希望の明日(2021.1.6日作)
悲しみの 涙なら
昨日で さよなら
今日は今日 昨日じゃないさ
明日に続く 一日なのさ
この頬に 流れる涙
つらくて流す 涙じゃないさ
明日へと 顔を 真っ直ぐ向けて
青空仰ぐ 希望の涙
この肩に 人生の
荷物は 重いけど
今日は今日 重荷に耐える
いつもに続く 苦しみじゃない
逞しく 生きてく時に
ほほ笑むだろう 幸せだって
喜びに 頬を 真っ赤に染めて
見詰める未来 希望の明日
愛があるから(2021.1.7日作)
愛があるから 幸せなのです
見つめ合うから 幸せなのです
いつもいつも あなたと一緒に
朝の光りを あなたと一緒に
ちっちゃなオレンジ あなたと一緒に
いつも二人で 分け合う喜び
ああ今 生きている この素晴らしさ
愛があるから 楽しいのです
信じているから 嬉しいのです
いつもいつも あなたと共に
暗い夜道も あなたと共に
しょっぱい涙も あなたと共に
いつも二人で 越えてく喜び
ああ今 生きている この素晴らしさ
ーーーー----------------
川の流れの中の子猫(完)
「うん、なんだろう ? あれ・・・猫じゃない ?」
京子は言った。
「猫 ? ・・・・・」
黒い小さな生き物は、わずかに水の上に突き出た岩状の石の上で右往左往していた。
京子も春江もだが、遠目には、はっきりと確認出来なかった。二人は注意を凝らしたまま歩いて行った。やがて、水の流れの激しい水音の中に、か細い、紛れもない猫の鳴き声が聞こえて来た。
「ほら ! やっぱり猫よ」
京子は春江を振り返り、少し興奮した面持ちで言った。
「ほんとだね。ちっちゃな子猫だね」
春江も言った。
子猫はすでに全身、びしょ濡れになっていて、いかにも哀れっぽい声を上げてまるで二人に助けを求めるかのように小さく鳴き続けていた。その体が寒さのためか、小刻みに震えているのが遠目にも分かった。
「どうやって、あんな所に行ったのかしら ?」
京子は子猫を見つめたまま言った。
「捨て猫かも知れないね」
春江が言った。
子猫はしきりに首を伸ばしては水の面を探って、脱出の道を見つけ出そうとしているらしかったが、鼻面の先を激しく流れる水の勢いに驚いたようにすぐに顔を引っ込めてしまった。
「そうだね、きっと」
京子も言った。
まだ手の中に収まってしまいそうな程に小さな子猫は、一たび大きな流れが来ればたちまち水の中に引き込まれてしまいそうで、頼り無く、京子は見ているだけけで気が気ではなかった。
春江も成す術がないかのように、京子の傍らで息を詰めたように見守っているだけだった。
水の流れはなお治まる気配がなく、時には子猫の足元を濡らして、岩の表面を被いながら流れて行った。それを見ていた京子はふと、何を思ったのか、突然、
「春ちゃん、これ、持ってて」
と言いながら、自分の持ち物の鞄を春江に突き出した。
「えっ、どうするの ?」
春江は京子の必死な様子に驚いて、差し出された鞄を手にしながら問い返した。
「あの子猫、助けて来る」
子猫に視線を向けたまま京子は強い口調で言った。
「助けて来る ?」
春江は呆気に取られたように言った。
「うん」
京子は言った。
「どうやって ?」
春江は理解し兼ねるように言った。
「川の中に入って」
京子は言った。そう言いながら京子は子猫に視線を向けたまま早くも、靴と靴下を脱ぎ始めていた。
「駄目だよ、そんな事をしたら危ないよ。流れがあんなに速いんだから、無理よ」
春江は強い口調で押し留めた。
「大丈夫よ。あの辺はまだ浅いと思うから、歩いて行けるわよ」
京子は既に堤防を降り始めていた。
「危ないから、やめた方がいいわよ」
春江は京子の背中に言った。
「大丈夫よ。ほら、そんなに深くないから」
早くも堤防を降りてスカートをたくし上げながら、葦の繁茂する水辺に入っていた京子は楽観的な声で答えた。
京子自身、危険を感じていない訳ではなかった。流れは速く、その水かさも普段、見慣れた川の姿とは異様に異なる姿を見せていた。少しでも気を緩めれば、白い波立ちを見せて渦巻く流れに、たちまち足を取られてしまいそうな恐怖を感じていた。にも係わらず、その時京子は、なぜか、そのまま子猫を川の流れの中に放って置く事が出来なかった。小さな岩の上で右往左往する子猫の姿が何故か、京子自身の姿に重なって来て京子は、何かに対する激しい怒りにも似た気持ちに囚われながら、更に流れの激しい中へと足を踏み入れていた。
子猫は小さな岩の上で京子が近付いて行くのを見ると、動物ながらに何かを悟ったかのように、甘えるような声を上げて小さく鳴いた。
「よしよし、今、助けてあげるからね。待っていなさい」
