ケンのブログ

日々の雑感や日記

一月十七日

2018年01月17日 | 日記
くもりや雨のお天気。いまの時期にしてはそれほど寒くないと感じる。
しかし、傘を出したり入れたりやっぱり雨は面倒だなと思う。
雨が降らないと水不足になるとわかってはいるのだけれど。
一月十七日という日付を見て阪神大震災の日だなと思う。
あれからもう23年にもなるのかと思う。
あの日僕は大阪東住吉区のマンションで寝ていた。
地震がきたときゆれが強くて怖かったので掛け布団が
顔と頭全体をおおうようにかぶって揺れているあいだずっと
念仏を唱えていた。
強いゆれが長く続いていつまで続くのだろうとおびえていたけれど
やがてゆれがやんだのでほっとしてまた寝た。
朝8時頃に起きて地下鉄の駅に行くと駅のシャッターが降りていた。
地下鉄は運休になっていた。
そうか、運休かとおもってマンションに戻ってテレビをつけると
横倒しになった阪神高速や煙をもうもうとあげている神戸長田区の様子
そんなものがテレビの画面に映っていた。
ひどいゆれだとはおもったけれどこう神戸がこんなことになってると
地震が来て3時間以上たってやっと悟った。
その次の日同じ会社に勤めている人が車に乗っていて
地震でできた断層の手前で急ブレーキを踏んで
車は断層の一歩手前で止まり断層のしたには落ちなかった。
その人は会社のオフィスに戻ってきて
「いのちからがらですわ」とおっしゃった。
自分の席についてボーッとしたまま、その人は一日
仕事がてにつかず方針状態だった。
やっと鉄道が復旧した頃勤めていた予備校の
広告をもって甲南大学に手配りに行った。
JR芦屋の駅で降りると芦屋と書いた駅のプレートは
30度くらい斜めに傾いていた。
いまもJR芦屋を通って芦屋という駅のプレートを見ると
そのときの光景が目に浮かぶ。
駅から大学へ向かう道はいたるところにひびが入り
歩道のブロックはあちらこちらで壊れていた。
傾いた家もあった。
一緒に手配りに行った女の子はその光景を見て泣いていた。
それはあれをみたら泣けるだろうなと思った。
なんとも言えずわびしい光景、いまも忘れることができない。