爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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作品(3)-5

2006年06月09日 | 作品3
システム・エラー


友情ってなんだろうね? 真っ先に浮かぶのは、走れメロスかな。え? 知らないの? そういう世代なのかね。若い頃は、同じ悪さをすれば、共同体みたいな意識が芽生えたけど、なかなか、そのままの気持ちはね、抱き続けることは難しいよ。あの時さ、まだ中学生だったよ、夏休みに連発式の花火を互いに向け合って、打ちまくっていた。耳のそばをかすめてね、よく怪我しなかったもんだな。あまりに騒ぎすぎて、近所のおじさんが叱りに来たけど、逃げながらそのおじさんに向けて、やっぱり放ったんだ。いま、もの凄い反省しているよ。

女性は、どうなのか知らないけど、男性同士だと、半年とか一年ぐらい会わなくても、ふとまた会うことがあったら、様子を伺うこともなしに依然の関係に瞬時に戻れると思わない? 不思議だね、時空を超えちゃうのかね。ぼくにも、数人の友達がいるんだ。少ないけど、逆に数人ぐらいで充分だよね。

自分でも呆れるぐらい人の欠点に目を向けてきたけど、今後は、もうそうしたことはしたくないんだ。残された人生、人の悪口ばっかり言って生きていくには、短くてもったいなすぎるよ。あんなに嫌なやつだけど、どっか良いところもあるだろうね。神が誰かを創ったなら、そう見捨てたもんでもないだろうしね。それから、その嫌なやつと、ちょっと合わせて話してみると、その、なんていうのかな自分にもプラスになるよね。マニュアルが作られるのかな、次の機会にでも、同じような嫌なやつにも自然と親しめるしね。でも、半分ぐらいしかできていないんだ。どこかで、こころを閉ざしている自分も、はっきりと存在するしね。

あの歌手と別れたときも、ある友人に話したんだ。とても温かいメールが帰ってきたよ。自分の失敗談も含めてね。同じような境遇にあった証拠としてね。まあ、自分一人ではないと感動したんだろうね。なんか目の奥が、恥ずかしいけど、分かるだろう? あの、泣き出す寸前だね。頑張って泣くのをこらえていたのに、家に着いて、母親の顔を見た瞬間、なにも言わずに泣いた経験なんか誰にだってあるだろう? この冷たい世の中でも、きっと、まだまだ純粋な心って残っているんだろうね。ぼくも、心の深いところでは楽観的なんだ。でも、人を慰めるなんて、自分でもしているんだろうかね。あんまり思い浮かばないな。

そう、ぼくのチームの後輩とも飲みに行ったりもするんだ。仕事中は偉そうな口も聞くけど、こんな時は、わざと羽目を外して、近づきやすいように仕向けるんだ。なんか甘ったれだもんね、直ぐふくれたり、つけあがったり難しいよ。でも、伸びる可能性のある世代だから、頑張ってもほしいんだ。

あと、お金の問題もつきまとうね。友人にお金を貸したりする? あれって、どちらも最後には気まずくなる結果が待ちわびているね。あげるぐらいの方が居心地が良いかも。なんか使い古された説明だけど。ぼくも、古い世代の一人なのかな? 常識がとても好きだし、枠組みもなんか好きなんだ。

友情の話だったね? 女性と友達になれる? 親しくしていると、あれって自然と好きになってこないの? やっぱりぼくは古いのかな。とても、話しやすい人がいたんだ。勘違いしちゃったよ。自分が、ああも自然と伸び伸びといられたなんてね。でも、良く考えれば分かることさ、その人は、ぼく以外の人とも、当然のように上手くやっていけるんだから。そう、チームの後輩の話だよ。今度、その二人が結婚するんだって、そこでぼくに何か簡単でもいいから、スピーチしろっていうんだ。ぼくって、こころの奥では反抗的だろ、ああいう現場に立つと、誰かの神経を傷つけたくなっちゃうんだ。そして、自分も凄い反省したり、後悔したりしてね。でも、いまからよく練って、推敲しているんだ。まあ、見栄っ張りでもあるしね。彼女のためでもあるしね。

作品(3)-4

2006年06月08日 | 作品3
システム・エラー

 
 みんな誰しも、外に音楽を持ち歩いて、耳の中にヘッドホンを入れているね。周りの雑音を聞きたくないのかな。そりゃあね。ぼくも音楽が好きなんだ。最初の影響は母親かな。家にジャズのレコードがあってさ、と言ってもヴォーカルもんだけどね。ビリー・ホリディーなんかだよ。それからなんだろうね。真理を告げる音声って、女性の唇を通じて、この世界に表れるというか、変換されるように考えているんだ。

