田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

「ザ・シネマ」『西部開拓史』

2022-01-10 11:55:59 | ブラウン管の映画館

『西部開拓史』(62)(1974.10.16/23.水曜ロードショー)

(1989.8.)
 アメリカ西部開拓時代の1839年からの50年間を、ある開拓一家の視点から描いた叙事詩映画。「河」「平原」「南北戦争」「鉄道」「無法者」という五つのパートに分かれ、ヘンリー・ハサウェイ、ジョン・フォード、ジョージ・マーシャルが分担して監督。撮影もウィリアム・H・ダニエルズ、ミルトン・クラスナー、チャールズ・ラング・Jr、ジョセフ・ラシェルが分担。脚本はジェームズ・R・ウェッブ、勇壮な音楽はアルフレッド・ニューマン。ナレーターはスペンサー・トレイシー。

 主な出演者は、カール・マルデン、アグネス・ムーアヘッド、ジェームズ・スチュワート、キャロル・ベイカー、グレゴリー・ペック、デビー・レイノルズ、ジョージ・ペパード、キャロリン・ジョーンズ、ジョン・ウェイン、リチャード・ウィドマーク、ヘンリー・フォンダ、ウォルター・ブレナン、リー・バン・クリーフ、ロバート・プレストン、リー・J・コッブ、イーライ・ウォラック…。

 今、改めてこの超大作映画を見直すと、アメリカの白人の身勝手な開拓史という点は否めないものの、ベトナム戦争以前の自国を信じ得たアメリカの自負の強さやパワーが感じられるものとして映る。

 日本の場合は、国の歴史が長いから、特定の時代を設定しなければ史劇は描けないのだが、アメリカの歴史は200年余りに過ぎないのだから、こうした映画を作っても、一応収拾がついてしまうのだと感じた。

 

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ピーター・ボグダノビッチ追悼『マスク』(84)

2022-01-10 07:45:07 | 映画いろいろ

『マスク』(84)(1991.6.21.金曜ロードショー)

 ライオン病と呼ばれる奇病を患った実在の人物ロッキー・デニスの生涯を描く。

 かつてニューシネマの旗頭として活躍したものの、その後は全く精彩を欠いてしまったピーター・ボグダノビッチ。この映画が今のところ日本で公開された彼の最新作ということになる。

 ボグダノビッチの急激な落ち込みぶりは無残としか言いようのないもので、恋人だったドロシー・ストラットンの射殺事件が尾を引いて映画が撮れないのか、はたまた撮らせてもらえないのか、事情は分からないが、この映画が公開された頃は、自分の中では、もはや過去の人という感じになっていて、気にはなったものの、結局見なかった。

 否、それでは少々ニュアンスが違うな。現在の落ち込んだ彼の映画を無視することによって、過去の栄光の方だけを覚えておきたかったという方が正確かもしれない。

 ところが、今回テレビ放映という気楽さから思わず見てしまったら、何のことはない。結構うまく撮っていたのだ。障害者の息子(エリック・ストルツ)と麻薬中毒の母親(シェール)、息子の盲目の恋人(ローラ・ダーン)という、際物かお涙頂戴になり兼ねない難しい題材を、変に深刻にならず、かといって決して不真面目でもなく、まるで現代版の「美女と野獣」のごとく、切なく、爽やかに描き上げていたのである。

 これはうれしい誤算だった。ボグダノビッチをノスタルジックな映画しか撮れない過去の人として考えていたのは早計だったと反省したものの、この映画の後、彼は再び沈黙の日々に入ってしまい、復活作は『ラスト・ショー2』(90)とのこと。結局は、そういう方向になるのかと少々寂しい思いがした。

 この映画の主役、つまり全編を特殊メークで通したストルツの素顔を、先日『ザ・フライ2 二世誕生』(89)で見ていたことを思い出した。その時、マイケル・J・フォックスに似ていると思ったのだが、実は彼こそがもともとのマーティ・マクフライ、つまり『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(85)に主演するはずの俳優だったのである。似ているのが当たり前だったのだ。それにしても、ヒーローに成り損ねた先がハエ男とは…。少々哀れなものがある。

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ピーター・ボグダノビッチ追悼『ニューヨークの恋人たち』

2022-01-10 07:30:49 | 映画いろいろ

『ニューヨークの恋人たち』(81)(1993.11.3.)

