武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

歩く女(作品紹介703)と アンドレ・ブルトンのナジャについて

2022-10-09 16:28:21 | Weblog

裏にタイトルと日付、使用した画材の明記があります。

「歩く女」

1988年6月

クレパスと。

とてもグラマラスなご婦人で、コルセットで縛ったようなウエストに目を見張る。

手足の感じから、可愛らしい女性らしさを感じます。

一番の驚きは、顔が黒いハート型なことだ。

紫に塗られた背景と、色気ムンムン的なボディから、

艶かしい感じもするのだが、顔が“ブラックハート“なので滑稽味があり、

なんともいえない感覚。

あの有名なムンク作の「叫び」という作品にも匹敵しそうなシュールさ。

いつの間にこんな絵を描いていたのか?

昨日、資料をパラパラとめくりながら、どの絵をブログに上げようかと思いながら見ていました。

そうすると見たことがない、この絵を見た。

見た瞬間、ゆるい衝撃が起こり、脳震盪を起こしているかのような・・・、脳が空白状態でした。

「いったい、どういう発想でこういう絵を描くのだろう・・。」と、正直思います。

この絵には、怖いという感覚はなく、

どことなくコケティッシュで、悪戯好きな感覚だ。

それとも、武内の好きなシュールレアリズム宣言をしたアンドレ・ブルトンの著書に出てくる

“ナジャ”なのか?

もしかしたら、武内にとっての“ナジャ”的な作品かもしれません。

 

この“ナジャ”というのは何か?

少し、分る範囲で説明します。

家には、アンドレ・ブルトンの著書はまとめて積み上げられ、

本の箱や、本自体に絵具やマジックで彩色されていて、自分の持ち物となっている。

そうされている本は、愛蔵している本である。

とても大事な本なわけです。

「ナジャって読んで見て、可愛い少女の話だよ。」と言われ、読んでみました。

ブルトンが出会った少女で、この少女とブルトンは街で会えば、

お茶を飲みながら、話をしたり、ナジャが描いた絵を見たり、もらったりの交友をしていたんです。

そのナジャの話が、とてもシュールで日常生活からかなり乖離した話をするので、

ブルトンは書きとめていました。

どこに住んでいるのか、何をしているのか、まるでつかめない少女で、

それを知りたいというような質問をすると、はぐらかされたり、約束をすっぽかされたり、

その子悪魔的少女にブルトンは魅了されていくのです。

しかし、ある時を境にして、少女は街で見かけることもなくなり、

消息を人に尋ねてみるのですが、分らずじまいで姿を消してしまう。

その後、それを文章にしたものを発表しました。

それが、この本なのです。

ナジャと話したことやナジャが描いた絵を修められていて、日常から隔離されたような世界。

感覚のエッセンスだけが詰められた文章です。

その本を武内から薦められました。

わたしは全集で読みましたが、単独でも本になっています。

↓それがこちら

↑この本の表紙は、ナジャが描いた絵を使っています。

小麦の妖精というタイトルだったと思うが・・・。

(うろ覚えなので、間違っていたらすいません。)

 

↑そして他にも、ナジャが描いた絵の図版もあって、不思議な絵だと思いながら

本を眺めていました。

この可愛いシュールさに、少女というものの特性を見出したのがブルトンだった。

武内は、私にこの密やかな秘密めいた少女の感覚を共感して欲しかったのだと思う。

わたしも文学少女、美術少女の時であれば、ときめいたかもしれないが、

少女じゃないせいもあって、

「究極、精神を煩った女の子だろうね。」というと、

ロマンや、神秘主義を踏みにじったのを感じた。

「そういうことはありえる。でも、この絵いいだろ。」と言われ、

「並の少女には描けないと思うわ。」と言うと、

「そこが素晴らしいし、こういう絵は誰にも描けない。」と言って締めくくっていました。

ヨーロッパには、独特な少女をめぐる感性の芸術作品があって、

美意識まで高められていて、面白いな、とよく思います。

ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」もそうですが、少女文化を高めるているのは、

男性というところも面白い事実です。

一応、武内にも「少女」というテーマがあるのです。

この度のこの絵は、「女」ということで、少女ではありません。

しかし、武内の持つ「少女趣味」の片鱗は表現されていると思います。

 

