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仕組みとアプローチ -  続編 不可解な合戦絵図しか残っていない「長篠の戦い」

2023-06-18 19:28:33 | 地震 津波
 前回記事の続きです。
 では竹束にはどんな軍事機密が有ったのでしょうか?
 竹束については次の通りです。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E6%9D%9F


竹束

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

竹束
竹束(たけたば)は、日本の盾の一種。竹把とも書く。竹を束ねて縄で縛ったもの。したがって、形状は円柱形になる。戦国時代から江戸時代にわたり使用された。

概要
戦国時代以降、合戦において火縄銃が大量に使用されるようになると、従来の木の板による盾では防ぎきれなくなってきたため考案された。当時の火縄銃は、弾丸が大きいため破壊力は大きかったが、一方で弾丸が丸い形をしており、施条も無かったため、貫通力は弱かった。このため、火縄銃の弾丸は竹束を貫通することができず、材料の調達が容易であったことから全国的に広まった。ただし比較的燃えやすいという欠点もある。

大きさは小型のもので長さ六尺(約180cm)・幅一尺(約30cm)、対大筒用の大型のもので長さ八尺(約240cm)・幅四尺(約120cm)程のものが使用された。またそれらは兵が持って使用する他に、木の盾の前面に並べて立てかけるものや、それに車輪をつけて移動できるようにしたものがあった[1]。この他にも、九鬼水軍が囲船(かこいぶね)に大量の竹束で船壁や屋根を覆って、軍船の防弾を高めるのに利用した[2][3]。

防具ではあるが、陣営の守備用というより、攻城用武具として多く使用された。『別所長治記』には、神吉城を織田信忠軍が攻めた際、攻城戦に竹束を用いる戦術を知らなかった中国側の武将である別所長治がまたたく間に攻め寄せられてしまったと記されており、従来の籠城戦しか知らなかった武将相手には効果があったという記述がなされている。

他の使用方法として、攻め入りやすいように、通路状に竹束を配置し、これを「竹束道( - みち)」といった[4]。この使用法の場合、車輪付き大盾と比べ、攻め入るのに大量の竹束が必要となる上に、移動範囲も限定されるため、火攻めに会う危険性がある。

引用終了

 と言う事で竹束は火に弱いとされているのです。
 しかし御存知の方も多いと思いますが竹って青竹の内はかなり燃えにくいのです。
 今ならバーナーや石油類などでかなり強引に燃やせるかも知れませんが、当時はせいぜい草木や自然由来の僅かな油程度であり、青竹を燃やせる程の火力があるものは戦場で構築できなかったはずなのです。
 なのに青竹を使った竹束が長篠の戦いの合戦絵図では描かれていません。
 と言う事は青竹を使うのも一つの軍事機密として江戸幕府から情報統制がしかれていた可能性は高いと思われます。
 その意図は国内の反乱分子に対策すると言うだけでなく、寧ろ諸外国がこの青竹を使った盾を軍事利用して日本に攻め入って来るリスクを想定したものだったのではないでしょうか。

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