ケンのブログ

日々の雑感や日記

一月十八日

2018年01月18日 | 日記
今日は晴れていてこの時期にしては暖かいと思う。
隣町の市民交流センターでアマチュアカメラマンの写真展を見る。
何気に揖斐川など僕の故郷岐阜県の風景写真も展示してある。
故郷岐阜県にこんな美しい風景があったのかと
写真展や絵画展ではじめて知ることも多い。
ここの写真展や絵画展に足を運んでいると
いながらにして全国を旅行してような気分になる。
先日須磨の海岸に行ったとき沖の船は水平線に沿って並んでいるように
見えたけれど今日の写真展でも夕暮れの明石の海の沖の船は
やはり水平線に沿ってならんでるように見えた。
アマチュア絵画展は女性の方が多いけれどアマチュア写真展は
男性の方が多い。
きっとカメラというメカが介在するためたと思う。
中学生のころ「女はメカに弱い」というのが口癖の男子クラスメイトがいた。
いまはどうなのだろう。
交流センターの女性職員同士がパソコンのワープロソフトを開いて
ここを切り取ってここにはりつけます。 ああほんまやできるね。
と二人で話し合っていた。ほとんどお裁縫の感覚かなと思う。
メカでもこういう分野は女性の方が強いのかなと思ったりする。
青少年センターに来るとやはり真面目に勉強している子が何人かいる。
エレベーターホールの前におばちゃんがの集団がやってきた。
高校生の子から見るとおばちゃんとは40代くらいの人だろうけど
55才の僕にとってはおばちゃんとは60過ぎの人と言うことになる。
僕の目から見ると40代は十分に若い。
その僕の目から見たおばちゃんたちの集団は声がでかい。
エレベーターホールに残響が響き渡っている。
僕も声がでかいので人のことは言えないけれど
おばちゃんたちがエレベーターでしたに降りて
静寂が戻った。
ちなみに僕はしたに降りるときは基本エレベーターは使わない。
階段で降りる。
今度は高校生の男の子二人がエレベーターホールに出てきた。
二人で話しているけれど声が小さいので何を話しているのかわからない。
ただ、一問一答という単語だけが耳に入ってくる。
例年2月から始まる私大の試験のために日本史のまとめをしているのかな
と思う。
そうおもってその子達がいた机にちらっと目をやると
私大の赤本がおいてあった。
合格しろよ、と思う。
白鵬、昨日のこけかたが前回怪我をして休んだときのつんのめりかたに
そっくりだったので、これは怪我かそれとも立ち会いをぼろかすに言われ
急遽立ち会いのパターンを変えたのでリズムを崩ししたのかどちらかだな
と思っていた。
そうしたら、今日発表の怪我が前回の怪我の時にそっくり。
今場所は十勝五敗くらいにまとめてまた来場所騒動のほとぼりが
さめたころから出直してくれればという極めて白鵬贔屓の願望を
持っていたのだけれど、休んで正解のような気がする。
稀勢の里両腕万歳のような形で苦し紛れに前に出ていったら
逆に体を降られて負けたという感じになっている。
かといってあのまま万歳していたら逆に相手に出てこられて
小手投げをふって怪我をしたときと同じパターンになってしまう。
もう対策のほどこしようがないという感じに素人目には見える。
このままだと二桁敗戦もあるような勢いになってしまった。
もう言葉がない。
7敗になった時点で休むとかタイミングがあるのかなと思う。
横綱皆勤負け越しもありなのだろうけれど
同じ負け越しでも7勝8敗ならまだしも
二桁敗けは世論がどうなるかわからない。
このまま引退したら、横綱になったとたんに
怪我をしてひとつもいいところなしに
横綱として史上最低の勝率になってしまう。
そんなことを考えていると稀勢の里ファンのかた、そして
本人、また部屋や一門の方の気持ちを案じてしまう。
もう、しっかりしてくれよの一言だと思う。
大関時代の稀勢の里の相撲からは考えられない敗けの混みかたなので
きっと怪我が回復しないままでているのだと思う。
あるところで稀勢の里は休むと不安になるので出ている
