洋画修行時代の若き日のヒロク二さん。左が山本六三さん。23か24歳位の写真らしい。
山本六三さんやアルフォンス・井上さんと若き日を過ごした話を伺いました。山本六三さんを始め、絵描仲間達は賞金稼ぎで必死だった話や、「描くということはどういうことなんだ?」とアルフォンス・井上さんに問うた話を聞いた。必死でマチエールとは?と皆、画面と格闘していた話も面白く、特にヒロク二さんは井上氏に絵具のことから、溶き油、筆のことも教えてもらったらしく、「井上は懐が大きい」「井上には非常に感謝している」と何度も呟くのでした。山本六三さんの若いころの写真を見ると、とても華奢なで、指が細くすんなりした手が印象的で、文学少年風で澁澤龍彦の若いころのような感じがします。アルフォンス・井上さんは、ヒロク二さん曰く「椎名誠に似ている、いや椎名誠が井上に似ているのか。」と何度も言った。それがなんかヒロク二さんには面白いようでクックックと笑うのです。この頃のことを、ヒロク二さんはルンペンの時代ともいいます。
時間が流れて、山本六三さんはエロス・タナトス(愛と死)のテーマで幻想的作品を残して亡くなった。現在、アルフォンス・井上さんは、エロスと少女のテーマで素敵なエッチングの作品を描かれています。ヒロク二さんにも、テーマにエロスがあり風変わりな作品を描いています。ヒロク二さんにしては珍しく仏教的な作品。「色即是空 即是色」という色鉛筆の作品です。左の枯れ木にパンツ。パンツに「ゆみ」と描かれているからゆみさんという人とよく合っていたということだ。
ヒロク二さんには、時間の流れで色々な時代があり、まず洋画家時代、現代美術の頃(グループ位・ワッポオペレーション)、VOXヒコーキ堂時代(ロック喫茶の経営と8ミリフィルムの制作)、ゾンネンシュターンに影響を受けての色鉛筆画制作、仏教的生活の頃(神戸の禅寺・明泉寺 壁画制作)、海文堂ギャラリーでの街の色鉛筆作品と作風が変化をしていっている。その時代、時代を支える妻達も変化していっている。
最近久しぶりに聞いた「サホリがいなかったら僕はなにも出来ない」というセリフ。これって結構殺し文句で「わたしはあなたの為にいるヮ」という気分にさせられるが、この言葉でどんなけ苦労を背負ったかと思うと苦々しい。しかし、がんばる姿には、応援したくなるのが人情というもの。夫に人情を持ち出すようになったら終わりか・・・。一度、夫に向かって「わたしを愛してるのか?」と聞きたいヮ。便利とか言われたらどうしよう!
それにしてもこの絵のインパクト。流石です。