武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

梅干しの巻

2009-01-03 17:11:29 | Weblog
毎日新聞夕刊(東京都内版)2007年3月13日(火)掲載のえ

梅の花とともに、梅干しが描かれています。描かれた梅干しは何個ある?

哲学者の梅原猛さんは、奈良時代の文人に最も愛されたのは梅と語ります。また、梅干しが好きなのは弥生人やなかろうか。白いご飯は、梅干しによくあうとも。水稲耕作は弥生文化ですからと。梅原さんの子供の頃の遠足の握り飯の具は、梅干しがつきものだった。イワシ一つついていれば贅沢。それでも、うまかったなあと言います。梅干しは懐かしい味で、母の味とも。
手作りの梅干しに違いないとわたしは思いました。

ヒロク二センセイは、梅干しをどう絵にするかでとても悩んでいた。そして、梅干しを見続けていた。途中一緒に加わり見ていると、口の中に唾液が出てくる。あのすっぱさを思い出して。この原理はパブロフの犬ですね。見ているだけで記憶とともに脳が反応おこしているというやつ。おにぎりに入れるくらいで普段から食べつけないので「う~すっぱい!」という記憶が強いせいもある。梅干しとにらっめこするのは、飽きて席を立った。ヒロク二さんは白いお皿に梅干しを移して、箸で梅干しの位置を考えていた。引っ越してきた時、梅ノ木があり、梅が実を付けていたのを思い出し、庭の梅ノ木を見に行くと梅にほんの少し花が咲いていた。ヒロク二センセイを呼んで「引っ越して来たとき、実が付いてたのを覚えてる?」咲きかけた梅の花を見ながら言うと、ヒロク二センセイは、花の咲いている一枝をポキッと折りアトリエに行ってしまいました。クレヨンでいろいろ描いていたはずなのに、アクリル絵の具を忙しそうに混ぜ始め、一気に描いてしまいました。そうして出来上がったのが「梅干し」のえです。

「梅干し」は、平安時代には村上天皇が梅干しと昆布茶で病を治したという言い伝えが残っていて、戦国時代には、傷の消毒や戦場での食中毒、伝染病の予防になくてはならないもので、食用というより薬の役目を果たしていたそうです。また、兵士達は、梅干しを見ることで喉の渇きを促したそうです。やはり、パブロフの犬ですね。

ヒロク二さんは、毎日梅干しを一つ食べます。器に入っている梅干しが減ってきたら不安だそうです。ヒロク二さんの不安は他にもあり、食器洗剤、トイレットペーパー、石鹸、三角コーナーのネットといろいろあっていつも急に買い物に行かされる。水まわりのものが多くて?不思議だ。
梅干しのおかげなのか、ヒロク二さんはとても健康です。癌のときも「癌以外は、すごく健康でおもいっきり手術できます。」と先生にいわれた人です。いいことなのか、悪い事なのか、複雑な気持ちでした。とても健康体で癌・・・。ヒロク二さんといるとよく不思議なことが起こるのですよ。その後、奇跡的な回復を見せてまわりを驚かせてくれました。


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