田中雄二の「映画の王様」

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『シェーン』

2015-10-27 18:33:59 | 映画いろいろ

 東京国際映画祭の一環として、と言うよりもスターチャンネルの宣伝を兼ねて『シェーン』(53)のデジタルリマスター版が上映された。上映前には逢坂剛氏と川本三郎氏によるトークショーも行われた。

  

 今さらながら『シェーン』の粗筋を書くと、アメリカ西部開拓期、牧場経営者と開拓民が対立する緑豊かなワイオミングの地に、ガンマンのシェーン(アラン・ラッド)が流れ着く。開拓農民スターレット(バン・ヘフリン)一家と親しくなった彼は、一時、地道な暮らしを夢見るが、対立が激化する中、スターレットの身代わりとなり、再び銃を手に決闘の地に赴く、というもの。

 この西部劇の古典とも呼ぶべき作品の主題は、もちろん「ジョーイ少年(ブランドン・デ・ワイルド)の視点から見たヒーローへの憧れ、流れ者の悲哀」なのだがその奥には、シェーンとスターレット、その妻マリオン(ジーン・アーサー)との微妙な三角関係が隠されている。

 三人とも決して言葉や行動には出さないが、互いの微妙な心の揺れに気付き、おののく。直接的な表現よりも、より切なく美しい“隠されたラブシーン”がジョージ・スティーブンス監督の繊細な演出によって観客に示される。

 スティーブンスは『ママの想い出』(48)『ジャイアンツ』(56)など、家庭劇を得意とした監督なので、『シェーン』も西部劇というよりは細やかな心理描写が秀逸な一種の家庭劇だとも言えるのだが、それに加えて、南北戦争やジョンソン郡戦争に象徴される開拓時代末期の対立構造も描かれている。

 ジョンソン郡戦争は、東欧からの貧しい移民と牧畜業者が対立した事件で、実際に『シェーン』の舞台となったワイオミング州で起こった。つまりスターレットとライカーはそれぞれの側の象徴的な人物として描かれていることになる。

 マイケル・チミノの『天国の門』(79)は、このジョンソン郡戦争を克明に描いていたのだが、実のところ良く分からない映画だった。かつて故瀬戸川猛資が『シェーン』と『天国の門』の関係を鋭く指摘した一文を読んで目から鱗が落ちた覚えがある。

 そして、ジャック・バランス扮する黒ずくめの殺し屋ウィルソンは北軍兵士の成れの果て、シェーンや、ウィルソンに射殺されるトーリー(エリシャ・クック・ジュニア)は元南軍兵士だと思われる。

 それはトーリーとシェーンが共にウィルソンを「卑劣な北部の嘘つき野郎」と罵るセリフからも想像できる。

 恐らくシェーンもウィルソンも南北戦争後、雇われガンマンとして生きてきたのだろう。その二人が、対立するスターレットとライカ―に雇われ、最後は対決するというのは、何やら因縁めく。

 さらにこの映画は、ライカ―のような牧畜業者やシェーンやウィルソンのようなガンマンの時代の終焉も描いている。決闘前にシェーンとライカ―が交わすセリフがそれを言い当てている。

シェーン「あんたは長生きし過ぎた。あんたたちの時代はもう終ったんだ」
ライカ―「お前はどうなんだガンファイター」
シェーン「俺は心得ているさ」


 つまり彼らは互いの立場や心情が良く分かる同種の人間なのだ。それは、全てが終わり、酒場を後にするシェーンが、倒したライカ―やウィルソンを悲しげに一瞥するシーンにも象徴されているし、ジョーイに聞かれたシェーンが「正真正銘のウィルソンだった。すごい早撃ちだった」とウィルソンを認めるようなセリフを吐くのも象徴的だ。

 初めて『シェーン』をテレビで見てからかれこれ40年がたつ。その間、さまざまな形で何度も見直しているが、その時々の自分の心理状態によって印象が変わる。また何年後かに見直したら全く違うことを書くかもしれない。

『シェーン』デジタルリマスター版公開初日イベント
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/2d3b3dd3d4b79c90db799b911e4729a9

 

 

  

パンフレット(53・外国映画社(Foreign Picture News))の主な内容
解説/物語/ジョージ・スティーブンス/楽譜/詩のある西部劇=優れたジョオジ・スティヴンス演出(原安佑)/製作ゴシップ/アラン・ラッド、ジーン・アーサー、ヴァン・ヘフリン/この映画のワキ役

コメント (1)
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