薄いピンクと霞がかかったような雰囲気が、いいと思って選びました。
桜が咲いているような雰囲気で。
仮面を持った少女が飛び跳ねています。
その他に3人の人物らしき形があります。
上の方にある形は、走る勢いのせいで、建物の柱に頭をぶつけている人物がいる。
下の左には、星のアンテナを立てている人物が佇み、
右には、バンザイをして走っているような人物、
その周りを囲む水色の形は、肩をいからせたロボットみたいだ。
そして、風が吹く。
今、桜がやっと咲き始めました。
入学式にも桜が咲いているでしょう。
わたしの記憶の中では、小学校1年の入学式の帰り、
桜の木の下で写真を撮ったことが思い出されます。
一張羅のワンピースを着ていました。
臙脂色のビロードの生地に、胸元にビーズとレースが付いているワンピース。
緊張しつつも嬉しいような、恥ずかしいような気持ちで子供心に複雑な思い。
そんな時に風が吹いて、頭上に桜の花びらが舞う。
思い出しながら、「桜の咲く入学式」というのは、
なかなかいいと思いました。
今年は、そんな入学式になる子で一杯でしょう。
桜の頃の入学式、これはとても風情があるよね、とそんなことを考えました。
さて、わたしの思いはこうなんですが、
描いた当人は、こんなことを思っていないと思う。
この絵はボールペンで描かれているので、消すという行為は出来ません。
最初は、大きい画面で、街の絵を描こうとしていたと思います。
それが途中からうまくいかなくなった。
どこか失敗した部分が出来てしまったのだと思うのです。
そして、その絵を分割した。
そして、自分がいいと思う部分を残す。
その断片に色鉛筆とアクリル絵具で彩色する。
さらに、気に入らないところを削ぎ落とす。
こういう過程で、作られた作品だと思います。
長年、武内の絵を見てきているので、
ボールペンで描かれたモチーフの大きさで、なんとなく分かるのです。
もともと大きい紙に描いたものだろうと。
最初から、この大きさの小さな画面に描く場合だと、絵が細かくなるはず。
その上、画面の端の残し方がいつもと違う。
そういうことから、読み取れるのです。
どうしても気になる部分は、破り捨てたくなかったのでしょう。
その気になる部分は、少女と仮面の部分と推察する。
少女と仮面のフォルム(形)が一体になっていて、
カーブが流れるようになりながら、足のように思える形は意表をついていて、
残しておきたかったんだと思います。
だから、この絵を描きながら、桜のことを思ったりは全くしていないという訳です。
食下がるように試行錯誤を繰り返して、頭は画面上のことで一杯だったと。
そう考えると、上記の絵に寄せた桜の文章は、わたしの妄想ということだ。
わたしは、最近立派な「妄想家」になっていっているのかもしれない。
時々、自分でも「よーやるな」と思うことが、増えていっているのです。
じかし、イメージを膨らませていく過程は、面白く、
絵を見ていろいろ想像するのは、自由でいいと思うのです。
それぞれの人が、それぞれの思いがあって、
絵を見る自分と対話するのがいいと思うのです。
絵を見ながら、季節と相まって、わたしの中で桜が浮上したという事。
そこから湧き起こった「桜の花と入学式」の思いが、
わたしの中では大切なのよね。
それと、この絵にある風。
ふんわりしていて、どうしても春を感じてしまいます。
そんな春の日常は?と言うと、
未だ、頭が働かなくて、いつまでも調子がでない。
さあ、「これを片付けてしまおう!」と本の整理をし始めると、
急に眠気が襲ってきて、
「ここまで眠いのだったら、ちょっと寝た方がいいかも。」と思って、
横になると意外なほど寝てしまっている。
すると、夕食の準備の時間だ。
また、別の日は、ヒロク二さんが朝から、「今日は、歩くんでしょう。」と、
着替えて玄関に立っていた。
その顔を見たら、すごく変なのです。
怒っているようにも見えるし、何か不都合に耐えているような表情。
わたしは昼からと思っていたので、
「ちょっと待って。化粧してくる。日焼け止めを塗っておかないといけないから。」と言って、
準備をして1階に下りると、
今度は、ヒロク二さんが寝てしまっている。
