この絵が貼られていました。
この絵は、マジックで描かれたもので、これには元の写真があります。
ノートの切れ端にその写真は貼られていて、紙切れの入っている箱で、何度も目にしている。
大切な写真なようで、随分古くなっていて、白黒の写真。
印刷のドットが目に付く写真なのです。
それを見て、描いたようです。
色合いがいいなぁ~と見ています。
他にもマジックインキで描かれたものがたくさんあり、一時ですがこの表現が気に入って、
マジックで遊んでいたと言っていいかもしれない。
この絵では、自分のスタイルにもって行っていて、ヒロクニスタイルの絵が出来ています。
このマジックで描いた絵は、個展で発表したことがなく、作品という意識がなかったようです。
絵も折り畳んだりしていて、扱いが少し雑になっています。
使っているマジックは、ごく普通のよく見るマジック。
↑このマジック。
このマジックは、インクが補充できて、ペンの先も交換出来るので、
足繁く近所の文房具屋を行き来していた。
ペン先まで交換して使う人を初めて知ったというところが新鮮でした。
マジックの重ね合わせの追求が見ていて、感心することしきり。
足し算思考の人の究極の絵なんです。
こうやってマジックと戯れていたヒロクニさんなのですが、
ある日家に帰ると、当時飼っていたキタハマ(猫)の顔が、マジックで色とりどりになっていた。
キタハマのその姿にビックリ。
あの可愛いキタハマが、とてつもなく変な猫に変身している。
スラムの猫みたい・・・・。
心が和まない・・・・。ギャーって感じ。
本当に子供みたいなことをするヒロクニさんを、口をあんぐり開けて横目で見た。
↑制作中、こうやって、いつも仲良くいるキタハマ。
こんな風に横で寝ているから、されたのでしょうね。
ヒロクニさんにあきれる私ですが、私も似たようなことをしたことがあります。
子供の絵画造形教室をしていた頃の話なのですが、
油絵を教えている時に、ちょっといたずらが好きな子がいて、
私に、筆で顔に絵具を塗った。
よくも顔に絵具をつけてくれたわね。と思った私は、その子にちょんと少しだけお返しをした。
「センセイが、人の顔に絵具をつけた。」ということが新鮮だったようで、
その子の気持ちがすっかり緩み、さらに勢いよく絵具を私につけてきた。
私もお返しした。
お互い「油絵具は、洗っても取れにくい。」ということを知っているので、
「顔は、ちょっとまずい。」という認識から、腕につけることを思いつき、
お互いの腕は、ドロドロに。
洗ってもきれいに落ちない状態の腕のままスーパーに行き、レジのところへ行くと、
心配そうにレジの方が私を見ていて、「どうしたのですか?」と言う。
すっかり打撲と思っていたようで、
すかさず「いや、これは、その、絵を教えていまして、子供が絵具をつけたのが、まだ残っていて・・・。」と、
しどろもどろで説明すると、「ああ、そうだったのですか。」と言い、笑顔に変わった。
「慕われているのですね。」なんて言われて、晩御飯の準備に取り掛かっていました。
ボールペンで腕に描かれた時もあり、この時は「傷口」と思われていたりした。
傷口じゃないとわかると、笑いをこらえてレジを打っている。
こんな調子のセンセイだったので、なにしてもいいセンセイだったのかもしれない。
霧吹きを使ったにじみを生かした水彩画の時は、霧吹きで私のズボンのおしりに霧吹きをかけて、
「先生がお漏らしをしている。」とはしゃいでいる。
けっこうしつこくするので、「気持ち悪いから、やめてくれる。」と言って、
「いい加減にしろ!」「いつまでやる気なわけ?」と叱る。
そうすると、「鬼」「鬼ババ」とか言う。
こんな優しい先生を「鬼」と呼ぶなんて、「なんて子達でしょう・・・。」と、真剣に思っていた。
また、ある時、
「センセイ、戦争の時、究極の状態の時は、人は人間の肉を食べたんでしょう?」と、
聞いてくるのがいた。
