田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

『エンドロールのつづき』

2022-12-17 09:26:13 | 新作映画を見てみた

『エンドロールのつづき』(2022.12.14.松竹試写室)

 2010年、インドの田舎町で暮らす9歳の少年サマイ(バビン・ラバリ)は、学校に通いながら父のチャイ店を手伝っている。厳格な父は映画を低俗なものと考えているが、信仰するカーリー女神の映画だけは特別だとし、これで最後だと言いながら、家族で映画を見に行く。

 初めて見る映画の世界にすっかり心を奪われたサマイは、後日映画館に忍び込むが、チケット代を払えず追い出されてしまう。それを見た映写技師のファザルは、料理上手なサマイの母が作る弁当と引き換えに、映写室から映画を見せることを提案。サマイは映写窓から見るさまざまな映画に圧倒され、自分も映画を作りたいと思うようになる。

 パン・ナリン監督が自身の体験を基に描いたヒューマンドラマで、インド版の『ニュー・シネマ・パラダイス』(88)だと喧伝されている。

 確かに、少年と映写技師との交流、片田舎の村の様子や住民の描写なども交えながら、映画(フィルム、光と影)や映画館に対する愛を表現するなど、両作の構成はよく似ているが、『ニュー・シネマ・パラダイス』が“昔話”だったのに対し、この映画は、時代背景を10年ほど前に設定し、父の葛藤や、サマイの映画監督としての萌芽を具体的に見せたところに大きな違いがある。

 何より、『ニュー・シネマ・パラダイス』には良くも悪くも、作為的であざといところがあるが、この映画はもっと素朴でかわいらしい感じがするのだ。それは、大人になったサマイを見せず、少年のままで終わらせたことも大きい。

 父、教師、映写技師、友だちのみんなが、村を後にして列車に乗り込むサマイを見送るシーンでは、ビレ・アウグストの『ペレ』(87)のラストを思い出した。

 そして、不要になった映写機やセルロイドフィルムの末路を見せた後で、フィルムが女性が身につけるアクセサリーに変容し、サマイはそこにさまざまな映画やスターの姿を重ねて、その名を心の声で挙げるというラストシーンは、『ニュー・シネマ・パラダイス』のそれとはまた違った形で映画(フィルム)への愛が表現されていて、感動させられる。

 『ニュー・シネマ・パラダイス』とこの映画を、2本立てで上映してほしいと思った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「BSシネマ」『マッドマックス 怒りのデス・ロード』

2022-12-17 06:26:58 | ブラウン管の映画館

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(15)



「土曜プレミアム」
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/1d7ef8c1538472136df2d71b2a647fcf

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする