田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

『時をかける少女』と「タイム・トラベラー」

2020-06-08 09:07:10 | 映画いろいろ

『時をかける少女』(83)(1983.9.21.東急レックス.併映は『探偵物語』)

 『転校生』(82)同様、自らの故郷である尾道を舞台にした、大林宣彦独特の映像には魅せられたが、いま一つアイドル映画の域を脱し切れなかった恨みが残った。

 そう思うのは、かれこれ10年あまり前に、同じく筒井康隆の原作を映像化したNHKドラマ「タイム・トラベラー」2部作の印象が強過ぎたせいかもしれない。

 まあ、考えてみれば、子どもの頃にあの2部作(特に石山透脚本の「続タイム・トラベラー」)を見ていた自分は、少年ドラマシリーズをうたいながら、実はヒロインの芳山和子と未来人のケン・ソゴルの切ないラブロマンスだと感じたのだが、それから10年あまりたって、今度は自分が登場人物たちよりも年上になって見れば、このストーリーに対する思いが異なっても不思議ではないのかもしれない。

 ただ、タイムトラベルを扱った絵空事の物語であるだけに、未来人(この映画ではケン・ソゴルとは名乗らないが…)を演じた高柳良一の、『ねらわれた学園』(81)に続いての、まるで学芸会のようなセリフ回しに失笑させられたのが、大きなマイナスとなったことは否めない。逆に、新人の原田知世の初々しさや『転校生』に続いての尾美としのりの好演が光って見えたのは確かだったが…。

【今の一言】公開時は上記のように感じたのだが、あれから40年近くがたって、大林監督が亡くなった今となっては、映される風景、若々しい出演者たち、「土曜日の実験室」という印象的なセリフ、「桃栗三年柿八年」の歌(大林監督作曲の「愛のためいき」)、原田が歌ったユーミン作詞・作曲の主題歌など、何から何までが懐かしく思える。過日、偶然、この映画の舞台の一つとなった艮(うしとら)神社を訪れたことも印象深い。

尾道『さびしんぼう』『時をかける少女』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/0256bd4c40ab2868e945d9a09a0bdc37

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『時をかける少女』 (83)

2020-06-08 06:48:11 | All About おすすめ映画

土曜日の実験室



 放課後の理科実験室でラベンダーの香りをかいだことをきっかけに、芳山和子はタイムトラベラーに…。未来人と彼女の淡い初恋と学園生活を描いたファンタスティックで切ないラブロマンス。監督は大林宣彦、原作は筒井康隆のジュブナイル(少年少女向け)SFです。

 公開時は薬師丸ひろ子&松田優作の『探偵物語』とのアイドル映画2本立てという扱いでした。しかも原田知世の映画デビュー作ということもあり、大林監督はアイドル映画の手法を用いながら、自身の故郷・尾道に舞台を移し、ノスタルジックな背景を構築しました。この映画で尾道が果たした役割が、日本のフィルムコミッションの先駆けとされます。その一方、当時の最新特撮を駆使して、タイムトラベルという非現実を見事に映画の中に取り込んでみせました。

 先にドラマ化されたNHKの少年ドラマシリーズ『タイム・トラベラー』(72)はもとより、スピンオフ的なアニメ版(06)仲里依紗主演版(10)の存在は、原作の世界が広がっていく楽しさを感じさせてくれます。「土曜日の実験室」というセリフを懐かしく思い出す人も多いのではないでしょうか。

名画投球術 No.8.「(読書の秋)原作より面白い映画が観たい」大林宣彦
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/6d37fc7e08e6766c3d521453efa478e5

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『マディソン郡の橋』

2020-06-08 06:05:54 | 映画いろいろ
『マディソン郡の橋』(95)(1995.8.28.ワーナー試写室)
 
   
 
 アイオワ州マディソン郡で、農場主の夫と2人の子どもと暮らすフランチェスカ(メリル・ストリープ)は、夫と子どもの留守中、橋を撮影するためにこの地に立ち寄ったカメラマンのキンケイド(クリント・イーストウッド)と出会い、恋におちる…。
 
 不倫もののパターンとしては、デビッド・リーンの『逢びき』(45)や、この映画と同じくストリープが主演した『恋におちて』(84)といった、過去の作品と大きく違うところはなかったのだが、この映画には、成長した子どもたちが亡くなった母親の不倫を後追いして回想するという、後日談的な面白さがあった。
 
 ただ、風景の美しさはあっても、なぜこの原作が日米ともにベストセラーになったのか、という疑問が残った。この映画は、どういうスタンス(例えば、不倫の経験の有無、不倫をされた側など)で見るかによって、受ける印象は大きく異なると思うのだ。
 
 自分の場合は、許されない愛に身を焦がす2人の激しい恋情という点では理解できなくはないが、その裏で隠されている夫、あるいは子どもたちがいると思うと、何か違うのではないかと思ってしまうのだが、もし自分が不倫の渦中にいたら、全く違う印象を持つのかもしれない。
 
 だから、この話が受けたのも、不倫という言葉や行為のうわべの雰囲気に酔っている者、あるいは不倫に対する罪の意識や後ろめたさなどを隠すために、それを美化したり、夢のように、ロマンチックに語ったりする者が多いからではないかと思うのだ。
 
 ところで、当初の予定通り、この映画をスピルバーグが撮っていたらどうなっていただろう、という興味が湧いた。それは彼の両親が離婚し、そのためか、彼の映画には母子家庭が多く登場することもあって、そうした屈折が、この“母親の不倫を知った子どもたち”の描き方にどう影響を与えるのかが見てみたかった気がするからだ。
 
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