私は、「さあ、私はそういう話をする人もいるけど、実際にあったということは知りません。」と。
そう言うと、「絶対、あったって。」と言い張る。
その話ばかりするので、今ここで、その話をしなくてもいいだろうと思い、
「N君、君はアレルギーで海老も蟹も食べられないくせに、人間の肉を食べる話なんかするな!」
「あんたは、海老、かに、卵も食べれないくせに!」と、言うとピタリと黙った。
また、N君は、「僕、ここのおやつを食べたら、帰りお腹がいたくなる。」と言い出す時もあった。
「アレルギーの出るものは、出していないつもりなんだけど・・・。」と言う。
「でも、時々なる。」と言い張る。
フッと頭に浮かんだ、N君の作品達。
N君は、頭が良くて、すごくうまい時と、ふざけてダメダメな時がある。その差が大きい。
私は、「わかった。もって帰りたくない作品の時になるのと違うの?」と聞いた。
だんまりである。
N君は、作品を持って帰るのが嫌みたいな日があって、道に作品を置いて帰っているのを見つけて、
私は靴も履かずスリッパのままで、追いかけて、カバンに作品をねじ込んでやった記憶も蘇る。
往来で、スリッパを片方脱いで、おしりにパンチも食らわしといた。
「おまえ、持って帰れよ!」という声と共に。
何だか、急にガラが悪い言葉遣いに変身する時があって、なんかおかしいなぁ~と自分で思っていました。
男の子に怒る時、そうなるみたいなのです。
また、ある時、今度は、T君という子が「この家は、僕達のお月謝で生活している。」
「僕達がやめたら先生は、困るんだ。僕達のおかげだ!」とか、言い出す。
「それは、先生と君達の両親のお約束であって、君達は関係ありません。」と釘をさしておいた。
(実際は生徒の言う通りなのですが・・・)
血迷ったT君が、「僕、やめてやる!」と息巻く。そして、囃し立てるのだ。
ムカッときた私はいつもと違う別の人格の私が出てきて、
「おぅ、そんならやめろや!やめんかい!」「帰れや!」と言って、声のトーンまで低くなって、
また、ガラが悪くなった。
そのT君の前へ行って、その子を小突き「やめろや。」「やめろや。」「ヤメロ・・ヤ。」と迫っていった。
玄関の出口の方に追い詰めた。
その日を境に、その話は二度としなくなった。
そのT君は、毛糸を使った工作をすると、私のエプロンやら、足やらを毛糸で結び、
片方を机の脚に結びつけてくれて、動くと机を引きずってしまう惨事も起す。
動けない・・・・・。クソォ~と思い、
「よくもやったわね。」と言い、ゴジラみたいになって、紐を引きちぎる。
その姿が面白いらしい・・・・・。
ガリバー旅行記みたい。
帰りにノートに評価を書いて、持って帰ってもらうのですが、
私が1つのことしか出来ないとわかると、
ノートを書いている時に話かけて、文章をおかしくさそうとする。そんな風なので、
「もーわかった、頑張りましょうのハンコ押して、最悪って書こうかな?」と言うと、
「それだけはやめて。」という子は、まだいいが、そんな事すら気にしないタイプは大変なんです。
(まあ、感情に流されず、評価は等価にしていましたが・・)
その変わり、字が知性を疑う文字になってしまっていて、メチャクチャ。
父兄は、こんな汚い字の先生のところへ・・・と思って、興ざめなんじゃないかと心配されるのでは?と
よく思ったものです。
ヒロクニさんは、子供にとって怖い大人として登場していました。
付いたあだ名が「バンジー」。パンツ爺の略だそう。
夏になると上半身裸で、パンツ一丁で現れることがあって、子供達には強烈だったようです。
女の子から「服着ろー!」と罵声を浴びせられても、知らんぷり。
言われてから、芸術家が上半身裸で写っている写真を額縁に入れて飾り、
「これを見てみろ!芸術家はこうなんだ!」と豪語し、生徒に説明する始末。
女の子は口が達者なので、反論を展開させて、ヒロクニさんと口論よ。
