遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉268 小説 埋もれて(2) 他 歌謡詞 港の灯り

2019-11-10 13:25:17 | つぶやき
          港の灯り(2019.10.29日作)

   港にあかい 灯がともる
   街は日暮れて 風の中
   かもめよ かもめ 一緒に帰ろう
   ここは淋しい 港町
   愛した人は 今日もまた
   帰らない

   錨ににぶい 波の色
   浮かぶ煙草も 捨てられて
   かもめよ かもめ 一緒に帰ろう  
   あれは壊れた 古い船
   愛した人と 肩ならべ
   見たあの日

   港にくらい 夜が来る
   闇に浮かんだ 船の影
   かもめよ かもめ 一緒に帰ろう
   みんな帰った 大通り
   愛した人は 今日もまた
   帰らない 


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         埋もれて(2)

 陽子を通してのみ母を見ていた三歳違いの信子には、物言わぬ母は、家庭の中の一つの風景にしか過ぎない存在でしかないようであった。信子の心には、母のいない風景もまた、深い影を落とす事もないらしかった。
 陽子はそんな信子の屈託のない言葉に微かな憎しみさえ覚えて、その勧めを聞き入れようとはしなかった。
 信子は母の三回忌が過ぎると、その半年後に会社の同僚と結婚した。
 誰からも祝福された結婚だった。
 陽子の結婚はそれから二年半後だった。婚期の遅れを気にした父の姉が見合いの相手を探して来てくれての事だった。
 陽子に取っては気の進まない話しだった。母のいなくなった悲しみはまだ、陽子の気持ちの中では整理が出来ていなかった。
「家の事は心配しなくていいのよ。お父さんは陽ちゃんが気に入った相手と結婚出来るんなら、お店の跡継ぎがいなくてもいいって言ってるんだから。それにお父さんだって五十八になったばかりだし、陽ちゃんがいなければいないでまた、再婚だって出来るんだもの」
 伯母の話しは満更、父の再婚話しを進める為ばかりとも思えなかった。伯母が陽子の身の上を心底心配している気配は、陽子にも充分に感じ取れた。
 その時、陽子はふと、思った。父が夕食の食卓で見せる、どことなく寂しげな表情だった。同時に、知らず知らずのうちに父の晩酌の量が増えている事にも、改めて気付かされた。母への思いにだけ囚われ、今まで顧みる事のなかった父の存在が急に胸に迫って来て、陽子は苦しくなるのと同時に、父はわたしの結婚をどう思っているんだろう、と考えていた。寡黙な父の心の内を覗いてみたい気がした。
「お母さんだって、陽ちゃんが幸せになれるんだったら、きっと、喜んでくれるわよ」
 伯母は言った。
「お父さん、わたしがいなくなったら、再婚するかしら ?」
 陽子は言った。
「聞いた事はないけど、すると思うわ。でも、あとの事はわたしがなんとかするから、
心配しなくていいのよ」 
 陽子が見合いをした相手は、二歳年上の銀行員だった。
 際立った才気も感じられない代わりに、人柄は悪くはなさそうだった。
「山歩きが好きなものですから、休日のたびに出掛けていて、結婚の話しなどには耳を貸さなかったんですよ。でも、わたしが体を悪くして二か月程入院したものですから、急に心境が変わったみたいなんです。この人の兄夫婦が同じ敷地内に住んでいますので、もし、御縁があって結婚という事にでもなれば、別に所帯を構えて戴く事になりますけど」
 品の良い相手の母親は言った。
 陽子の父も見合いの相手に不満はないらしかった。帰りのタクシーの中で、
「感じのいい男だね」
 と、上機嫌で言った。
 陽子は家へ帰って二人だけになると父に聞いた。
「お父さん、わたしがいなくなっちゃって淋しくない ?」
「淋しくなんかないさ。みんなと仕事をしていれば、そんな事、考える暇なんてないよ」
「でも、ご飯の支度なんかどうするの ?」
 父は苦笑した。
「そんな事、自分で出来るさ。子供じゃないんだから」
「伯母さんは、再婚した方がいいって言ってたわ」
「バカ、余計な心配はするな」
 父は笑って言ったが、すぐに背中を向けると何処かへ行ってしまった。
 陽子はその見合いから三か月後に結婚した。総てが慌ただしく、それでも順調に進んだ。
 父が再婚したのは、それから二年程してからだった。
 相手は父より五歳下の、やはり連れ合いを亡くした独り暮らしの女性だった。

