竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
自得の100句が生涯目標です

遠つ世へゆきたし睡し藤の昼 中村苑子

2019-04-14 | 今日の季語


遠つ世へゆきたし睡し藤の昼 中村苑子

藤棚の前に立つと、幻惑される。まして暖かい昼間だと、ぼおっとしてくる。おそらくは、煙るような薄紫の花色のせいもあるのだろう。桐の花にも、同じような眩暈を覚えたことがある。「遠つ世」とは、あの世のこと。よく冗談に「死にたくなるほど眠い」と言ったりするけれど、句の場合はそうではない。あえて言えば「眠りたくなるほど自然に死に近づいている」気分が述べられている。この句は、作者自身が1996年に編んだ『白鳥の歌』(ふらんす堂)に載っている。表題からして死を間近に意識した句集の趣きで、読んでいるとキリキリと胸が痛む。と同時に、だんだん死が親しく感じられてもくる。つづいて後書きを読んだら、さながら掲句の自註のような部分があった。「……最近見えるものが見えなくなったのに、いままで見たいと思っても見えなかったもの、聞きたいと思っても聞こえなかったもろもろのものが、はっきり見えたり聞こえたりするようになったので、少々、心に決することがあり、この集を、みずからへおくる挽歌として編むことにした」と。決して愉快な句ではないが、何度も読み返しているうちに、ひとりでに「これでよし」と思えてきて、おだやかな気分になる。(清水哲男)

【藤の花】 ふじのはな(フヂ・・)
◇「藤」 ◇「山藤」 ◇「野藤」 ◇「藤棚」 ◇「白藤」 ◇「藤波」 ◇「藤房」 ◇「藤見」
マメ科の蔓性落葉木。山野に自生し、また観賞用として藤棚を作って栽培される。幹の長さ10メートル以上、他物にからみ、右巻き。5~6月頃、薄紫色または白色の蝶形の四弁花を長い花穂で垂れる。

例句              作者

藤さびし渓に夕日のとどくころ 岡田日郎
藤の昼膝やはらかくひとに逢ふ 桂 信子
立ち去ればまだ日は高し藤の花 蓼太
くたびれて宿かるころや藤の花 芭蕉
藤垂れて病室まぎれなくにほふ 飯田龍太
藤揺らぐ酒蔵奥の車井戸 老川敏彦
藤房の中に門灯点りけり 深見けん二
白藤や揺りやみしかばうすみどり 芝 不器男
藤房のせつなき丈となりしかな 片山由美子
藤の花長うして雨ふらんとす 正岡子規

靴裏に都会は固し啄木忌   秋元不死男

2019-04-13 | 今日の季語


靴裏に都会は固し啄木忌   秋元不死男

四月十三日は石川啄木の忌日。したがって「啄木忌」は春の季語。1912(明治45)年、不遇と貧困のうちに二十七歳の若さで病没した。句は、都会での成功を夢見て破れた啄木の無念を想い、都会で生きる難しさを鋪道の固さで象徴している佳句だ。ところで、このように「忌日」を季語とすることについて、かつて金子兜太が次のように反対している。「人の死んだ忌日を、季語にしてしまうやり方は、不埒千万、季語そのものさえ冒涜するものと考えている。(中略)故人の業績や人がらをしのばせるのが目的ならかまわないが、季節までこれで連想させようとするのは行き過ぎである。俳人がぜんぶ戸籍係になっても、とても季節まで記憶できるものではない」(KAPPA BOOKS『今日の俳句』1965)。その通りだと、私も思う。句集を読んでいて、いちばん困るのが「……忌」である。季節もわからないし、第一「……」の部分がわからないので解読が不可能となる。たとえば太宰治の「桜桃忌」(6月19日)には季節感があるのでまだしも、芥川龍之介の「我鬼忌」(7月24日)になると、すぐに芥川の命日だと反応し、しかも夏の季語だとわかるのは、もはや特殊な教養人に限られてしまうのではあるまいか。(清水哲男)

