ケンのブログ

日々の雑感や日記

元旦の風景

2018年01月01日 | 日記
今日は隣町に行って牛丼チェンで飯食べてそれから
自宅近所のM神宮に初詣に行った。
昨日も実はM神宮に昨年最後のお参りに行ったのだけれど
もう新年の準備はほとんどできている感じだった。
宮司さんの息子さんが白い装束を着て室内の細かい準備を
しておられるようなご様子だった。
そのような作業のかたわら、宮司さんの息子さんは
子供をだっこして記念撮影にも応じておられた。
元旦は初詣の方が多いから境内で記念撮影に応じるのは
難しいだろうけれど大晦日ならそれが可能だ。
やはり、ちょっと人と違う日にお宮へいくメリットはあるようだ。
宮司さんの息子さんはイケメンで子供への声のかけ方も
「いい子にしてたねえ」などとてもうまいからお母さんがたに
人気があるのかもしれない。
というよりも記念撮影の様子をチラッとみていると
おかあさんよりもおばあちゃんの方がはりきっている様子だから
年配の女性に人気があるのかも知れない。
ここのお宮のお茶会に毎月茶道具を販売に来ている女性も
「宮司さんの息子さん私より年下とわかってから急に
タメ口になっていました」とおっしゃっていた。
いつもは本殿の前、中央にあるお賽銭箱が
左右に拡張されていて投げ銭を入れられるようになっていた。
古いお札を納める場所と新しいお札を受ける場所が用意されていて
ほんとうに神道は年毎に新たにという考え方なんだろうなと思う。
日毎、月毎、年毎新たに祈っていくという考え方が大切なのだろうと思う。
結局払い清めという考え方はそういうところに通じるような気がする。
流れる水は腐らないという考え方にも通じるように思う。
お宮の手水には常に水が流れている。
ここのお宮は手水のところにM天皇の御製があり僕は手を洗う前に
その御製を読むようにしている。
下の句が人も心を磨けとぞ思うとなっていて
さらに、心とともに姿も正しく。と書いてある。
心とともにすがたも正しくというのはお歌の付記のようなかんじになっているけれど
僕はそれもとても好きだ。
それを僕が読んでいると僕の向かいで手水を使っていたお父さんが
小さいお嬢さんに「ここではね、まず右手にひしゃくを持って左手に
水をかけて」と手水の使い方を教えておられた。
こうして、親から子へと文化が継承されていくのはいいことのような気がする。
もみじはもうすっかり枯れ枝になっていて、J天皇都忘れの菊も
もうすっかりしおれている。
やはり菊と紅葉の見頃はほとんど同じだったんだなと思う。
今までこのお宮に来ると桜ともみじの葉の色の変化にばかり気をとられ
気づかなかったけれどこのお宮には榊も多い。
普段、榊の葉は玉串ように枝だけとったものを見慣れているので
榊の木って意外と高く育つんだなと感心してしまった。
いつかここの宮司さんが「榊は常に緑」とおっしゃっていたことを思い出した。
日々新た年毎に新たというのも大切だけれど
いつも変わらないということもまた大切なような気がした。
鳥居からお宮の門に至る参道ではフランクフルトやフライドポテトを売っていた。
フライドポテトを見るとMcDonaldのポテトよりもかなり長い形になっている。
これが屋台でポテトを販売する方のこだわりなのかなと思った。
験担ぎにポテトかフランクフルトを買おうかなと思ったけれど
ちょっと脂っこいものを食べたくない気分だったのでやめた。
今はナッツや柿の種など脂質の多いものがおやつの定番になっているので
ちょっとそれ以上に脂っこいものを食べるのもどうかという気持ちもあった。
それにしても町は人通りが少ないしお店も大半はしまっている。
僕は以前元日に新幹線にのって帰省することが多かった。
経験上、元日は新幹線がすいていたから。
町も元日は人が少ない。
普段町にあれだけ出ている人は今日はどこにいるのだろうと思った。
スーパーに買い物にいくと、寝床から起きてそのままスーパに来たという
感じの方もいらしてお正月だなあと思った。