田中雄二の「映画の王様」

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『絢爛たる影絵―小津安二郎』(高橋治)再読

2018-08-23 10:58:20 | ブックレビュー
 小津安二郎監督の『東京物語』(53)で助監督を務め、後に作家に転身した筆者が、小津の生涯と映像の秘密を、様々な人々の証言と興味深いエピソードを交えて語ったもの。この文春文庫版の発売は1985年だから、およそ30年ぶりの再読となった。



 小津は1903(明治36)年生まれ、筆者の高橋は1929(昭和4年)年生まれと、両者の間には父子のような年齢差がある。従って、当然ジェネレーションギャップが生じる。しかも、叩き上げの監督である小津に対して、筆者、大島渚、篠田正浩、吉田喜重、田村孟ら、いわゆる松竹ヌーベルバーグと呼ばれた当時の若手監督たちは、皆一流大学出である。

 彼らはエリート意識や自我が強く、旧世代を“論理”で否定しようとするところがある。そんな両者が相容れないのもまた必然なのだが、実は本書の面白さは、小津を語りながら、そうした両者のずれや葛藤が浮かび上がってくる切なさにある。これは、自分が筆者が本書を書いた年を越え、小津が亡くなった年に近づいた今だからこそ気付いたことだとも思える。

 また、大島、篠田、吉田、田村ら、後に松竹を去った者たちの名前は盛んに登場するのに、松竹に残り、撮影所所長の城戸四郎が推進した“大船調”を継承し、形こそ違え、小津と同じように“家族”にこだわった映画を作り続けた山田洋次は全く登場しない。そこに筆者の他者に対する好みの癖を感じる。

 つまり、あとがきに「これを事実のみによる大船撮影所史、小津安二郎伝として読んでほしくはない。あくまで私の心象に残る小津の影絵なのである」とある通り、あくまでこれは、筆者の感情を反映した事実と虚構であり、想像を織り交ぜたノンフィクションノベルだということを忘れてはならないだろう。そのどちらつかずの吹っ切れないところに、もやもや感が残るのは否めない。

 その意味では、小津が戦中に軍部報道映画班としてシンガポールに赴任していた時代を描いた併録短編「幻のシンガポール」は、本編とは違い、筆者が実際に見知った出来事ではないだけに、筆者の妙な思い入れや過度の感情表現がない分、想像や仮説が広がり、小説として面白く読める。

 同地で『風と共に去りぬ』(39)『市民ケーン』(41)など、当時の日本未公開映画を見た小津が相棒のカメラマン厚田雄春に「~(日本の)家が焼けても、俺たちはほかの人間が持っていない財産をもってるぜ。ジョン・フォード、ウィリアム・ワイラー、ウォルト・ディズニー。日本じゃまだ誰も見ちゃいないんだ。ワイラーの真似をしてるだけでも、四、五年はやっていけるぜ」と語る場面が興味深い。

 この一節を読むと、本書の解説で、米国人で日本学者のエドワード・G・サイデンステッカーが「むしろ小津はアメリカ的な監督」と称しているのも、なるほどと思えるところがあるからだ。
コメント (1)
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