【啄木忌】 たくぼくき


4月13日。石川啄木の忌日。歌人。岩手県生れ。社会思想にめざめ、和歌の革新を志し、口語をまじえた3行書きで生活感情をゆたかに盛る。歌集「一握の砂」「悲しき玩具」のほか詩・小説・評論など。(1886~1912)

例句   作者

枕木を柵の停車場啄木忌 成田千空
新品の下駄を履きたる啄木忌 國分水府郎
ある年の花遅かりき啄木忌 久保田万太郎
啄木忌さみしくなりて逆立す 吉田未灰
壁の服みな腕垂れて啄木忌 斎藤朗笛
啄木の日に量りゐる新聞紙 角 光雄
あ・あ・あ・とレコードとまる啄木忌 高柳重信
啄木忌いくたび職を替へてもや 安住 敦
曲り屋は花に余白の啄木忌 平野無石



さくら鯛死人は眼鏡ふいてゆく 飯島晴子

2019-04-12 | 今日の季語


さくら鯛死人は眼鏡ふいてゆく 飯島晴子

季語は「さくら鯛(桜鯛)」で春。当ページが分類上の定本にしている角川版『俳句歳時記』の解説に、こうある。「桜の咲くころ産卵のために内海や沿岸に来集する真鯛のこと。産卵期を迎えて桜色の婚姻色に染まることと、桜の咲く時期に集まることから桜鯛という」。何の変哲もない定義づけだが、私は恥ずかしながら「婚姻色(こんいんしょく)」という言葉を知らなかったので、辞書を引いてみた。「動物における認識色の一種で、繁殖期に出現する目立つ体色。魚類・両生類・爬虫類・鳥類などに見られる。ホルモンの作用で発現し、トゲウオの雄が腹面に赤みをおびるなど、性行動のリリーサーにもなる」[広辞苑第五版]。そしてまた恥ずかしながら、人間にもかすかに婚姻色というようなものがあるようだなとも思った。青春ただなかの色合いだ。それにしても、飯島晴子はなんという哀しい詩人だったのだろう。こういうことを、何故書かずにはいられなかったのか。満身に、春色をたたえた豪奢な桜鯛。もとより作者も眼を輝かせただろうに、その輝きは一瞬で、すぐに「死人(しびと)は眼鏡ふいてゆく」と暗いほうに向いてしまう。滅びる者のほうへと、気持ちが動く。しかも、死人は謙虚に実直に眼鏡を拭く人として位置づけられている。句の真骨頂は、この位置づけにありと認められるが、私は再び口ごもりつつ「それにしても……」と、ひどく哀しくなってくる。川端茅舎の「桜鯛かなしき目玉くはれけり」などを、はるかに凌駕する深い哀しみが、いきなりぐさりと身に突き刺さってきた。定本『蕨手』(1972)所収。(清水哲男)

【桜鯛】 さくらだい(・・ダヒ)
◇「花見鯛」 ◇「乗込鯛」(のっこみだい)
春、産卵のため内海の浅場へ群れてくる鯛。ちょうど花時に当たり、その色を賞味して、俗に桜鯛とか花見鯛とかいう。

例句         作者

砂の上曳ずり行くや桜鯛 高浜虚子
俎板に鱗ちりしく桜鯛 正岡子規
桜鯛汐騒が灯を明るうす 酒井鱒吉
桜鯛かなしき目玉くはれけり 川端茅舎
夕餉まだ日のあるうちや桜鯛 森 澄雄
桜鯛うかうか網の中泳ぐ 長生青影
よこたへて金ほのめくや桜鯛 阿波野青畝

