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ニラ花のが咲き乱れる我が家の庭
新・平家物語の五巻(吉川英治著)の本の文中に、
菖蒲葺きという章がある。
その中の一部分を引用。
桧皮葺の院の大屋根へ、梯子をかけ、舎人たちが、菖蒲を葺いているのである。
「五月よ、今年も」
と季節を、思う。
という一節があった。
頭の中では、屋根にたくさんの菖蒲の花が立ち並んで、紫の花が咲いている情景を浮かべて、そんな風習があったなんて、知らなかった。と思っていた。西洋風に「屋根が菖蒲花のお花畑」になるとイメージしていた。なんと珍しい風習が平安時代にあったことよ(ほぉ~)と思っていたのです。屋根はお花畑と想像していました。
ところが・・・・どうも違うことに気がついてしまったのです。「菖蒲を葺く」という日本語が分かってなかった。お花畑ではなく、茅葺のように、屋根に菖蒲をのせていく作業のことだったのです。次のような写真を見つけました。
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端午の節句の菖蒲葺きの写真
これが「菖蒲葺き」の正しい姿だと思いました。
小説では、院内のその光景を描写していたのだと分かりました。
ちょっと調べて見ると、平安時代には、端午の節句の年中行事として、「菖蒲葺き」「菖蒲の輿」「菖蒲枕」「菖蒲刀」「菖蒲の宴」「菖蒲兜」「菖蒲根合」などが行われていたそうです。菖蒲の葉は、剣のように勢いよく伸びる葉と独特の香りから、端午の邪気を払う魔よけの植物として、用いられてきたということを、知ったのです。邪気払いのために「菖蒲葺き」をしていたのです。
そういえば、学生の頃、京都に住んでいた頃、銭湯で菖蒲湯に入ったことを思い出しました。
風呂なし下宿に住んでいたので、銭湯に行く回数は多い。菖蒲の葉が束ねられていて、風呂の湯の中で、葉がゆらゆら揺れていた。今、初めて京都を意識したのです。その当時は、銭湯のおばさんが「菖蒲湯だから、おいでね」と嬉しそうに勧めた訳が今になって分かった。「厄除け」していきなさいというニュアンスが含まれていたことに・・・。
京都の銭湯には、いろいろ思い出がある。200円の銭湯代の元を取らねばと、茹蛸になるまで入ったあげく、気分が悪くなって、隅のソファでうずくまっていたことや、瓶のりんごジュースを一週間の楽しみにしていたりと、水風呂に平気で入れる人に感心したり、思い出はつきない。
五月は、現代では、ゴールデンウイークだけど、平安時代は、端午の邪気を払う季節の行事だったのです。
はて、端午の邪気とは何?
それは、中国の「史記」の中に記されています。
たしか、中国のある心ある政治家が入水自殺した川に、民衆がその死体が魚に食べられないように餅のようなものを川にまいたのが、ことの始まりで、入水自殺したのが5月5日でということだと記憶しています。間違っていたらすいません。
■余談■
ヒロクニさんは、どうしてるかって?ほったらかしにしているので、萎びています。
今だ、「魔物ヒロクニ除け」デス。芸術家で、妖怪ですからね。
菖蒲の葉を身体に巻いておこうかしらん?
実は、菖蒲の葉だけなら、庭に生えているのですよ。
今年は、こいのぼりを見かけてないのだけれど・・・。
五月の節句は、時代によって移り変わる風習なのでしょうか?
時代の移りかわりを感じる今日この頃です。
プロで粘土でいつも素敵な花を作っているたえこさんならではの観察をご拝受できて、楽しかったです。また、お花のこと教えて下さいね。