じ戦争、同じ軍艦の話でありながら、その後の世代は再び「全然そういう考え方に頭脳を向けない」ものとなり、結果として武蔵も何ものでもなくなった。約70年間、口ではずっと「戦争体験の継承は大切だ」と言い続けてきたにも関わらずである。人が歴史に「なぜ」を問うのは、しょせん自らと同時代のそれに限ってのことであるに過ぎないと。誠に戦争体験の継承は難しいのである。