凧三角、四角、六角、空、硝子   芥川龍之介

2019-04-11 | 今日の季語


凧三角、四角、六角、空、硝子   芥川龍之介


凧は正月に揚げられることが多いことから、古くから春の行事とされてきた。三角凧、四角凧、六角凧、奴凧、セミ凧、鳥凧……洋の東西を含めて種類も形も多種多様だが、この時代のこの句、晴れあがった春の空いっぱいにさまざまな凧があがっているのだろう。名詞を五つならべて「、」を付した珍しい句だが、「硝子」とはこの場合何だろうか? 空にあがったさまざまな形の凧が、陽をあびてキラキラして見えるさまを、あたかも空に硝子がはめこまれているように眺めている、というふうに私は解釈する。また凧合戦で相手の凧の糸を切るために、糸に硝子の粉を塗って競う地方があるというけれど、その硝子の粉を指しているとまでは考えられない。私が生まれ育った雪国では、雪のある正月の凧揚げは無理で4、5月頃の遊びだった。上杉謙信などの武者絵の六角凧がさかんに使われていた。私の部屋の壁には森蘭丸を手描きした六角凧が四十年近く前から飾ってあり、今も鋭い目をむいて私を見下ろしている。掲句は大正5年、龍之介25歳のときの句だが、同じころの句に「したたらす脂(やに)も松とぞ春の山」がある。『芥川龍之介俳句集』(2010)所収。(八木忠栄)

少年期に千葉県野田市の母の実家へ良く行った
近くの関宿というところで大凧を揚げるのを観た記憶が鮮明に残っている
畳10畳の大凧も珍しない
太いロープに何人もの若い衆が附いてあげる
時にはおりからの風に乗って
人が何人も大空へ宙刷りになったりしたものだ (小林たけし)



【凧】 たこ
◇「紙鳶」(いかのぼり) ◇「凧揚げ」 ◇「凧合戦」 ◇「絵凧」 ◇「奴凧」 ◇「字凧」
細い竹を骨として紙をはり、糸をつけて風力によって空高く揚げる玩具の遊技。陽春の行事とするところが多い。凧は、もともと子供の遊びではなく、村々の年中行事で間の競技として行われた。

例句             作者

泣き虫は泣かせておきぬ凧 足立律子
萱山に凧あげて友なかりけり 大須賀乙字
凧一つ揚げて山河を眩しくす 木村敏男
住吉に凧揚げゐたる処女はも 山口誓子
連凧を揚げゐて二十世紀末 庄中健吉
茫々と平城宮址やいかのぼり 鍵和田?子(ゆうこ)
凧揚げの日がな一日沼の荒れ 岩出千代子
几巾きのふの空のありどころ 蕪村
新月といふほどのもの凧のへん 阿波野青畝
連凧の太白山を目指しけり 佐々木潤子

枕頭に陽炎せまる黒田武士 高山れおな

2019-04-10 | 今日の季語


枕頭に陽炎せまる黒田武士 高山れおな

黒田武士は、言うまでもなく「酒は飲め飲め……」の「黒田節」に出てくる福岡は黒田藩の豪傑だ。歌われているのは、母里 (もり)太兵衛なる人物。大杯になみなみと注がれた酒を一気に飲み干したことから、小田原攻めの功績で福島正則が秀吉から拝領した名槍を褒美にもらったという、イッキ飲みの元祖である。若年のころの私は、「日の本一のこの槍を、飲み取るほどに」とは変な歌詞だなと思っていた。槍が飲めるのか、比喩にしても無理がある、と。でも、何のことはない。「飲んで、(その結果として)取る」という意味だったのだ。句は「飲み取った」あとの太兵衛の様子を詠んでいる。この着眼が面白い。さすがの酒豪もマイってしまって、明るくなっても起きられずにグーグー眠っている。既にして日は高く、何やらもやもやと怪しいゆらめき(陽炎)が、太兵衛の枕頭に迫っているではないか。素面(しらふ)であればすぐさま跳ね起きるところだが、ただならぬ気配を察知することもなく、いぎたなく眠りこけている黒田武士……。春ですなあ、という感興だ。ちなみに「黒田節」が全国的に有名になったのは、 1943 年に赤坂小梅がレコードに吹き込んでから。雅楽「越天楽(えてんらく)」の旋律が使われている。『ウルトラ』(1998)所収。(清水哲男)


