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自然災害 仕組みとアプローチ -  桶狭間の戦い 今川軍の兵力についてどう見るか

2017-02-15 23:10:48 | 地震 津波
 信長公記に記されている今川軍の兵力45000と言う記述にに関しても、疑問を持つ人は多いようです。
 2月9日と2月10日の記事で書きました「今川軍を20000とした場合」と言うのは、一例としてなので、本当に20000だったのかはわかりません。
 織田方と今川方の石高の比率の問題なので、仮に今川方の兵力が25000であったならその分、織田方も約1.25倍前後となるわけです。
 それにしても信長公記に記されている今川軍の45000と言うのは多すぎないか、と言う話が多いのですが、実際の戦闘員はこれほどはいなかったのは確かだと思います。
 大体、実際の戦闘員は20000~30000位だったろうと筆者は考えています。
 今川方は遠征ですから野戦の陣営を設置する工務部隊、上層クラスが地域の寺や民家などに宿泊する手配をする者、衣服の洗濯などの班、食料調達、調理などをする班などがあったはずで、この分の間接部門である非戦闘要員がかなりいたのではないでしょうか。
 それと忘れていけないのは、上記の衣食住の調達班にもこれに属するのかも知れませんが、現地調達を強引にする「乱取り」部隊です。
 「乱取り」と言うと何か兵士が武器をちらつかせて農家や町民から奪うような印象かも知れませんが、実際は大軍である今川方であれば特に逆らわずに「乱取りされるまま」と言う民家、農家は多かったばかりか、後の今川氏の支配を予想して自ら物を差し出す民衆もあったのかも知れません。
 こう言う乱取りをするのには別に戦闘員でなくても良いわけで、それでも少し危険ならば乱取りする者数人か数十人あたりに一人とかの兵を置いてニラミを効かせた可能性も有り、状況ならば戦いなどまるで出来ない普通の男でも一応は「今川軍の兵力」とカウントされていたのではないでしょうか。
 だとすると「乱取り」目的で遠征に参加した悪い者も少なからずいて、今川軍の進軍の話しを聞いて雪だるま式に数が膨らんだと言う可能性にもなるわけで、そうなると45000と言う数字になった可能性もゼロではなく、そしてこうした「乱取り」や間接部門の事しか出来ない「戦闘の役になど立たない衆」などなら、精鋭部隊でしか構成されていない信長の織田軍にとって相手ではなかったのではないでしょうか。
 一方、以前の記事でも書きましたが、信長は戦闘が長引いた場合は美濃の斉藤義龍に今川軍と連携をされるとオシマイな事がわかっていたと思われるので、もともと野営のための衣食住の要因など殆ど連れて来ていなかったと考えています。


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