 ピーター・ボグダノビッチ監督の劇場未公開作をビデオで。探偵が尾行する人妻に恋をしてしまう話と聞いて、ひょっとするとキャロル・リード監督の『フォロー・ミー』(72)のような映画なのかと勝手に想像し、もし出来がよかったら、ボグダノビッチを不当に扱ったハリウッドに、恨み言の一つでも述べるつもりでいたのだが、結果は見るも無残という感じだった。

 かつて『ラスト・ショー』(71)『ペーパー・ムーン』(73)という傑作をものにした人の映画とはとても思えないような出来で、本来はほのぼのとした味わいを持った話になるはずが、ストーリーがあっちへ行ったりこっちに来たりと脈略がなく、消化不良を起こしたような疲れを感じさせられた。

 思うに、この映画以前のボグダノビッチの映画には、“ノスタルジー”という共通項があった。ところが、この映画ではそれをきっぱりと捨てて、オールロケで今のニューヨークで話が展開するのだが、それがうまく機能していない。冷たい言い方をすれば、ボグダノビッチはノスタルジックなものにしか力を発揮できない監督だったと言えるのかもしれない。

 ところで、この映画に登場するブロンドビューティこそが、当時のボグダノビッチの恋人で、この映画の後に夫に殺害されたドロシー・ストラットン。この事件が以後のボグダノビッチの映画人生に暗い影を落とす。

 加えて、この映画で共演したオードリー・ヘプバーンとベン・ギャザラも恋仲だったらしい。してみると、この映画は、成就しなかった恋の幻としての側面も持っていることになる。

 ストラットンについては、ボブ・フォッシーがマリエル・ヘミングウェーを起用して『スター80』(83)で描いている。

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ピーター・ボグダノビッチ追悼『ニッケルオデオン』

2022-01-10 07:15:03 | 映画いろいろ

『ニッケル・オデオン』(76)(1987.11.15.)

 先日、タビアーニ兄弟がハリウッドの草創期を描いた『グッドモーニング・バビロン!』(87)を見たので、ピーター・ボグダノビッチ監督この映画を再見してみた。

 とはいえ、こちらは『グッドモーニング・バビロン』の時代よりも少し前、つまり、ハリウッドがまだ存在していない、10セント小屋の活動写真(ニッケル・オデオン)の時代を、ひたすら明るくドタバタコメディ風に描き、いかにもボグダノビッチらしい映画愛にも満ちている。

 ただ、ボグダノビッチといえば、『ラスト・ショー』(71)『ペーパー・ムーン』(73)でノスタルジーを描きながら、そこに自らの映画に対する思いを巧みに入れ込んでいたのだが、この映画は、ストーリーにまとまりがなく散漫な印象を受けるのが残念だった。そして、この映画の興行的な失敗後、ボグダノビッチはほとんど映画を撮っていない。

 思えば、彼の落ち込みはこの映画から始まったのかもしれない。ここらあたりが、評論家上がりの彼の限界だったのだろうか。それでも、『ラスト・ショー』や『ペーパー・ムーン』を遺したボグダノビッチにオレは感謝する。

 『グッドモーニング・バビロン!』とこの映画を見ると、D・W・グリフィスがアメリカ映画史に遺した遺産は実に大きなものだったのだと、改めて知らされた思いがした。 

『グッドモーニング・バビロン!』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/2ff8429fa274c8f59fd5af8ec91d1d3f

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