爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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償いの書(24)

2011年02月05日 | 償いの書
償いの書(24)

 また東京に戻り、日常の業務に追われている。それらを、完璧に行おうとすれば、時間はいくらあっても足りず、手を抜こうとすることは自分の性格が許さなかった。それは、根源的なことなので、自分の気分で変えようという簡単なものでもなかった。そのことで、あることは二の次になり、休日になるまで一時的に忘れることにした。そのことは、悲しいことだが、裕紀のことも含まれてしまうことが過分にあった。

 その日は、待ちに待った休日であり、ひさびさに上田さんと智美にあった。そして、ぼくの横には裕紀がいた。彼女らは、だいぶ前になってしまったが旅行に行ったときの話しをした。時おり目配せをして意味深な表情をしたりした。自分も、その内容に興味があったが、そうした楽しげな様子をみているだけで、ぼくのこころは暖まった。

「この前、地元に帰ったんだな。親父に聞いたよ」と、上田さんは言った。

「そうなんだ。楽しかった?」と、智美もぼくに対して尋ねた。
「仕事だからね。楽しいばかりでもないし、緊張しましたよ」
「良くやってくれてるって、親父も誉めてた。仕事以外にも休暇を与えたようなことを言ってたけど」他人からきく誉め言葉というものは嬉しいものである。

「実家に泊まったみたいだし」と、裕紀も付け足した。ぼくは、その後で家に急に犬がいた話をしたが、それ以降は、ぼくの家族の話を智美が受け継いだ。彼女はぼくと幼馴染なので、ぼくが知らないことも話に含め、もちろん情報として知っていることも多かったので、ぼくはあの時代の古びることも感じなかった自分や家族のことを懐かしさをこめて聞いている。だが、みなのこころの中にぼくと雪代が、もしかしたら会ったのかもしれないという心配の気持ちもあるようだった。それは、ぼくの思い過ごしかもしれないし、疑念を持ち込みすぎている杞憂かもしれなかった。だが、幾分かはその気持ちがあったのは事実だろう。

 しかし、何があっても休日にこのような友人たちと会うことの開放感のほうがずっと多かった。それらのひとを悲しませたり、心配させたりすることは、もうぼくにはどうしてもできなかった。それで、ぼくは自身のこころのなかに閉まっておけるものはきちんと密閉してしまい、出すまいと努力した。

「他になんか変わったことがあった?」と、智美は好奇心で訊く。ぼくは、いろいろと頭のなかで話題を探した。しかし、どうやっても、自分が雪代の女の子を抱いたときの印象がいちばん、強かった。だが、それを払い除けるようにして、会社の性格(そのようなものがあればだが)が変わってしまったようなことや、町並みや自分の東京での暮らしを通じてよそよそしくなってしまったことを話した。

 ぼくらの会話が停滞したところで、ぼくの頭のなかにはまたもや、あの小さな存在が浮かび上がってくる。ぼくは、その重みを忘れることができず、覚えていた。それは、記憶というよりひとつの経験だった。ある日、それは雪代の子ではなく、自分と裕紀の間のものとして抱かない以上、大切なものであり続け、忘却することは難しいようだった。

 ぼくらは、4人で静寂な町並みをぶらぶらし、小粋な店を眺めたりした。裕紀は、形のかわった帽子を買い、直ぐにそれを被った。そうすると、年齢以上に子どもじみて見えた。ぼくが知らなかった時期の裕紀がそこに表れたような気がした。

 それを見ながら、裕紀の父も彼女の小さなころの身体を暖かく抱き、その成長した輝ける時代を知らないまま亡くなってしまった事実を思い出す。島本さんもまた同じように広美と名付けられた小さな子を抱き、その成長を見守るのだろう、ということを考える。それをうらやましいと思う反面、責任の重さも痛感する。ぼくは、どれほどの人間のどれほどの生活を知ることになるのだろう、という答えにならない計算をするが、この場面を大切に記憶に留めておこうということで解決を出したことにした。

 静かな道でぼくと上田さんは、以前のようにラグビーの真似をしてじゃれついていた。ふたりともむかしのような身体は有していないが、それでも、知らないひとが見れば勢いのある風景だったかもしれない。笑い転げる裕紀の身体が、うしろを通りかかったベビーカーにぶつかりそうになって、ぼくと上田さんは動きを止めた。そして、平謝りをしながら、そのお母さんに頭を下げた。ぼくは人生というものが、デジャブではなく、一直線につながっているのだなと実感した。

 そのベビーカーの進むべき道をさえぎったのは裕紀の身体であり、ぼくの揺れ動く思いでもあった。ぼくは、通り過ぎたそれらのひとびとを眺め、自分の人生のある部分がきちんと終わったことを感じた。それは悲しみというより、新たなものを構築するための準備された時間だったかもしれない。