と書いてあったけれどその気持ちは僕なりになんとか想像ができる。
僕は相撲を見るときはここのところ白鵬一辺倒だったので
稀勢の里の相撲ってあまり知らないのだけれど
頭にあるイメージとしては稀勢の里は強いけれど
千代の富士の前みつ、北の湖の右上手
輪島の右おっつけというようにこれという
必勝のイメージがあまりなく地力にものをいわせて
流れの勢いのなかで気づくとじみに二桁の勝利をあげている
という感じだった。
あまり、みていないのであくまでイメージだけれど。
本当に白鵬ファンの僕でさえどうなるのだろうとどきどきしてしまう。
白鵬の張り手とかちあげのことだけれど
いまの相撲をみていると頭で当たりあう相撲が多くなっているように思える。
かくりゅうは今場所頭で当たってあたまのかさぶたが吹き飛んで
血を流している場面が何度もあった。
二代目朝潮は頭で当たってごつんとなったとき
怪我もなにもしていない額が割れて出血して
医療用接着剤でそれをくっつけてそれでもまだ頭で当たっていた。
頭で当たるって言い方を変えれば頭突きだと思う。
頭が割れてまで頭突きをしてもなにも言われないどころか
「頭が割れるときの朝潮は調子のいい証拠です」とアナウンサーからも
解説者からも誉められていた。
人の頭だとおもってアナウンサーもよくいうなあと思っていた。
自分の頭が割れてもそれでもなおかつあたまで当たっていく
気迫がアナウンサーにあるだろうかと。
頭突きは誉めれるのに、はりてとかちあげはぼろかすいわれるのかと
白鵬ファンとしてはやるせない気持ちになってくる。
僕は相撲関連の検索をすることが多いので相撲のニュースが
タブレットの上位に表示される。
さっそくテレビタレントの白鵬休場って
はりてとかちあげがなかったら40回の優勝はなかったってこと?という
コメントが出ている。
本当にこのタレントのかたちゃんと見た上で
自分の考えを吟味した上でいっておられるのだろうかと
思ってしまう。
まあ、張り手とかちあげも含めて40回の優勝だとは思うけれど、、、。
それにしても、一流のアスリートには一連の流れがある。
具志堅さんもワンツーパンチをマスターしたとき
もうワンツーでセットで体が覚えているから
ワンで相手が倒れてもツーは自然にでてしまう。
それをだめ押しパンチだと言われてワンで止めると
腰をひねってこちらが怪我をしてしまうという趣旨のことを
もう時代が過ぎて時効になったことだからという条件付きで
話しておられた。
王さんの打撃も一本足打法と言われるけれど
ホームベースの前にバットをちょこちょこ出したり
ホームベースとバットでポンとたたいたり
一本足に入る前にいろんな動作があった。
落合さんもまず右足をバッターボックスの一番キャッチャーよりに
入れるところから始まっていた。
本当は僕がしらないだけでベンチの中のしぐさから始まっているのかもしれない。
イチローもバッターボックスに入る前の屈伸運動とか
いろいろあると思う。
一流のアスリートにとって一連の動作のひとつを止められることが
どういうことなのか僕たちはいろいろと想像してみるべきなのだと思う。
白鵬も立ち会いに手を出すことが最近は流れになっていて
その流れをただでさえ怪我で力があるていど落ちているかもしれないときに
とめられてしまったというのが白鵬贔屓の僕の解釈ということになる。
もういちど張り手のない立ち会いの完成というのは
いかに白鵬にとっても厳しいのではないかと案じてしまう。
張り手かちあげがないとわかれば相手は
まずは左上手を防ぐこと一本に絞ればいいわけだろうし。
これではプロ野球のピッチャーが球種を読まれているのと
同じような条件になるのではないかと思ってしまう。
プロのバッターはあらかじめ球種がわかれば
かなり高い確率で打つらしい。
言うまでもないことだけれど白鵬の相手も
番付上位のプロの相撲取りだ。
そんなことを考えるといったいどうなることだろうと思ってしまう。