 陽子の結婚生活は幸福なものだった。
 一年後に長男の悟が生まれた。
 夫の宗次は家庭的だった。陽子が辟易するぐらいに悟を溺愛した。その溺愛ぶりに苦言を呈しても、一時間後にはまた、同じ事を繰り返していた。何処かに柳に風といった風情の夫との間には、口論さえも起こらなかった。
 悟がよちよち歩きを始めると夫は、待ち構えていたかのように、あちらの公園、こちらの遊園地と、休日ごとに連れ歩いた。穏やかな陽ざしの中で咲き誇る花々や、様々な遊具に囲まれて夫と子供と共に過ごす無為の時間が、陽子に取っては限りなく幸せな時間に思えた。「女性の自立と社会心理」と題して、颯爽と弁論大会の演壇に立った先鋭的な陽子はそこにはいなかった。当時は虫唾が走るような思いで毛嫌いしながら眺めていた「幸福な小市民的家庭の主婦」そのものに成りきっていた。 
 そんな折り、ふと眼にする女子高校生などの姿に、過去の自分の姿を重ね合わせている事がないではなかったが、それでも陽子はなお、現在の自分を卑下し、否定する事は出来なかった。今の陽子には、穏やかな日常が掛けがえのないものであり、夫と悟を通して見る世界の一つ一つに、これまで知り得なかった命の輝きを見る思いがして、過去の、肩肘張ったように生きていた自分が、未熟な跳ね上がりでしかなかったようで、赤面する思いだった。
 母を失った哀しみは、日々、驚く程に成長を見せる悟にそそぐ眼差しの中で、次第に遠いものになって行った。
「幸せな家庭を持てて、良かったわね」
 日常の折々に、ふと、浮かんで来る母の面影が、いつもそう、言ってくれているように思えた。
 不思議に物言わぬ人となった病床の母の姿は浮かんで来なかった。同時に陽子は、近頃とみに自分が総ての面で、母に似て来ている事を意識するようになっていた。台所で包丁を持っている時、洗濯物を畳んでいる時、無心でいる時に限って、母の癖をしっかりと身に着けている自分に気付いて、思い掛けない驚きに捉われた。改めて、亡き母が懐かしく偲ばれたが、それでも以前のように気持ちの滅入る事はなかった。今の陽子には、夫がいて、悟がいた。
「この幸せをしっかり生きるのよ」 
 心の内に見えて来るは母は、いつも、そう言ってくれているようだった。

 高杉春江を初めてテレビで見た時、陽子は奇妙な落ち着きのなさを覚えた。
 記憶の奥に眠る何かを掻きまわされたような、不思議な思いがした。
 高杉春江は四月から始まる朝の新番組にコメンテーターとして、毎週、月曜日に出演するとの事であった。
 S大学を卒業した後にアメリカへ渡り、M大学で学び、帰国してからは、N短期大学で助教授として教鞭を取っているとの事であった。
 ストレートに肩までたらした髪がよく似合う、一見、タレント風の派手な感じの小柄な女性だった。陽子と同じ年代かと思われたが、若造りの服装のせいで、その年齢を感じさせない華やかさがあった。打てば響くように答える如才のない話術の巧みさが、如何にも聡明な感じを与えていた。
 陽子はその高杉春江が画面に映っている間中、いったい、何処で見た人なんだろう、と考え続けていた。陽子の乏しい交友関係の中で思い当たる人はいなかった。母が入院していた病院で会った人の中にも心当たりはなかった。
 高杉春江はそれ以降、様々な番組で頻繁に顔を見せるようになっていた。陽子はそんな高杉春江を見るたびに、何か奇妙な落ち着きのなさを覚えて、それを解き明かそうとしたが、いつも上手く出来なかった。

 陽子が二人目の子供、孝を身籠ったのを知ったのは、その年の十月だった。
 
 
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         KYUKOTOKKYU9190 様

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