【陽炎】 かげろう(・・ロフ)
◇「陽炎燃ゆる」 ◇「糸遊」(いとゆう) ◇「遊糸」(ゆうし) ◇「野馬」(やば) ◇「陽焔」(ようえん) ◇「かぎろい」 ◇「かげろい」
春のうららかな日に、日射のために熱くなった空気で光が不規則に屈折されて物の形がゆらいで見える現象。糸遊。

   例句          作者

万歩計つけて陽炎濃きところ 中村菊一郎
花街に黄檗の寺陽炎へり 福島壺春
斑鳩の陽炎よりの出土なる 酒本八重
犬放つうしろ姿や野かぎろひ 及川 貞
なりふりをかまわずにみなかげろえり 中里麦外
陽炎やふくらみもちて封書来る 村越化石
先頭は陽炎連れてゆくごとし 鈴木とめ子
陽炎によごれ気安し雀らは 西東三鬼
かげろふの我肩にたつ紙子かな 芭蕉
濃かげろふ駱駝に乗つて八束逝く 白井眞貫

陽炎に子等の声だけ忠魂碑  たけし





どしや降りに落花ただよふ仏生会 大野林火

2019-04-08 | 今日の季語
どしや降りに落花ただよふ仏生会 大野林火




花まつりは仏生会の俗称だが
一般にはこちらのほうがなじみ深い

掲句はお釈迦様の誕生を祝う日が
あいにくの土砂降りだという

人のにぎわいも今一つもりあがらない
おりからの雨風に桜が水たまりに漂っている
(小林たけし)


仏生会】 ぶっしょうえ(ブツシヤウヱ)
◇「灌仏会」(かんぶつえ) ◇「誕生会」(たんじょうえ) ◇「浴仏会」(よくぶつえ)
4月8日(地方によっては5月8日)に釈尊の降誕を祝福して行う法会。花御堂を作り、水盤に誕生仏の像を安置し、参詣者は小柄杓で甘茶を釈尊像の頭上にそそぐ。灌仏会・降誕会・浴仏会・竜華会などとも言い、花御堂は摩耶夫人が無憂樹の下で釈迦を生んだという伝説の藍毘尼林に型取ったもの。灌仏会。

例句              作者

大雨の降りかくす嵯峨や仏生会 渡辺水巴
白猫の松を降りくる灌仏会 星野恒彦
ぬかづけばわれも善女や仏生会 杉田久女
降り足りて夜空むらさき仏生会 鍵和田?子(ゆうこ)
仏生会くぬぎは花を懸けつらね 石田波郷
藪に日のしばらくかかり灌仏会 永方裕子
みづうみのこまかきひかり仏生会 鷲谷七菜子

鳥帰る無辺の光り追ひながら 鬼房

2019-04-07 | 今日の季語




鳥帰る無辺の光り追ひながら 鬼房


春になると北へ帰る渡り鳥
餌を求めて南下、
繁殖のために生地へ帰る

無辺のひかり 
これは脈絡とつづく
種の習い性のこと
かも知れぬ 
(小林たけし)


【鳥帰る】 とりかえる(・・カヘル)
◇「小鳥帰る」 ◇「帰る鳥」 ◇「鳥引く」 ◇「引鳥」
日本で越冬した渡り鳥が、春になって北へ帰ること。雁・鴨・白鳥などの大型のものから、鶫・鶸などのような小鳥まで、種類はきわめて多い。

例句              作者

鳥帰るところどころに寺の塔 森 澄雄
鳥帰る渡り大工のわが上を 北 光星
ふたたびは帰らぬ鳥もまじりゐむ 伊藤通明
島帰る渡り大工のわが上を 北 光星
小鳥引く木移りうつりとどまらず 皆吉爽雨
田の人に声投げをれば引く小鳥 太田 嗟
鳥帰るなべてかそけきものの列 小室善弘
大陸に三つの母校鳥帰る 河西みつる
鳥帰る雁木の上の石の数 文挟夫佐恵
筑波嶺は天の道標鳥帰る 小川斉東語

