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家にお迎えにきた猫ちゃん。
ここ2カ月、この猫ちゃん達のペットシッターをしています。我が家の斜向かいの老婦人が買い物の途中で骨折されて、留守の間、この猫ちゃん達の水と餌やりを引き受けた。入院していても1番気がかりなのは、猫ちゃんのことで、見舞いにいくと必ず猫ちゃん達の話になる。最近、ご主人を亡くされたこの老婦人は、猫嫌いだったご主人が亡くなってからよく遊びにくるこの猫達を手なずけてしまっていたらしい。いつも、今まで飼っていた愛犬達の話をよく聞いた。本当に動物好きな心優しい方で、人間と犬の心温まる話は聞いていて楽しかった。それに、独りは寂しい。安心して入院して帰ってくるまで、この二匹の面倒をみています。
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雄猫のくっちゃん。
この猫ちゃんは、とても賢い。最初は餌を入れに行くわたしを遠巻きに見ていたが、「よし!この人は大丈夫」と判断したのか擦り寄ってくるようになり、餌をあげる時間の前になると我が家の門の外で待つようになった。そして、道案内するようになった。斜向かいのお宅へ行くとお皿の前にちょこんと座り待っている。又、ある時は杖を突いているご婦人が通っていくと、飼い主の方かもしれないと思うのかじっとその姿を眺めている姿は不憫であった。そして、今ではわたしが買い物へ行く自転車も覚え、「ニャン、ニャン」と鳴きながら自転車の横を走り、テリトリーの終わりの地点で怒号の如く「ニィーニャーン」と鳴くのです。何故かすまない気持ちになり、西部劇映画「シェーン」のラストを思い出す。
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こちらは、みっちゃん。
なかなか気を許さず、いつも一定の距離を保ち、だしじゃこが好き。
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この二匹は、いつでも一緒にいて、いつも一緒の行動をしてとても仲睦まじい。老婦人の話では、兄弟らしい。仲良く並んでご飯を食べている姿は、微笑ましい。安心して入院している老婦人に「くっちゃんの賢いことを話し、帰りを待っていますよ」と伝えておいた。今住んでいる所は、いい人が多くて、郵便を届けてあげている人や少しづつ世話を分けて、その老婦人の世話を近隣の人達でしている。わたしは、猫の係りに抜擢されたというわけです。骨折なので、89歳の老婦人もしゃっきとされています。
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