 

先日は、神戸の北野ガーデンにてめでたい集まりに出かけました。

久しぶりに会う、芸術関係の人の集まりです。

初めての場所に行った北野ガーデンは、清々しいお天気の中、庭の景色の緑が目に心地よく、

「なんて綺麗な庭でステキなこと!」と思いながら、主人の付き添いで同行しました。

心の中で、「でしゃばらずに、控えめにすること!」と、言い聞かせながら。

つい気を許せる人に会うと、つい意気込んで話してしまったりする。

また、主人に家で偉そうにする態度が、出るのを防ぐために懸命でした。

ヒロク二さんもわたしに偉そうにします。

要するに、お互い偉そうにする夫婦なのです。

ヒロク二さんの性格に対抗する習性と言ってもいい。

しかし、この度は、ヒロク二さんや他の方々の席なので、

謙虚な態度で臨むのが筋だと思ったのです。

 

わたしの謙虚さが生かされたのか、ヒロク二さんは、多くの人と話したようで、

「久しぶりに人と会って、ちょっと疲れたかな。」と、話を満喫していました。

ヒロク二さんには、ライバル?がいるらしく、絵の売れている作家の方に、

「彼と話すと、最近、あんまり絵が売れないらしいんだ。

 彼も正直にになったものだね。」と言う。

聞きながら、彼は元々正直なんですけど・・・、

何か認識がおかしいぞ?と思いながら首をかしげました。

人の後ろからワッと肩を抱いて、話しかける武内の姿を見ながら、まあ楽しそうで何よりと思った。

この集まりは、年配の方が多かったのですが、どうもヒロク二さんは最年長だったようだ。

その中で、動きまわって話している姿を見せてくれているのは、

ヒロク二さんならではかもしれない。

意外と社交的なところもあって、ここがわたしと違う。

自分からどんどん話しかけます。

「兄貴!」とヒロク二さんを呼ぶ声があると思えば、杖をついておられたりするので、

「お前、もうついているのかよ。俺も時々考えるのだけどねぇ。」と、驚いたりしていました。

帰りながら、「歩けないと好きな街も散歩出来ない。もっと、歩けるように訓練しないとダメだ。」

と言い、毎日の歩きの量を多くすることを決めたみたい。

「街が好き」これが、原動力のようで、好きなものがあるっていいことだなと痛感しました。

 

 

家に帰ってからは、さっそく音楽。

↑この2枚のアルバムがよくかかっていました。

ホットツナは、落ち着いたアルバムで、くつろげるようなギターの音色。

情緒的だなアルバムだなと思いました。

マッカートニーのアルバム、これ聞いたことがなかったのですが、

とてもシンプルだけど、けっこう好きになりました。

音楽は、ヒロク二さんの啓蒙でいろいろな音楽に接するという恩恵を感じる次第。

 

最後はピーちゃん(猫)で締めくくります。

↑チュールを食べているところを写真に撮ろうとしたら、急に嫌がりだして。

ぎゅーと抱いて、写真を撮ったらこんな顔に。

ちょっと前まで、膝に座っていたのに。

 

暑かったり、急に寒くなったりと、落ち着かない秋ですが、

秋は、芸術の秋でもあります。

好きなことを深めたり、好きな芸術に触れたり、少しの努力で体力を温存したり、

好きに逍遥してみてはいかがでしょうか?

秋は、いい季節です。

急に冬がすぐ来たりしませんように!(勝手なお願い)

今日もお読み頂いた方、ありがとうございます。

 

10月10日0:09 文章を若干、手直ししました。

        いつもおかしくてもまあいいや・・・となるのを反省して。

 

 


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2 コメント

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Unknown (ともりん)
2022-10-14 17:47:02
とてもグラマラスで艶っぽい女性です。使われている色も妖艶な感じ。好きだな、と感じる作品です。
色の感じが、ステンドグラスのようです。光を感じます。艶っぽい女性はの背景に、聖なる光がきらきら輝いているような感じがします。