清明や街道の松高く立つ 桂信子

2019-04-05 | 今日の季語


清明や街道の松高く立つ 桂信子



清明は24節気のひとうでこの日から立夏までを晩春という
一年の四季、そしてその四季それぞれに
初、仲、晩の三通り
そして二十四n節気
日本人の感性の奥行きははかりしれない

掲句はそんな四季のうつろいのなかに
海道を見下ろす大きな松の古木を詠ったのであろう
みあげればどこまでも青く澄んだ空に
凛然とおもむきの松が天を突いている (小林たけし)



清明】 せいめい
◇「清明節」
二十四節気の一。陰暦3月の節、春分後15日め。陽暦で4月5日ごろ。清浄明潔の略ともいわれ、東南風の吹く春のよい季節という意味。

例句 作者

白無垢を着る清明の襟化粧 田所節子

清明や後生大事に肥後の守 田中まさじ

校門へ清明の日の坂長し 皆川白陀

清明やひねもす夜具を日にさらし 小澤登代

清明の雨に光れる瑠璃瓦 古賀まり子

清明の無傷の空を眩しめり 二村秀水

清明や仏をまつる山見ゆる 石原君代

清明や余生余命の計られず 早川翠楓

清明や内親王の夢弾み 髙山典子

清明や草に投げ出す旅鞄 三木基史

藁しべに吸はれ清明節の雨 恩田侑布子





牛蛙ぐわぐわ鳴くよぐわぐわ  金子兜太

2019-04-04 | 金子兜太鑑賞


牛蛙ぐわぐわ鳴くよぐわぐわ  金子兜太


武蔵の熊谷に住みついた頃は、横の小川で牛蛙が盛んに鳴いていた。高度経
済成長の半ばで、いまでは小川の左右すべてが住宅化し、いつのまにか牛蛙の
声がきけなくなってしまった。泥水を喉のあたりに溜めて、転がしたり、吐い
たりしているような鳴き声が懐しい。
「ぐわぐわ」と擬声語にちかいことを掴んで大喜び。私の俳句仲間に、この句
を囗遊びながら歩きまわる男がいる。
(金子兜太 自句自解)

小林たけし 牛蛙5句

牛蛙こんなに生きて不足さう

鍬の先四足まるめた泥蛙

葬列に従く殿に赤蛙

長命と云ふ不治を病み牛蛙

誰も知らない笑つてる蟇蛙

水の地球すこしはなれて春の月  正木ゆう子

2019-04-03 | 今日の季語


水の地球すこしはなれて春の月  正木ゆう子


本句を鑑賞している文章を読むと、宇宙空間の一点から地球と月とを眺めている、といった内容のものが多いのだが、個人的には違和感を覚える。
宇宙空間から眺めて「水の地球」はわかるが、「春の月」はおかしい。
地球から眺めてはじめて月は「春の月」なのだから。
少なくとも、「春の月」という措辞から月の岩石ばかりの冷たい地表を連想する人はいないはず。
上五では月から地球を眺め、下五では地球から月を眺めている、と解釈すると詩としての美感を損なうことなく違和感は解消される。
この視座の変換のダイナミズムこそ、本句の大きなスケール感の源なのではないか。
「すこしはなれて」は、物理的あるいは視覚的距離というより、視座の変換の素早さの表現と読みたい。
あるいはSF的に、月旅行から地球に帰ってきた人の感想と考えると一番しっくりくるようだ。