京子は子猫に声を掛けると、足元を探りながら少しずつ近付いて行った。
葦の生い茂る川床は泥化した状態で足がその中にめり込んだ。それでも歩く事は出来た。
だが、足先で探る川底はやがて、子猫のいる小さな岩の近くに来ると、急に深さを増している気配が感じ取れた。子猫との距離はその間、手を伸ばせば届く程の近さになっていた。流れの激しさに気を配りながら手を伸ばせば、どうにか、子猫を助ける事が出来るかも知れない。京子は手を伸ばしながら子猫に声を掛けた。
「ほらほら、いらっしゃい。早くいらっしゃい。助けてあげるから」
だが、子猫はいざとなると、手を差し延べる京子を恐れるかのように岩の上で尻込みをしていた。子猫がこちらへ寄って来れば手が届くはずだと思っても子猫は、容易には近付いて来なかった。
「何をやっているのよ。助けてあげるって言うのに」
京子は子猫に語り掛けた。
「大丈夫、届く?」
堤防の上で京子の鞄を持ったまま見詰めていた春江が言った。
「うん、もう少しだけど、近寄って来ないのよ。こっちへ来れば手が届くんだけど」
京子は言った。
片手で押さえてたくし上げていたスカートが濡れそうになり、慌てて両手を使ってさらに下着が見える程までにたくし上げた。それから再び、子猫に手を差し延べながら、
「こっちへいらっしゃい。怖がる事はないのよ。助けてあげるんだから」
と静かに声を掛けた。
子猫はそれでようやく、危険のない事を感じ取ったらしく、鼻を寄せるようにして京子の手に近付いて来た。
「ほらほら、いらっしゃい。そう、もっと近く」
と言った時、子猫は京子の手の匂いを嗅ぐかのように顔を寄せて来た。
咄嗟に京子はその子猫の喉元を手の先で掴み取った。
子猫は京子の手の中で一瞬、暴れたが京子が胸に抱えると静かになった。
「ああ、よかった。やっと助かったわね」
京子は安堵の声と共に言って、さらに強く子猫を抱き締めた。
「捕まえられた ?」
春江が声を掛けて来た。
「うん。大丈夫。もう、大丈夫」
京子はそう言って春江の方を振り返ろうとしたその時、足元の泥が崩れて京子は滑っていた。と同時に激しい流れが京子を巻き込んでその体を翻弄していた。
京子は激しい流れの中で必死に態勢を整えようとしたが、流れは更に京子の体を巻き込んでいた。堤防の上に居た春江にはその時、何も出来なかった。
「京子 ! 京子 !」
懸命に叫びながら春江が堤防を駆け下りて来た時には京子は、葦の途絶えた流れの中を下流へと流されていた。春江はそれでも必死に追い掛け、流れの中に飛び込み、追い掛けたが、既に手の届く距離ではなかった。
溺死した京子の遺体が発見されたのは、それから八日後だった。
京子は激流の治まった川の浅瀬の葦の茂みの中に、しっかりと子猫を胸に抱き締めたままで浮かんでいた。
春江はその時、運よく、自転車で通りかかった釣り人によって、溺れかけたところを助けられていた。
完
----------------
桂蓮様
今年もどうぞ 宜しくお願い致します
何時も御丁寧なコメント有難う御座います
わたくしも桂蓮様とお知り合いになれました事を
とても嬉しく 貴重に思っています
これからも宜しくお願い致します
わたくしの書くものの会話が甘いとの事
そうです 甘いかも知れません
なるべく日常を離れないもの 日常生活の中の
人の生きる世界での細やかな心の動きを写し取って
そこに 人生の真実を見詰めてみたい
と思っていますので 会話も平凡
日常的なものになり勝ちです
日本の小説で言えば志賀直哉や芥川龍之介の後期の
短編などを目指していますので どうしても波乱万丈
変化には乏しいものになるかも知れません
また たとえば日本映画の世界では
小津安二郎 黒澤明 この二人にたとえると分かり易い
かも知れません
小津映画はさり気ない日常会話や日々の生活の中に
人間の真実を見詰め 描き出していて
世界に冠たる地位を占めています
一方 黒澤映画は豪快無比 波乱万丈の激しい世界を
描いてこれもまた 世界に冠たる地位を占めています
桂蓮様の御指摘は黒澤映画に近い世界をという事と
お受け取り致します
わたくしの目指しているものはむしろ小津映画に近い
世界ですので あるいは退屈にお感じになられるのかも
知れません そして わたくしには 波乱万丈の世界は
ちょっと無理かも知れません
小津監督も「豆腐屋は豆腐しかつくれない」
と言っています
肉汁の滴るステーキは豆腐屋には無理だという事ですね
貴重な御指摘 有難う御座います
わたくしも何時かは悪に染まった人間の心の内を
書いてみたいとは思っております
御主人様との仲お睦まじい御様子
すっかり当てられましたが 何よりも人の
