爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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存在理由(63)

2011年02月02日 | 存在理由
(63)

 新しい人間関係を土台にして、日々の生活を築きあげることになるが、そう早く一新される訳でもなかった。やはり生活は毎日の単調なことの積み重ねである。それでも、新たな関係が、とくに自分にとって楽しいことであるならば、その単調な時間さえ愛惜しむべきものである。

 それにしても、自分としてはあまりにも長い間、同じ女性と会話したり過ごしたりしていたので、その方法が染み付き、変化するのに戸惑ったりもする。しかし、自分に訪れるすべての変化は必要不可欠なものだと思い、新たな方法を覚えていく。

 由紀ちゃんが目の前にいる。彼女は、ぼくといてとても楽しそうな印象を与える。そのことによって、ぼくもつられて楽しい気持ちになる。彼女は、ぼくがみどりとの交際を終えたことを知り、喜んでいいのか、悲しんでいいのか複雑な顔をした。しかし、人間に独占欲がある以上、仕方のないことだった。

 いまは夏である。眼前には海が広がっている。限りない青い空と、白い砂浜がそこに宝箱から取り出したようにある。彼女の素足には、小さなきれいな砂粒がくっついている。手元には、冷えた飲み物があった。誰にも命令されず、惑わされない夏のこうした一日があることが、自分にとって、とても幸せだった。自分の両親にも、こうした日々があったことが、ふと急に気になりだした。多分、生活に追われて楽しめる日は少なかっただろう。

 頭の中で2人の女性を比較してしまう時がある。

 みどりは、あらゆる点で頑張り屋だった。いつも向上する余地がないかと探しているような一面もあった。それでも、それを他人に要求することはないが、まわりにいれば彼女にも最善を尽くしてあげたいという気持ちにさせた。

 一方、由紀ちゃんはすべての人間の良い面を探すことを趣味にしているような気分があった。それなので、よく他人を褒めた。ぼくもそのことに恩恵をあずかるわけだが、他の男性のことも同様にするので、少なからず嫉妬を感じることもあった。

 夜のレストランでは大きなロブスターを食べた。日に焼けた二人は、飲み物で渇きを潤し、饒舌になり、互いの存在をかけがえのないものとして求めた。彼女は金銭的に困ったことがないことは、話しているとすぐにうかがえた。別にそれで困惑することもないが、自分はもっと稼ぐ必要があることは、頭の一部に残った。

 食事を終えた後、暗くなったビーチを歩いた。波の音だけが、快適な音量で耳に入ってくる。

 由紀ちゃんのこれからの予定や計画を聞く。彼女は、いましていることにやりがいを感じ、それをもっと生き生きさせるものがないか調べ、もっと面白いものが作れないかと思案していた。多分、近いうちにそうした責任も与えてもらえることだろう。彼女には、チャンスがたくさんあるのだ。ぼくもその気持ちがいくらか伝染した。そうした会話をもとにした時間は、いくらあっても足りず、休みもすぐに終わってしまう。

 家に着くと留守番の明かりが点滅していた。ボタンを押して再生すると、流れてきたのはみどりの聞き覚えのある声だった。ぼくは、忘れることの出来ずにいる番号に連絡した。

「新しいガールフレンドはどう? 優しくしてくれる?」
 と、簡単な挨拶のあと、単刀直入にきかれた。彼女は、友人関係を辞める気は本気でないらしかった。自分は自身の都合で関係を終わらせたことを後ろめたく思っていたが、彼女の口調からは責める意図などまったくないことが感じられた。

「普通だよ」と答えるしかなかった。

 それから、近況を話したが、そう急に生活に劇的な変化があるわけもなく、両方に関係した友人たちの最近の出来事を話し合い、電話を終えた。

 ある程度の期間、交際してきたので、互いの友人たちの方が、二人が別れたことを心配していた。それらに対しても、彼らにそのような感情を抱かせてしまったことを済まなく感じた。だが、時間はいつもローラーのように、いずれ均してくれるだろう。みどりは、また連絡すると言ってくれた。彼女の両親たちはぼくのことを、どう思っているだろう。長い人生の間、自分の娘の前に一瞬の間だけ訪れたひとりの男性だ、ぐらいに思ってくれるのだろうか。そう遠くない将来に、名前を思い出すこともなくなるのだろうか。自分には答えは与えられないだろうが、それでもこころの片隅では気になっていた。気にしても仕方のないことが増え、誰かの幸福の予感さえ奪ってしまわなければ、生きていけない人間の不幸も感じる。