教室では、パンジー(パンツ爺)対 子供達という構図が出来上がっていって、
いじめというか、1人の子が、ある子にちょっかいを出すのを注視していたのですが、
ヒロクニさんの方へ関心がうつったようで、ちょっかいをかけなくなってスッキリに。
ヒロクニさんは、教室の先生ではないのに、父兄が来られるとすぐ私の横にきて、
自分が中心になって話だしたりして、よく分からなかった。
私が先生なので、ヒロクニさんには引っ込んでもらおうかと思い、
後ろで背中をつねって、目配せするのだけど、これが通じない。
すごく、じゃま状態でした。
また、y子ちゃんという生徒は、絵を描き終わっても、いつも長々とアトリエにいる。
理由を聞くと、次に行くバレエの教室が嫌で、長々と滞在してバレエの時間を少なくしているらしい。
「そんなに嫌なの?」と、聞くと、嫌なんだそう。
その話を聞いていたヒロクニさんは、「y子ちゃん、バレエ習ってるの?」と言った後、
黒いタイツ姿だったヒロクニさんは、バレエの踊り、バレエ風につま先立ちで踊っているのだ。
腕をヒラヒラさせて。
T子ちゃんと私は、あきれて見ていた。
T子ちゃんが「気持ち悪い。」と呟く。
思わず「私も・・・」と。ゲロゲロって感じよ。
どんな造形教室なんでしょう・・・・・。こんな教室あるのでしょうか?
そして、いつも教室を終えたら、髪振り乱したあとの私でした。
よく、子育てで髪振り乱した姿が・・・・、という表現がありますが、納得できます。
教室の子供達プラス、ヒロクニさんが加わったら、いつも波乱ぎみでした。
でも、子供達とは、それくらいしてみての楽しい部分もあった。
よく、笑っていましたもの。
(ヒロクニさん除く、こっちは大人なんで)
時々、生徒達と一体になって、お腹がよじれるぐらい笑うこともあって、あの愉快な一体感は、忘れられない。
可笑しくて涙を浮かべる程笑っていた子もいて、楽しかった。
その涙する姿をお互い見るといっそう可笑しさがまして、笑いの渦に。
皆がブルブルして、お腹が痛いくらい笑った一体感は、何だったのというくらい。
いい思い出もたくさんあります。
子供っていいよね。
大人の世界も好きだけどね。
この人には、何をしてもいい。
そんな風に思われがちな私のようです。
マジックのいたずらから、子供造形教室での数々の思い出話になってしまいました。
よく、話を脱線させてしまう癖があるみたいです。
すいません。
庭では、梅の花がつぼみをつけています。
↑季節はきちんと巡るのですね。
昨年も剪定をきちんとしてみた結果が出たのでしょうか?
梅は、枝が真直ぐ伸びる姿が好き。
2月の終わりぐらいから、ピンクが灯るのでしょうか?
いつもひな祭りに合わせるかのように咲く、我家の梅の花なのです。
↑そして、夜のピピちゃん。
何か言いに来ています。
この後、膝にぴょこんとのって、ゴロゴロいいます。
抱っこや膝の上にいたら、鳴きやみ大人しくなるピーです。
顔を見ながら、「ピーちゃん、そんなのでどうするの?赤ちゃんみたいじゃないですか?」と、
語りかけます。
マジックの、色が光った感じがステンドグラスのようです。幻想的のようでもあり、クラシックもな感じもするし、水彩のようにも見えます。
マジックって、こんな色の出し方ができるのだなあ、と驚いてしまいました。
久しぶりのキタハマちゃん、やっぱりかわいいです。ヒロクニ先生が制作している横でリラックスしていますね。お腹をなでたいです。
顔の模様はちゃんと取れたのでしょうか。取れたのでしょうが、どうやって?自然に?と気になります。
子供絵画造形教室のすさまじさ、驚いて笑って、迫力に圧倒されました。さほりん、大変な思いをしていたのですね。
油絵具は打撲のような色が出るのだと初めて知りました。
そういえば、子供のとき習っていた書道教室で、墨を自分の手や隣の子の手や半紙に塗って、喧嘩したり興奮したりしている子がいました。
