読書日記

いろいろな本のレビュー

本当の翻訳の話をしよう 村上春樹・柴田元幸 新潮文庫

2021-09-14 09:34:02 | Weblog
 本書は表記の二人がアメリカの小説についての対談したのを集めたもの。村上氏は小説家として夙に有名で、ノーベル賞の候補に挙げられているが、なかなか受賞しない。その理由については後で私見を述べたい。英文の小説の翻訳家としても活躍している。柴田氏は元東大英文科の教授で翻訳家としても有名で、朝日新聞の夕刊に「ガリバー旅行記」を毎週金曜日に連載している。この連載は、挿絵を平松麻氏が描いているのだが、それが素晴らしい。翻訳は勿論だが、、、、。柴田氏の翻訳で最近読んだのが、マラマッドの小説で懐かしい名前だ。「アシスタント」という作品が有名だ。私は1970年初頭に大学に入学したが、当時はサリンジヤーが人気で、大学の一般教養の「アメリカ文学」の授業もサリンジャーだった。私は漢文学科だったが、興味半分で受講した。講師は利沢行夫先生で、アメリカ文学科の助教授だった。先生はサリンジャー以外に、アップダイクの「走れウサギ」なども紹介されて、アメリカ文学への興味を掻き立ててくださった。残念ながら、二年前87歳で亡くなった。

 本書によると二人は翻訳作業において30年来の知己で、その親しい関係が対談のそこかしこに窺われる。阿吽の呼吸みたいなものが横溢している。馴れ合いではなく。個人的には冒頭の「帰れ、あの翻訳」が面白かった。読むべき作品で、絶版になったのを復刻すべしというのを章末に挙げていて参考になる。まあ一種のアメリカ文学史のようなもので、作家と作品の注が詳細に書かれている。村上氏は高校時代からアメリカの小説を熱心に読んでいたそうで、英語(米語)の教養が小説家、翻訳家としての村上春樹を形成したと言える。彼は早大文学部入学後、ジャズ喫茶でアルバイトをした後、学生時代に結婚して二人でジャズ喫茶を経営したという異色の経歴を持っている。1970年代の東京はジャズ喫茶全盛時代で、商売として十分成り立った。中央線の吉祥寺には多くのジャズ喫茶があってはやっていた。そういう時代だった。でも、大学生が自分で経営するとなるとなかなか難しいことが多かったのではないか。一日中レコードかけてコーヒー淹れてという日常は、私の個人的見解だが、「儲からないし暇だ」ということではないか。そこである日小説を書こうということになって、作家に転身したということである。

 村上氏は文章の手本として日本の小説家をまねたことはない、評価しない断言している。彼のバックボーンはアメリカの小説なのだ。1979年に発表した「風の歌を聴け」で第22回群像新人文学賞を受賞、同年の芥川賞の候補にもなったが、受賞は逃した。この時の選評で、瀧井幸作は「外国の翻訳小説の読み過ぎで書いたような、ハイカラなバタくさい作だが、、、、、(中略)しかし、異色のある作家のようで、私は長い目で見たいと思った」と評価している。一方、大江健三郎は「今日のアメリカ小説を巧みに模倣した作品もあったが、それが作者をかれ独自の創造に向けて訓練する、そのような方向付けにないのが、作者自身にも読み手にも無益な試みのように感じられた」と手厳しく批判している。このように、村上の作品は評価が分かれる。

 私は村上の作品は何かまとまりがなく、わざとらしい繰り返しが多く、中身も軽いので評価していない。大江氏の評価がすべてを言い尽くしていると思う。ノーベル賞作家に評価されないということは、今後、村上氏がそれを獲得するのは難しいということではないか。翻訳小説風の浮き草的内容は一面グローバルだということも言えるが、一面民族性が希薄ということも言えるのだ。2015年にノーベル文学賞を獲得したベラルーシのスヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチを見ればノーベル賞の獲得条件が見えてくるはずだ。彼女の『戦争は女の顔をしていない』『ボタン穴から見た戦争』『チェルノブイリの祈り』等の作品を読めばわかる。生きることの困難さ、それをどう克服するかというテーマが通奏低音として流れている必要があるのだ。民族性の表出という評価軸がある限り村上氏の受賞は苦しいかもしれない。それを弁証法的に解決した作品を発表すれば、また別の話になるが。