 やっぱり、この問題に触れないと駄目だよね。そうだよ、ぼくのゲームのテーマ曲を歌ってくれた歌手に、ぼくが惚れていたことぐらい知っているだろう。初めての打ち合わせから、もうまいってしまっていたんだ。そうだよね。あの容姿と、それから、あのハスキーな声だよ。そりゃあ、気持ちを告げるのを我慢できなかったくらいさ。
 
彼女の家には、防音された部屋にピアノが置いてあって、数曲さわりだけど歌ってくれたんだ。優しくってさ、甘酸っぱくってさ、それにあの心の奥からの強さみたいなものも感じられて、ぼくはもう最初から決めていたんだ。でも、そのぼくのグループを説得させなくてはならないし、彼らは、音楽なんか分からないんだろうね。売れている人を使えばいいと考えているだけなんだ。才能を発掘し、丁寧に育て、それから実を結ばすなんか、手の込んだことをしたくないと思っているんだろうね。ぼくは違かった。そりゃ、自分の能力を伸ばすことにも全霊を注ぎたいけど、それ以上に誰かが出来なかったことが出来るようになって、自信をもって、プライドの芽生え、みたいなことを見ることも、とても好きなんだ。優秀な生徒を育てる学校の先生も、気持ちの良いものだろうな、と考えることもあるよ。

それから、ちょっと経って付き合うようにもなった。とても幸せだったな。まあ、人間だから嫌な部分もあるけど、ぼく自身にももっとあるよ、でも、その人の良い部分を発見する喜びも好きなんだ。だって、他人に指摘されないと気付かない、プラスの面って、誰にも隠されているよ。それを見つけてあげたいな。

彼女の、そのぼくのゲームがきっかけになって、段々と世の中に知られてくるようになり、ちょっとずつ疎遠というか、この業界より、存在が大きくなってしまったんだろうね。ぼくも少し嫉妬したんだろうけど、ぼくの手から離れていく実感があったよ。誰も夕日が沈むのを止められないのと同じだよ。明日は来ちゃうんだ。

いまは保護者みたいな気分もするんだ。理想だけど、すべての人に幸せになってほしいけど、とくに自分と一時的にすら深く関わった人とは、それ以上に不幸が訪れて欲しくないと思っているんだ。まあ、考えるだけで無理だけど、実際の手の届く範囲なんか限られているし、そうだよね。

いまでも耳にするよ。やっぱり、幸せだった頃を思い出すよ。徐々に上手くもなっているし、セールス的にもかなりなんだろう? まあ売れればいいという問題でもないのかもしれないけどね。あの才能は、いつか誰かが目に留めたかもしれないが、ぼくが、その原石というのかな、気付いて良かったよ。今でも連絡を取るのかだって? そんなことは、もうしない。未練とか嫌なんだ。自分がそのみじめな感情を、人の数倍もっていることぐらい、自分が一番知っているよ。こんな話を聞いたよ。戦死した子供の訃報を聞いた母親が、そうですか、といって台所に立ち、何事もなかったかのように、お米を研いだんだって。泣かせる話だよね。その心の中では号泣しているんだろうけど、誰にも心配をかけたくないいじらしさが出ている話じゃないか。このエピソードでぼくの気持ちもわかっただろう?

作品(3)-3

2006年06月06日 | 作品3
システム・エラー


農村や、山奥で一家族だけで住んでいるわけにも、現代人はいかないので、やはり都会で生活するには、会話の技術がとても必要だと思うね。いくら、メールとかがあったりしてもだよ。黙っていても、誠実に生きれば、分かってくれると信用したいけど、それは、届かない理想論だよ。力づくの説得とまではいかないけど、可能なかぎりの納得を人には、してもらいたいよね。

まあ、女性との交際で、一番ネックになるのもここだと思うけど。どうして、ああいちいち女性というのは、訂正しないと気がすまないのかね。こちらの気持ちをくんで、理解の歩み寄りみたいなことをしても良さそうなのに。これも、自分の力不足だよ。

でも、最終的には、話を聞けばいいんだろう、という豪快な結論に至るけど。「そうそう、そうだよね、疲れたんだよね」とか、頑張れば出来るんだよ。だけど、時に面倒くさくならない? すべての話好きの異性のこころを射止めている男性に祝福と呪いあれ。