書道教室の先生は、ある程度までは注意するけれど、それ以降は放っておき、次回からそういう子は教室に来ていなかっと記憶しています。
パンジー!子供はあだ名の天才です。教室の子供たちの前でもパンツ一丁(笑)笑ってしまいましが、さほりんの大変さはお察しします。
ヒロクニ先生の応対もヒロクニ先生らしいなあと思いました。これも、私は笑ってしまいますが、さほりんの大変さが……
でも、さほりんのこの造形教室で感覚が刺激された子供がいたのではないか、と思います。
なぜなら、感覚というのは理論にも常識にもとらわれないものだと思うのですが、なかなかその呪縛から逃れることが難しく、一般の生活の中では才能をうずもれさせてしまう子供もいるのではと思います。
さほんりんの造形教室の、ちょっと変わった刺激はそれだけで子供たちの感覚を刺激したのではないでしょうか。
梅のつぼみがもう膨らんでいるのですね。
我が家の果樹の金柑は、ようやく野鳥がつつき始めました。野鳥がつついたら食べごろ、と、毎年収穫時期を野鳥にゆだねています。
今年は実の完熟が遅かったようです。
梅は良いですね。梅の盆栽を始めようか、考えています。桃とどちらにしようかと迷っています。
今回のピピちゃん、なんてかわいらしいのでしょう!ぷっくりとしたお口の顎には、茶色が入っているのですね。
さほりんが大好きなのですね。赤ちゃんです!
マジックの絵は、小学校でよく使ったタイプのありきたりのマジックです。使用している紙もただの模造紙。同じ素材を使っていても、こうも違う感じになるのかと、横に居て見て、私も驚きでした。使い方が、絵画的なのです。それと、やはり下書きなしで絵を描くスタイルなので、そういう訓練も生かされているのではないでしょうか?
キタハマとヒロクニさんは、本当に蜜月な2人?なんです。(笑)マジックは、顔を洗っていましたが、長い時間かかって消えていきました。けっこう、長かったなぁ~と記憶しています。
絵具付けっこは、一度おもいっきりすると、懲りたのか2度はなかったですよ。なんでも、思いっきりすると卒業するということかもしれません。油絵具は、混色していくと、どんどん濁っていくし、青色は、沈着しやすいのかもしれません。お風呂に入るとかなり取れるのですが、洗っただけでは、無理なんです。しかし、私もむきになるところが・・、大人げないのかも。
アトリエで何故か、子供対ヒロクニの闘いが・・・。ヒロクニさんも子供と対等になっているところが、変でしょ。最所「パンジー。」と言っているのが、よく分からなくて、何で花の名前を言っているのだろう?と、来てもらっていた先生と首を一緒に傾げていたのですが、2人で「ああ、そうか!」って、分かった瞬間があって、うまくあだ名をつけたな・・、と感心しました。それでも、ヒロクニさんがいるから、芸術的な感じは、感じてもらえたのでは?と思っています。それと、ヒロクニさんも、ノリやすい性格で、フワフワしていて、子供になっていたのかもね。今思うと、そんな感じだったと。
楽しいを重点的に重きを置いた「教室」がテーマというか、子供の頃、絵を通して「楽しい時間があった」という事が、何かの足しになればいいと思ってしていました。意外な子が、美術学校に行っていたりして、将来につなげた子もいるようです。今でも、時々、声をかけてくれる生徒がいます。皆成長していてビックリよ。
梅の花をみながら、春到来を楽しみにしています。盆栽は、梅の方がいいかもよ。なんて、思います。
金柑は、やはり野鳥が食べるのですね。こちらでは、ヒヨドリが、思いっきり突きにきます。みかんに穴を開けています。
ピピちゃんは、日増しに甘えん坊になっていっているようで、私の周りにビッタッといます。熟睡している時が一番静か。ピーが赤ちゃんなら、私は、お母さんなんでしょうね。
ヒロクニさんは、時々、私のことを「おかあちゃんは、大変だから」と言う時があって、ギョッとします。なんか腑に落ちない感じなのです。