 ぼくらはそれから夕飯を済ませた後、裕紀と連れ立って帰った。ぼくらの前には架空のベビーカーがあって、そのなかを覗いている裕紀の姿をぼくは頭のなかで追おうとした。むなしい努力だったのか、それとも、期待の実現を待つことへの予測だったのか、自分の休日の脳は、とことん突き詰めて解決することをし忘れてもいた。

存在理由(65)

2011年02月05日 | 存在理由
(65)

 その日をどこで迎えるか思案をしたが、米沢先輩が仕事上で付き合いのある会社の人たちがアジアでの最終予選の最後の試合をみるために、スポーツ・バーを貸し切ったとのことなので、ぼくもそこに誘われ観戦することにした。ひとりで見ることが怖かったのだろうか。それとも、大勢で、その歓喜の瞬間を受け止めたかったのだろうか。

 日付けは1993年10月28日。その日の夜のことだった。

 仕事を終え、米沢先輩と待ち合わせ、そのバーに向かった。彼女は、いつものように隙のない化粧をしていた。その反面、無防備さをあらわすような態度も兼ね合わせていた。いつも、不思議な印象を与える女性である。

 サッカーの試合がはじまる前から、くつろいだ雰囲気でお酒や食事を楽しみ談笑した。その会社はとある金融機関で、米沢先輩はそのうちの一人と交際しているようだった。そのままでいけば将来は、銀行家の妻になることが予想された。そのことは、とても彼女に合っているようにも思えた。

 もっと別の日であるならば、そのことで盛り上がったはずだが、頭の中はその日に行われる試合で一杯だった。彼女は、ぼくの冷淡な態度を横目で見、あんたの批評もききたいんだぞ、という表情をした。その男性が新しいグラスを取りに行っている間に、良い人そうですね、と簡単な相槌とともに語り、詳しくはまたの機会に言いますから、とその場はお茶を濁した。

 やっと試合は始まった。数々のプレーに一喜一憂し、自分の声援で余計に盛り上がり、興奮しているのが分かった。そこにいるほとんどの人が、そのチームを無心に応援していた。

 レギュラーは、ほぼ固定化され、誰が見ても納得のいく布陣だった。だが、逆にいえば、その選手たちを追い抜くことができないほど、選手層は薄かったのかもしれない。しかし、ベストであることは間違いない。

 試合の経過を追いかけてはいるが、その前の長い歴史のことにも思いを馳せる。ちょっと前までは、プロ・リーグが発足すること自体、信じられないことだった。たくさんの海外の有力選手をじかに見ることもできるようになった。グラウンドに立っている当人たちはファンより身近に接するので学ぶことも多いのだろう。

 後半戦になった。あと45分の忍耐の問題である。

 時間は確実に過ぎ、終了のホイッスルを待ち望んでいる我々は日本が2‐1で勝っていることを知っている。きっと、そのままの点差で試合が終わることと決めていた。だが、勝負のちょっとした油断は、決定的にチャンスを狙っている。10代の残酷な美少女のように、求愛の申し出を断ることだけを望んでいるみたいだった。高くゴール前にあがったクロスボール。それに合わせたヘディングシュート。そのボールは、動くことのできないゴールキーパーを笑うように、ゴールの隅に吸い込まれていった。この瞬間をぼくらは待っていたのだろうか。

 テレビの中の選手たちは表情を失い、試合は終わった。崩れ落ちる選手たち。グラウンドの中も、グラウンドの外も。スパーツ・バーで観戦していた人たちも一気に現実に戻され、だれもが落胆していた。ふと意識が戻ると、時間も遅いこともあり、ひとりひとりと静かに消えていった。みどりは現地でどうしていることだろう、とふと脳裏をよぎった。

「あんた、大丈夫? 帰るよ」と米沢先輩に、肩を揺すられ言われた。
「うん。はい。そうしましょう」と、元気もなく返答した。

 タクシーの数は少なく、ぼくが奥に座り、彼女もそれに続いて乗車した。彼女は、落胆と不甲斐なさのまじった言葉を発した。多分、ぼくは答えることもせず、首だけを暗い車内で前後に動かした。最終予選に負けたことは事実だが、あのメンバーは最強だった、ガッツある面子だった、といまの自分は知っている。

 米沢先輩の家の前で、車はいったんとまり彼女は降りた。そのまま、ぼくは乗ったままの姿勢で誘ってくれたお礼と、彼女の交際がうまくいくことを望んでいることを告げた。彼女は、少女のような表情で、「ありがとう」と言い、車は扉をしめ発車して別れた。

 車内の固い座席に頭をもたせ、運転手から先程の試合をラジオで聞いていたのですが、残念ですね、と問われた。無視するのも悪いと思い、きっと4年後はどうにかしてくれるでしょう、と希望のあらわれのようなことを言った。頭の中では、ドーハで取材をしているみどりのことを絶えず考えている。選手と同じように、彼女の長年の夢も崩れ落ちたのだろう。その気持ちを抱えて、みどりは無事に日本に帰って来られるのだろうかと、そのことだけをぼくは心配していた。

(終)