昼過ぎになると、制作をはじめていて、服装も股引姿になっていました。
昨年の今頃は、引っ越し先を考えていて、
家探しにあっちこっちの不動産屋に駆け込んでいました。
それを思い出し、今年はちょっとホッとしているのかもしれないと思ったり。
しかし、常に眠気があり、やろうと思うことがはかどらない。
もう、年々1年があっという間で時間が過ぎるのが早い。
この前、引っ越したばかりのような気分だ。
6月が来ると、引っ越して1年が経つことになる。
この時間の感覚が怖い。
子供の頃と違い年を取ってくると、時間が経つのが早く感じられる。
この時間が早く過ぎる感覚のことを「ジャネーの法則」と呼んでいるのを知った。
19世紀の心理学者が発案したそうです。
こういう事らしい。
■1歳の時に感じた1年を1/1とすると、2歳の時の1年は1/2となり1歳の時の2倍速く感じるようになるということ。
時間の早さは、年齢に比例すると。
また、これに抗うには、子供のように新しいことを始めるのがいいと、書いてあった。
その他には、年を取ってくると、身体の代謝低下に加えて、新しい体験の不足や、
さらに、未来への期待感が低下していることが、時間が早く感じる要因なんだとも。
同じことの繰り返しも、時間を短く感じさせているということらしい。
また、新鮮な体験や感情の高まりが少ないと、時間は早く過ぎるように感じると。
そう思うと、決まった時間に決めたことをするように、心がけているのはいけない?
わたしは、基本、規則正しい生活を心がけているつもり。
そうしないと、シャキッとしないと思って。
以前、ヒロク二さんから、
「規則正しい生活は嫌だ。」と言われたことがあります。
この発言、驚きでした。
「自由でいたい。」とのたまった。
また、「子供みたいだ。」と、ヒロク二さんのことを言う人がいます。
ということは、わたしと違ってヒロク二さんは時間の流れが遅いのかもしれないと思ったのです。
歳の差婚なので、25年という歳の差があります。
一緒にいて、30年以上経ちますが、精神的にはわたしの方がどんどん歳をとり、
ヒロク二さんはあまり変わらないとしたら、
うまくつりあっているのかもしれない。
そう考えると、ヒロク二さんを見習ったら、時間の経過が遅くなるのかもしれないと思うのでした。
しかし、そういう生活は疲れそうだ。
また、ヒロク二さんのような女にはなりたくないという事もある。
ヒロク二さんは、絵も新しいスタイルをいつも模索しているらしく、
同じような絵は描かない。
ある程度したら、次のスタイルが出てくる。
自分で、新しい刺激を見つけているということか?
夫は、86歳のわりには時間が遅く過ぎていっているのだと思いました。
そう思うと、恐るべし夫だ。
変人だし・・・・。
自分のことを考えている内に、
わたしの場合は、やろうと思っていることがはかどっていないという、
心理的背景があって、時間が特に早く感じるのだと思い当たりました。
なんとか、これを越えなくっちゃと思いますが、なかなか。
もう、壁になってるのかも。
春の空気に揺られるように、ゆらゆらしていると気持ちが安らぎますが、
ものごとが進まないのが難点。
ヒロク二さんから、用事をいいつけられると、「えっ!なんていった?」と答え、
うやむやにします。
今日は、ピンク尽くしということで、
あじさいのような色のビオラで終わりたいと思います。
↑ビオラなのですが、あじさいのような花色。
時間が経つと、ピンクの色が薄くなっていって、
花びらが、白に近い薄い水色に変化していきます。
不安定なビオラなんでしょうが、「あじさい」の風情。
種を継いで植えるビオラは、驚きがあって育てていて面白い。
ヒロク二さんに「あじさいみたいでしょ。」と言って、
2人で笑っていました。
今日は、薄いピンクのイメージが文章を書きながらしていました。
ほんわりと、春の思いにひたっていただけたら、嬉しく思います。
書いている内容が変だから、思えない?
そういうことは、ありえると思っています。
このようなブログを最後までお読み頂いた方、ありがとうございます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます