裏にタイトルと日付、使用した画材の明記があります。
「歩く女」
1988年6月
クレパスと。
とてもグラマラスなご婦人で、コルセットで縛ったようなウエストに目を見張る。
手足の感じから、可愛らしい女性らしさを感じます。
一番の驚きは、顔が黒いハート型なことだ。
紫に塗られた背景と、色気ムンムン的なボディから、
艶かしい感じもするのだが、顔が“ブラックハート“なので滑稽味があり、
なんともいえない感覚。
あの有名なムンク作の「叫び」という作品にも匹敵しそうなシュールさ。
いつの間にこんな絵を描いていたのか?
昨日、資料をパラパラとめくりながら、どの絵をブログに上げようかと思いながら見ていました。
そうすると見たことがない、この絵を見た。
見た瞬間、ゆるい衝撃が起こり、脳震盪を起こしているかのような・・・、脳が空白状態でした。
「いったい、どういう発想でこういう絵を描くのだろう・・。」と、正直思います。
この絵には、怖いという感覚はなく、
どことなくコケティッシュで、悪戯好きな感覚だ。
それとも、武内の好きなシュールレアリズム宣言をしたアンドレ・ブルトンの著書に出てくる
“ナジャ”なのか?
もしかしたら、武内にとっての“ナジャ”的な作品かもしれません。
この“ナジャ”というのは何か?
少し、分る範囲で説明します。
家には、アンドレ・ブルトンの著書はまとめて積み上げられ、
本の箱や、本自体に絵具やマジックで彩色されていて、自分の持ち物となっている。
そうされている本は、愛蔵している本である。
とても大事な本なわけです。
「ナジャって読んで見て、可愛い少女の話だよ。」と言われ、読んでみました。
ブルトンが出会った少女で、この少女とブルトンは街で会えば、
お茶を飲みながら、話をしたり、ナジャが描いた絵を見たり、もらったりの交友をしていたんです。
そのナジャの話が、とてもシュールで日常生活からかなり乖離した話をするので、
ブルトンは書きとめていました。
どこに住んでいるのか、何をしているのか、まるでつかめない少女で、
それを知りたいというような質問をすると、はぐらかされたり、約束をすっぽかされたり、
その子悪魔的少女にブルトンは魅了されていくのです。
しかし、ある時を境にして、少女は街で見かけることもなくなり、
消息を人に尋ねてみるのですが、分らずじまいで姿を消してしまう。
その後、それを文章にしたものを発表しました。
それが、この本なのです。
ナジャと話したことやナジャが描いた絵を修められていて、日常から隔離されたような世界。
感覚のエッセンスだけが詰められた文章です。
その本を武内から薦められました。
わたしは全集で読みましたが、単独でも本になっています。
↓それがこちら
↑この本の表紙は、ナジャが描いた絵を使っています。
小麦の妖精というタイトルだったと思うが・・・。
(うろ覚えなので、間違っていたらすいません。)
↑そして他にも、ナジャが描いた絵の図版もあって、不思議な絵だと思いながら
本を眺めていました。
この可愛いシュールさに、少女というものの特性を見出したのがブルトンだった。
武内は、私にこの密やかな秘密めいた少女の感覚を共感して欲しかったのだと思う。
わたしも文学少女、美術少女の時であれば、ときめいたかもしれないが、
少女じゃないせいもあって、
「究極、精神を煩った女の子だろうね。」というと、
ロマンや、神秘主義を踏みにじったのを感じた。
「そういうことはありえる。でも、この絵いいだろ。」と言われ、
「並の少女には描けないと思うわ。」と言うと、
「そこが素晴らしいし、こういう絵は誰にも描けない。」と言って締めくくっていました。
ヨーロッパには、独特な少女をめぐる感性の芸術作品があって、
美意識まで高められていて、面白いな、とよく思います。
ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」もそうですが、少女文化を高めるているのは、
男性というところも面白い事実です。
一応、武内にも「少女」というテーマがあるのです。
この度のこの絵は、「女」ということで、少女ではありません。
しかし、武内の持つ「少女趣味」の片鱗は表現されていると思います。
先日は、神戸の北野ガーデンにてめでたい集まりに出かけました。
久しぶりに会う、芸術関係の人の集まりです。
初めての場所に行った北野ガーデンは、清々しいお天気の中、庭の景色の緑が目に心地よく、
「なんて綺麗な庭でステキなこと!」と思いながら、主人の付き添いで同行しました。
心の中で、「でしゃばらずに、控えめにすること!」と、言い聞かせながら。
つい気を許せる人に会うと、つい意気込んで話してしまったりする。
また、主人に家で偉そうにする態度が、出るのを防ぐために懸命でした。
ヒロク二さんもわたしに偉そうにします。
要するに、お互い偉そうにする夫婦なのです。
ヒロク二さんの性格に対抗する習性と言ってもいい。
しかし、この度は、ヒロク二さんや他の方々の席なので、
謙虚な態度で臨むのが筋だと思ったのです。
わたしの謙虚さが生かされたのか、ヒロク二さんは、多くの人と話したようで、
「久しぶりに人と会って、ちょっと疲れたかな。」と、話を満喫していました。
ヒロク二さんには、ライバル?がいるらしく、絵の売れている作家の方に、
「彼と話すと、最近、あんまり絵が売れないらしいんだ。
彼も正直にになったものだね。」と言う。
聞きながら、彼は元々正直なんですけど・・・、
何か認識がおかしいぞ?と思いながら首をかしげました。
人の後ろからワッと肩を抱いて、話しかける武内の姿を見ながら、まあ楽しそうで何よりと思った。
この集まりは、年配の方が多かったのですが、どうもヒロク二さんは最年長だったようだ。
その中で、動きまわって話している姿を見せてくれているのは、
ヒロク二さんならではかもしれない。
意外と社交的なところもあって、ここがわたしと違う。
自分からどんどん話しかけます。
「兄貴!」とヒロク二さんを呼ぶ声があると思えば、杖をついておられたりするので、
「お前、もうついているのかよ。俺も時々考えるのだけどねぇ。」と、驚いたりしていました。
帰りながら、「歩けないと好きな街も散歩出来ない。もっと、歩けるように訓練しないとダメだ。」
と言い、毎日の歩きの量を多くすることを決めたみたい。
「街が好き」これが、原動力のようで、好きなものがあるっていいことだなと痛感しました。
家に帰ってからは、さっそく音楽。
↑この2枚のアルバムがよくかかっていました。
ホットツナは、落ち着いたアルバムで、くつろげるようなギターの音色。
情緒的だなアルバムだなと思いました。
マッカートニーのアルバム、これ聞いたことがなかったのですが、
とてもシンプルだけど、けっこう好きになりました。
音楽は、ヒロク二さんの啓蒙でいろいろな音楽に接するという恩恵を感じる次第。
最後はピーちゃん(猫)で締めくくります。
↑チュールを食べているところを写真に撮ろうとしたら、急に嫌がりだして。
ぎゅーと抱いて、写真を撮ったらこんな顔に。
ちょっと前まで、膝に座っていたのに。
暑かったり、急に寒くなったりと、落ち着かない秋ですが、
秋は、芸術の秋でもあります。
好きなことを深めたり、好きな芸術に触れたり、少しの努力で体力を温存したり、
好きに逍遥してみてはいかがでしょうか?
秋は、いい季節です。
急に冬がすぐ来たりしませんように!(勝手なお願い)
今日もお読み頂いた方、ありがとうございます。
10月10日0:09 文章を若干、手直ししました。
いつもおかしくてもまあいいや・・・となるのを反省して。