まあ、冗談だよ。自分の仕事のはじめに、売り込むときにも努力が言ったな。成功間違いなしだし、あなたたちにもお金が入ってくる話なのに分かってくれなくてね。いまでは、最初の理解者みたいな顔して、ぼくの才能に、その原石に気付いたのは、おれが最初と、あきれちゃうけど、そんな人々もいるんだ。怒ったりはしないけど、ちょっと動揺ぐらいはするよ。だったら、最初から、ぼくの提案を受け付けてくれても良かったのに。でも、タイミングというのは、人間の力の及ぶ範囲外でも、確かにあるしね。あのぐらいの認められない期間は、いま振り返ると、とても重要だったと思うし。結果が良ければね。実際、良いから仕方がない。

ぼくの友達が言ってたよ。雑誌に文章を書いているライターなんだけど、調子に乗っているときは、文章だけで何でも出来そうだって。不可能なことは一つもないような気持ちになるんだって。その友人は、まあ例にもれず口下手だけど。ぼくも、そうなんだ。自分の作ったゲームを、子供たちが手にして喜んでいる姿を見る前から、このゲームで楽しませることなら何でも出来るような気持ちになるもんね。そういう奇跡の一瞬、ある種の恍惚状態は、とても幸せだよ。すぐ、現実に戻されて、引っ張り回されるけど。

みんなは、どうしているのかな? たまに会う両親とか、彼女の家に遊びに行ったときの振る舞いとかの話しだけど。何かの役をあてがって欲しいぐらいだよ。今日は、彼は孝行息子の役で、実家に帰ってきます、とか帰る前に親にアナウンスしてもらいたいね。じゃないと、家に入る前から、なんかぎこちないし、照れくさいし、ぶっきら棒にはなるしね。普通でいられないんだ、人間関係って。正常じゃないのかな。でも、みんなもこんなものだろう。違う?

さあ、眠くなってきたよ。誰にもなにも話さないけど、理解してもらいたいな。いや、好きな人だったら、なんでも話したくなるのかな。幕みたいなものは作らないで、引っ剥がして欲しいな。それには、酒かな。真理には酒かな。アルコールの力を借りれば、どんなお道化もできるんだよ。自分では、居酒屋飲み、と呼んでいるんだけど、騒いで、笑わせて、そして自分では、もっと笑って。そんな時に、一人でも浮かない顔しているやつがいると興ざめだけど。そいつのために、もっと力を発揮して、努力するけど大体は駄目だね。もっと相互理解の話をしたかったんだけど、まだ腹を割って話していないのかね。ごめん、今度するね。嘘はつきたくはないと思っているんだ。口を開けると、サービスして大事な結末には至らなくなってしまうんだ。

作品(3)-2

2006年06月05日 | 作品3
システム・エラー

小学生の低学年のときに、学校を数週間休んだことがあるんだ。なぜ、いままで覚えているかっていうと、その頃の算数のメーンイベントである掛け算九九を教えられる時期だったからなんだ。ある日、こじれた風邪が治って、それでもまだ完全に体力を取り戻していない状況で、先生に覚えたての九九を、一人ずつ順番に並んで、声に出して、生徒たちが唱えていた。びっくりだよ。一番、大切な期間を逸してしまったのか、と急に不安になったりして。

数字自体は、とても好きなんだ。だって、大体多いか、少ないかの問題でしょう。数字って。そろばんを習ってたこともあるしね。これも、遊んでいるときに突然、母親に呼ばれ、
「あんた、今日からそろばんに行くんでしょう」と言われたりした。行きたいとも言ってないし、本人は楽しく外で遊んでいたのに。

 でも、習うと楽しいんだよ。頭の中に、そろばんが浮かび上がり、いつでも小銭のおつりなんかは自然と計算したりしてね。でも、これも廃れゆくものだよね。誰も、もう習いもしないかもね。なんか一攫千金と結びつかないお稽古ごとだし。
 
 成績も良かったんだ。その生徒たちのなかでも計算が早くてね。自慢じゃないよ。だってきちんと級をもらうような試験を大会場で受けるときは、かならず失敗して帰ってくるんだから。その往き帰りの風景だけ、なつかしく覚えているよ。でも、数字って、最後に帳尻を合わせないと、恐いことが起こるような心配まで、数字にはある。ナンバーに信仰を置いているのかな。

 こんなこともあるが、うちの両親は、勉強については一切、口を出さなかった。勉強をしろ、と一度も言われたことがないし、逆に、良い成績を残しても、一度も誉められたこともないけどね。どっかで、影で言ってたのかもしれないけど、当人に耳に入ってこなければ同じことだよね。最近は、教育の仕方も変わったのかもしれないが、ぼくらの子供のころは、まだこんなだったんだ。思い切り抱きしめるような場面が、アメリカ映画に出てくるが、実際は、もっと淡白な昭和の子供だよ。