アンドレ・ブルトン、さほりんのブログで読んで興味は持ちつつなかなか読めていない状況です。
ヨーロッパの独特な少女文化、なるほど、同意です。『ナジャ』、読んだことはないのですが、不思議な感じがするのかな?と想像しました。
成人男性と少女のお話は、あちらがわとこちらがわの境目にいるような際どい感じがします。言葉がひとつ違っていたり解釈を間違えてしまうとあちらがわに行ってしまうような……。美意識を感じられると、こちらがわなのかな?と考えました。
『不思議の国のアリス』は、作者のルイス・キャロルが本文には出てこないのに、なぜか全編とおしてアリスの陰にルイス・キャロルを感じます。挿絵がすばらしいので児童小説として成り立っていると思っています。

神戸の北野ガーデン、知らなかったので検索してみました。とてもすてきな場所ですね。おしゃれをして行ったら、気分があがりそうです。
こういうすてきなところは、自発的に行くと気負ってしまって緊張しそうです。たまにはこういう場所にも行きたいとは思いますが、今はインターネットの画像を見て行った気持ちになって楽しみます。

暴れるピーちゃんも、またかわいらしい(笑) 「ちゅーるを食べるのに集中させて!」と言っているようです。

きゅうりは美味しいです。小腹が空いたとき、間食にきゅうりに味噌やマヨネーズをつけて、ぽりぽりかじっています。夏が終わるときゅうりが食べられなくなるので、悲しいです。
さほりんのケーキは、おっしゃるとおり手作りだからその味を想像して「美味しそう」と感じるのかもしれません。手作りケーキは、卵や小麦粉などの素材の味が感じられてばくばく食べられる、あの味わいは「食べたい」と思わせます。

いきなり寒くなりましたが、少し寒い方が歩くのにはちょうど良いかもしれませんね。
来月から少し時間ができるので、好きな読書や裁縫を積極的にやりたいなと思っています。
秋の夜長、さほりんとヒロクニ先生も心地よくお過ごしされますように。
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アンドレ・ブルトンは読まなくていいと思う。 (さほりん)
2022-10-16 10:44:02
コメントありがとうございます。
この絵に妖艶さを感じるとあり、やっぱりそうか・・と思いました。

アンドレ・ブルトンは、ヒロク二さんが愛読していますが、私達は読まなくてもいいのじゃないかな。読むとしたら、ナジャぐらいで。これは、読みやすく短かったと記憶しています。他の文章は、「これって何?この単語は・・・知らない、文脈もどうなってるの。抽象表現だけが頭に渦巻く。」と、拾い読みの段階でこんなでしたので、私は読みません。

少女文化と書きましたが、少女を神聖視して、美意識を高めることが出来るのは、異性である男性なのでしょう。少女は、ガラスのケースに入っているという感じかな。だから、触れてはいけない。(笑)ルイス・キャロルは、少女の写真をたくさん撮影していて、アリスのモデルがいます。写真を見ると、この頃の子供服がとても可愛くステキです。「ルイスキャロル 写真」で検索すると出てきます。

北野ガーデンは、ほんとうに綺麗な所でした。自発的には、いけないな。この日は、子供の入学式に行ったような気持ちになりました。保護者って感じ。

「ケーキときゅうり」と並ぶとシュールな感じがします。(笑)きゅうりが好きだということを知って、なんだか面白いわ。私も夏は、小皿にきゅうりを棒状に切って、味噌か塩とマヨネーズ、酢味噌をつけて自分用に添えています。(ヒロク二さんは、歯が悪くてこれは無理なのです。だから、自分用。)だから、きゅうりが好きな気持ちわかるわ。おやつにもとあるので、ともりんは、かなりのきゅうりフリークと見た。歯ざわりもいいよね。

寒い日がありました。もう、ストーブを点けられてしまいました。秋の日に、裁縫もするのですね。何を作るのかな・・と思いました。秋の夜長、喧嘩をせずいい時間を過ごしてみます。人から言われて、ハッとすることってありますね。
ともりんも充実したよい日を過ごされますように。
心温かい、コメントありがとう。
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