『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(90)(1991.6.28.日本劇場)
物事を逆の立場から見直してみると、こうまで違った感慨が浮かぶのかということ。つまり、巷間語られている歴史の中にこそ、実は大きな落とし穴があることを、この映画は教えてくれる。
西部劇というアメリカの時代劇において、『折れた矢』(50)などの例外を除けば、白人開拓者にとってのインディアンは残忍な敵役で、邪魔者として描かれることがほとんどだった。だが裏を返せば、それは白人から見た一方的な言い分であり、先住民族のインディアンから見れば、白人こそが侵略者にほかならない。その事実を、この映画ほど切実に描いたものはかつてなかったのではないか。
その最たる例は、物語の後半で、軍隊に捕らわれの身となった主人公のダンバーを、インディアンたちが救出に来るシーンで示される。ここに至るまでに、誇りあるインディアンたちに同化していくダンバーの姿をずっと見せられている観客にしてみれば、彼を苦しめ、己の利益しか考えず、インディアンたちに理解を示すこともない軍人たちが悪役になり、インディアンたちがヒーローのように映るのだ。
つまり、インディアンに襲われた白人を間一髪で救出に来る騎兵隊、という通常の西部劇とは逆のパターンに感動させられているのである。だから、このシーンを見ながら、ケビン・コスナーは何と勇気ある、とんでもない映画を撮ってしまったのか、という驚きを感じた。
そして、この映画は、ヒステリックな『ソルジャー・ブルー』(70)とは違う形で、アメリカの西部開拓史の恥部を明かすとともに、もはや昔ながらの西部劇が作れない状況を生んでしまったとも言えるだろう。なぜなら、もはやわれわれは、駆けつける騎兵隊のラッパの音を聞いても、素直に喜べなくなってしまったのだから…。
ただ、この映画のすごさは、そうした西部劇的な側面だけでは片づけられない奥深さを持っているところ。ここには自然、動物たち、人間同士の心のふれあい、あるいは無垢の精神といったものが、見事なロケーションとカメラワークで描かれており、西部劇という枠を超越している。
実質的なデビュー作である『ファンダンゴ』(85)以来、注目してきたケビン・コスナーではあるが、まさかここまですごいことをやってのけるとは思ってもみなかった。これはうれしい驚きであった。加えて、この映画のコスナーは、ちょっとスティーブ・マックィーンに似ている気がした。
【今の一言】そのコスナーが、この後、見事に転落していくのだから人生は分からない。最近の『荒野の誓い』などもこの映画の影響下にあると思う。
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https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/5c696c1e1aec42ebaf9604d9c044112e
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