 その恐れていた掛け算九九も自然とすらすら言えるようになり、克服したよ。その時の先生が、いま考えると定年間近なんだろうね。生徒に厳しくしないで、優しく包み込むように労わってくれた。あれこそが、教育だと思うね。ある種、枠内に放し飼い。その次のヒステリー気味の女性の先生が来る前までの安楽だよ。どこかで、やはり帳尻が合うのかな。

 でも、大勢の人間に向かって、教えられることなんてたかが知れているよ、個人的なレッスンか、自分で学んだことしか、最終的に残っていないのかもしれないしね。教育について、たくさん話しすぎたかな。多くの人は、若いときに、もっと勉強していたらよかったと後悔するように出来ているよ。学校の校門に刻印していたらよいのに。卒業生の言葉。「あの時、もっと勉強したら」とかね。老眼も迫っちゃうし、早く何とかしたいんだ。

 それと、いつからか、テレビが深夜放送をはじめて、朝まで、どうにか時をやり過ごすことも出来るようになってしまった。あの時間、もっと本を読んでいたような気もするが、これも思い過ごしかな。知識を詰め込みすぎた人間も見苦しい感じもするので、この辺で、教育について語るのはやめようかな。静かな図書館に集まっている若人に、幸あれ、とか言って。

作品(3)-1

2006年06月04日 | 作品3
システム・エラー


あなたの人生の上で、重大なシステムエラーがありましたが回復しました。このメッセージを送信してください。

誰かに話をして解決する努力が必要だと思いますよ。痛い経験でもそうでしょう。子供の時には恥ずかしげもなく人前で泣いたものだね。串刺しにされた思い出。1つの串を抜くと同じような思い出がポロポロと転げ落ちるね。その1つなんだけど、誰かと別れると、ほかの過去の別れも思い出さない? なんであんな失敗を繰り返すのかね。どっかでやめればよいようなものなのに。

でも、確実なものにしか興味を示さないのも、人間としてどうかとも思うしね。チャレンジが好きって言ってるわけではないんだよ。まあ、どう転ぶのか分からないのが、人生だしね。そうしたら、誰もスポーツやギャンブルもやらなくなっちゃうよ。どこかで、負けるかもしれないのを知ってても、やっぱり知らないか。最後に自分に、運が向くと思っているんだろうね。そうじゃないとね、明日の朝も、起きられないよ。

こんなこともあった。そうそう、お互いに好きで、多分ね、趣味の分野でも合うのだけど、なんかね、最後の一瞬に気が合わなくなるんだよね。しっくりいかない一点が巨大化し、不思議だね、あれってどうなんだろう。サインを発しているのかな。ストップだよって。人生を数学的にシステムを組み立てるみたいに考えられるかな。

録音した言葉を再生するように、人生の失敗も貯めておいて、いつか効用があればよいのに。テイク38です、とか言って。かなり失敗が多いよね。

正直に言いたいと思っているんだ。ぼくの失敗が、ぼくと離れて、失敗だけに注目を浴びせたいね。本屋に並んでるのも、成功者の話ばっかり。まあ、まれに失敗した挿話もあるけど、結果的に最後には、逆転して成功に、サクセスにつながりました、っていう結論が見えるしね。失敗を、そのまま形を崩さずに、失敗のままでも魅力を放つとも思うけど。鍋のなかの豆腐のように。

学生時代から、パズルやクイズを作って、友達に廻していたんだ。かなり、評判よかったよ。それが、今のゲームの原案やキャラクターを造形するのに役立っているんだろうね。でも、結論がはやすぎるかな。ただ、簡単にいうと好きなんだろうけど。誰でも、好きなことをしている人の姿が、魅力的だよ。やだな、主張ぽくなっちゃった。

あと、父親が落語がすきで、家でも年中、そういう方面のテープを聴いてたりしてたんだ。だから、あの話の筋とか、流れとか、プロットが現代のゲームにも、ちょっと古風であり、また、しっかりとした核ができているのかな、とかあの評論家が、そう評していたのの受け売りだよ。でも、あの微かな成功もテーマ曲を歌ってくれた人のおかげだろうね。

失敗とか言いながらも、若いうちから存外、お金も手に入れてしまったんだ。日本に住んで、企業に雇われても結果が見えていると思わない。大体、計算つくよね。プランもまるで最後の瞬間まで解ってしまうような。ちょっとぐらい冒険してもいいかな、とか考えてたんだけど、まあ、このぐらい結果がうまくいけば、現時点では上出来かな。詳しく、もっと話すけどね。