甲村図書館でナカタさんが佐伯さんとあっているころ、カフカ君は高知の山小屋からさらに森の深くへ入って行きます。
―僕は足をとめて、水筒の水でのどをうるおす。腕時計の針は11時ちょうどをさしている。―
から続く、高知の森で図書館を思い出す場面が好きです。
遠くの人を思っている感じ。
ソウルの生放送を聞いているような?
(honeybeeさんならわかってくれるよね?!)
日本語と韓国語と文の感じが違うな~と思ったのが、
참을성 많은 후렴이 조금씩 현실의 장을 므너뜨리고 재편성해간다.
「我慢強いくりかえしがわずかずつ現実の場を切り崩し、組みかえていく。」
참을성 많다 で「我慢強い」なんですね、
ちなみに 붙임성 많다 が「人懐っこい」です。
うちの子がいつも言われる言葉。
재편성해간다 再編成하다+가다 で「組みかえていく」
漢字語の使い方が違うと、お、と思ったり。
「再編成」くらいの漢字語って、読めるときと読めないときがあって、読めなくてマルをつけたら次の時にはすらっと読めたり、逆にマルついていないのに次に読んだら読めなかったり・・。
このくらいの言葉は本に直接漢字語を書き込んでしまいます。
最後に副詞をふたつ。
ひとつは最初の方で
하늘은 잔뜩 흐려 있고 「空はどんよりと曇って」
잔뜩 は1.ひどく、すっかり 2.いっぱい、たっぷり、たくさん
の意味があるのですね~。
私は2の方しか知りませんでした。
もうひとつが、
그러나 그곳은 아주 멀리 있다 「しかしその場所はひどく遠いところにある。」
멀리 は副詞なのですね~。
名詞だと思っていて(名詞的な用法も確かにあるんですが)、
私が作文したら 아주 멀리에 있다.にしただろうなぁ。
でも 멀리에 있다 よりも 멀리 있다 のほうが断然かっこいいですね!
こういう自然でちょっと文学的な表現って教科書じゃなくて実際の文章を読むのが一番ためになりますね。
―僕は足をとめて、水筒の水でのどをうるおす。腕時計の針は11時ちょうどをさしている。―
から続く、高知の森で図書館を思い出す場面が好きです。
遠くの人を思っている感じ。
ソウルの生放送を聞いているような?
(honeybeeさんならわかってくれるよね?!)
日本語と韓国語と文の感じが違うな~と思ったのが、
참을성 많은 후렴이 조금씩 현실의 장을 므너뜨리고 재편성해간다.
「我慢強いくりかえしがわずかずつ現実の場を切り崩し、組みかえていく。」
참을성 많다 で「我慢強い」なんですね、
ちなみに 붙임성 많다 が「人懐っこい」です。
うちの子がいつも言われる言葉。
재편성해간다 再編成하다+가다 で「組みかえていく」
漢字語の使い方が違うと、お、と思ったり。
「再編成」くらいの漢字語って、読めるときと読めないときがあって、読めなくてマルをつけたら次の時にはすらっと読めたり、逆にマルついていないのに次に読んだら読めなかったり・・。
このくらいの言葉は本に直接漢字語を書き込んでしまいます。
最後に副詞をふたつ。
ひとつは最初の方で
하늘은 잔뜩 흐려 있고 「空はどんよりと曇って」
잔뜩 は1.ひどく、すっかり 2.いっぱい、たっぷり、たくさん
の意味があるのですね~。
私は2の方しか知りませんでした。
もうひとつが、
그러나 그곳은 아주 멀리 있다 「しかしその場所はひどく遠いところにある。」
멀리 は副詞なのですね~。
名詞だと思っていて(名詞的な用法も確かにあるんですが)、
私が作文したら 아주 멀리에 있다.にしただろうなぁ。
でも 멀리에 있다 よりも 멀리 있다 のほうが断然かっこいいですね!
こういう自然でちょっと文学的な表現って教科書じゃなくて実際の文章を読むのが一番ためになりますね。
この章で갈다(研ぐ)の過去連体形간が二度出ていますね。
「コーヒープリンス1号店」でウンチャンの妹が朝帰りのウンチャンに「엄마가 칼을 갈고 있어」って言ってましたっけ。恐~い(^^;)。
カフカ君は、この章の最初では、迷うことを恐れて色々なものを携帯していますけど、最後はナイフ以外のものを捨ててしまうんですね。
うふふ。
さすがにこの場面では思い浮かばなかったんですけど
言われてみればそんな感じ(笑)
ハーちゃんさんの
숫돌에 간~(砥石で研いだ~)みたいな文章のことですね
간と書いてあると全然갈다が思い出せないんですよ^^;
私は擬態語が苦手で、짱그랑(がちゃん)とか딱(ぽきん)とか지끈지끈(ぽきっぽきっ)とか
何度出てきても覚えられません…
失礼しました
ふふ、いいですね。
엄마가 칼을 갈고 있어
使えるチャンスないかな~?
>honeybeeさん
그럴 줄 알았어요..ㅋ
ネットラジオがつながらなくて、韓国戦盛り上がっているんだろうな~。と想像してました。
짱그랑 は覚えました~、そういう環境で勉強してるからかな~。
멀리서도 아릅다나봐~と。
で、たまさんの解説をみて、あっ!
멀리 있어도 아름답나봐~かも?と思いました。
こちらが正解でした。
아릅다나봐じゃなくて아름답나봐です。
2回目はちゃんと打てているのに。。。
すみません。変なコメントで
で、その話をすると「誤打が~」って言っちゃって通じないっていう。
멀리서 멀리에서 と両方あるのかな?
멀리서 멀리서 멀리서 그대가 오네요
덜리는 내 마음 어떻게 달래야 하나요?
の歌詞のイメージが強くて~。
これまでは、カフカを客観視しているだけのものの言い方だったんですけど、この章ではカフカと対話して助けるような感じになっています。
303ページの太字の部分くらいまでは客観的な物言いだったのが、その後太字じゃなくて普通の文となってそこで語られる部分です。
글쎄,네가 해야 할 일은 아마도 네 속에 있는 공포와 분노를 극복하는 일일 거야.
내가 말하는 것을 이해할 수 있지? 지금이라도 늦지 않았서.
なんか微妙に人間的な感情を持って、カフカに語りかけてるような感じがします。
この変化って何か意味があるのでしょうか。
私はこの小説自体があちらの世界(無意識の世界とでもいうような・・)と現実の世界の話だと思うのですが、カラス少年はあちらの世界のカフカ君の投影なのかな?と思っています。
カラス少年はカフカ君の無意識であり自意識でもあるのかな?と思って。
二人での対話になっているけど自問自答というか。う~ん、うまく説明できなくてすいません。