御幸福な様子を拝見するのは嬉しいものです
トランプ 相変わらず 開いた口が塞がりません
アメリカの民主主義は何処へ行ってしまったのでしょう
最悪の大統領です
この大統領は大統領という職種をテレビの司会と
同じようにしか見ていないかのようです
箸にも棒にも掛かりません
弾劾される事を願っています
有難う御座いました
takeziisan様
昨年中はいろいろ御気にお掛け戴き
有難う御座いました
今年も宜しくお願い致します
とは申しましても 御気に召す物が
出来ますかどうか心許無い状態なのですが
ブログ 拝見させて戴きました
餅つき器 わが家でも もう 何十年も使っています
正月一度きりの使用なので長持ちがするようです
七福神巡り まあよくお出掛けになりますね
わたくしは近所の神社にも参った事がありません
家族や兄妹は正月に集まるとお参りにゆくのですが
わたくしにはどうしても「神」という存在が
信じられないのです
もし 神が居たら このコロナ災厄を黙って
見過ごしているでしょうか そんな気がするのです
あるいはこのコロナ災厄は神の人間社会に対する
何かの罰 戒めでもあるのでしょうか
まあ 理屈を並べましたが 世間の皆様のお心に沿って
神が今年こそは この世界に幸福と平和を
もたらしてくれる事を願わずにはいられません
相変わらずの美しいお写真の数々 慰められます
スイス旅行 良い思い出ですね 映像などでは
よく眼にしていますが 現実の空気の感覚
これは全く知る事が出来ません その意味でも
お羨ましく思います
川柳 相変わらず笑えます
ちょっぴりした皮肉 俳句には無い良さですね
これからもお待ちしております
スキーの思い出 九十九里浜の海の思い出とは
好対照ですが お気持ちはよく分かります
しかし われわれの年代になりますと
総ては夢の中の世界の出来事のような感覚に
なりますね 現実はただ 迫り来る
終末への不安に彩られた世界 日々ですので
どうぞ 今年も良いお写真 川柳 その他
野菜の収穫記事など 御豊富なブログをお見せ
下さいますようお願い致します
何時も有難う御座います
「しっかりと子猫を胸に抱きしめたままで浮かんでいた。・・・・。
京子が 自ら求めたようにも思えてなりません。
人間の心、機械のように割り切れないもの、物心ついてからずっと死ぬまで こびり付いて離れないものって多いような気がします。
ここで(2年前に)東京物語は観ました。
夫はその映画の雰囲気を絶賛して
Facebookにも投稿したことありましたが、
反響が全く無かったです。
黒沢監督は結構知られていますが、
小津さんは全く知りませんでした。
東京物語は何も期待せず、
評判がよかったので観始めたのでしたが
観ている間に映画の中に入っていく感じでしたね。
そう言えば、たまささまは
本当に小津風ですね。
市場の騒がしい風景より
デパートみたいな、
きれいに掃除されている雰囲気みたいな
キレイに整列されている感じが
似てますね。
実はコメント残してから
後悔しましたが、
まあ、書いてしまったことはどうもならないので、
市場の騒音を活気と感じる人もいれば
騒がしい、うるさいと感じる人がいますよね。
なにせ、市場でしか味わえない雰囲気もあるし、
デパートでしか変えない品質もあるわけですから、
まあ、両方が一片に一箇所で集まると
便利ではあるかもしれませんが
雑になりますよね。
甘い味はどうなんでしょう。
個人的には甘い味が嫌いなんで
(食べ物でも、好みでも)
好き好んで選ぶことは全くないのですが、
和菓子の甘さは許せる感じがします。
その面でいうと
たまささまは和菓子の甘さなのかな。
かといって、辛さだけ好きだとは言えませんが。
黒沢風は辛さかなと思ったり
とにかく、悪を扱うということは
エネルギーが必要で
ステミナー無くては扱いに要注意な感じありますね。
言ってみれば、たまささんが
辛辣な辛さを扱うようになると
それはそれで、色が異なる感じになるでしょうね。
淡い色に、突如蛍光色が入る感じになるのでしょうかね。
悪を扱って善を語るか
善を淡々と広げていくか、
それが覚悟たるものになるのでしょうか。
まあ、私も若かった時は
悪に魅力を感じた時がありました。
悪女を演じてみたりしましが、
あまり長続きしなかったです。
かといって善人になるための努力もしなかったのでしたが、
善人にはあまり惹かれないですね。
でも悪人と話したいとも思わないですけどね。
話があっちごっち飛びましたが
おかげで黒沢風と小津風が解りました。
甘いにせよ、辛いにせよ
私はたまささまの文頭の詩が好きです。
小説は味が薄い、京都の豆腐みたいな味ですかな。