(参照   https://ameblo.jp/brmedit/entry-12000107614.html】


ドヤ街に孤老の放吟春の月 たけし

鉄筆のガリの音だけ春の月 たけし

赤煉瓦ガス燈馬車道春の月 たけし

春の月自明の嘘をはばからず たけし

スキップに弾む吾の影春の月 たけし

ぜんまいののの字ばかりの寂光土   川端茅舍

2019-04-02 | 茅舍鑑賞


ぜんまいののの字ばかりの寂光土   川端茅舍 「華厳」



【子季語】
狗背、紫蕨、いぬ蕨、おに蕨、ぜんまい蕨、干ぜんまい

【解説】
山野の湿気の多いところに生えるシダ類である。紫色の若芽は白い綿毛に 覆われた渦巻状で、それが開かぬうちに干薇として保存し食用とする。
【科学的見解】
薇(ゼンマイ)は、北海道から沖縄までの林内に生育する夏緑性のシダ植物である。葉は、栄養葉と胞子葉に別れ、栄養葉の若葉が食用にされる。また、木綿布があまり手に入らなかった時代には、その若葉にまとわりついた綿毛を活用し、木綿糸もしくは絹糸と合わせることで薇布(薇織)が作り出されていた。似た種としては、ヤシャゼンマイやヤマドリゼンマイ、オニゼンマイなどが存在する。(藤吉正明記)


鳥鳴いて狗背の綿ほぐれ行く   佐藤紅緑 「花紅柳緑」
頭陀袋よりぜんまゐののぞくなり 向久保貞文
待ちて今日ぜんまい土をやぶりけり 水原秋櫻子
ぜんまいののの字ばかりの寂光土 川端茅舎
ぜんまいのすでにほどけてゐし暮色 宇咲冬男

花こぶし汽笛はムンクの叫びかな 大木あまり

2019-04-01 | 今日の季語


花こぶし汽笛はムンクの叫びかな 大木あまり

辛夷の花は、どことなく人を寄せつけないようなところがある。辛夷命名の由来は、赤子の拳の形に似ているからだそうだが、赤ん坊の可愛い拳というよりも、不機嫌な赤子のそれを感じてしまう。大味で、ぶっきらぼうなのだ。そんな辛夷の盛りの道で、作者は汽笛を聞いた。まるでムンクの「叫び」のように切羽詰まった汽笛の音だった。おだやかな春の日の一齣。だが、辛夷と汽笛の取り合わせで、あたりの様相は一変してしまっている。大原富枝が作者について書いた一文に、こうある。「人の才能の質とその表現は、本人にもいかんともしがたいものだということを想わずにはいられない。……」。この句などはその典型で、大木あまりとしては「そう感じたから、こう書いた」というのが正直なところであろう。本人がどうにもならない感受性については、萩原朔太郎の「われも桜の木の下に立ちてみたれども/わがこころはつめたくして/花びらの散りておつるにも涙こぼるるのみ」(「桜」部分)にも見られるように、どうにもならないのである。春爛漫。誰もが自分の感じるように花を見ているわけではない。『火のいろに』(1985)所収。(清水哲男)

【辛夷】 こぶし
◇「木筆」(こぶし) ◇「花辛夷」 ◇「辛夷の花」 ◇「辛夷咲く」 ◇「やまあららぎ」 ◇「こぶしはじかみ」 ◇「幣辛夷」(しでこぶし) ◇「田打桜」(たうちざくら)
モクレン科の落葉高木。山野に自生する。また観賞用に庭園、公園に植えられる。高さは普通5~10メートル。日本の特産。早春、葉に先だって芳香ある白色六弁の大花を開く。地方によっては田打桜と呼んで、この頃から田打ちを始める。古名やまあららぎ。
例句 作者
辛夷咲き日暮のこころ永くせり 細見綾子
夜陰にも辛夷散華の温みあり 千代田葛彦
わが山河まだ見尽さず花辛夷 相馬遷子
雉子一羽起ちてこぶしの夜明かな 白雄
青空ゆ辛夷の傷みたる匂ひ 大野林火
花辛夷川が光つてきたりけり 成田智世子
辛夷咲く村に一人の万医者 水原春郎
風摶つや辛夷もろとも雑木山 石田波郷
花辛夷空青きまま冷えてきし 長谷川 櫂
降りしきる雪をとゞめず辛夷咲く 渡辺水巴


白辛夷来ぬ人待つや雨の闇 たけし

くらやみを余白に仕立つ花辛夷 たけし

凛とかたくな真夜の白辛夷 たけし

夕しぐれ人待ち灯る花辛夷 たけし


花辛夷闇を余白に使い切る たけし