田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

「NHKプラス」「まんが道 青春編」「三谷幸喜の言葉~「鎌倉殿の13人」の作り方~」

2022-12-24 11:57:06 | テレビ

 最近、「NHKプラス」で、見落とした番組や再放送ものをよく見るようになった。

 銀河テレビ小説「まんが道 青春編」(87)全15話。脚本・布施博一

 主人公・満賀道雄(竹本孝之)と才野茂(長江健次)が、手塚治虫(江守徹)に連れられて見に行ったのが、ジョン・ヒューストン監督の『アスファルト・ジャングル』(50)、満賀が、トキワ荘に住む美人姉妹の妹(森高千里)と一緒に見たのが、エリア・カザン監督、ジェームズ・ディーン主演の『エデンの東』(55)だった。ちょっと時系列が合わないが、まあ、ご愛敬ということで。

 石ノ森章太郎(息子の小野寺丈)が、自身のコマを無視した大胆な構図を「シネマスコープ漫画」と表現するシーンもあった。江守が好演する手塚は、ドラマ内では遥かに年上だが、実際は、藤子不二雄たちと5、6歳しか違わない。

藤子不二雄A『まんが道』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/2cc091fc375428c194137fe16e6ea169


「三谷幸喜の言葉~「鎌倉殿の13人」の作り方~」

 「鎌倉殿の13人」の脚本を書く際に、『仁義なき戦い』(73)『ゴッドファーザー』(72)を参考にしたとのこと。確かに、主人公の北条義時(小栗旬)は、『ゴッドファーザー』のマイケル・コルレオーネ(アル・パチーノ)と通じるところがあると思っていた。ちなみに、大江広元(栗原英雄)の役割は、トム・ヘイゲン(ロバート・デュバル)だそうだ。なるほど。

 また、戦の天才(それ以外は…)の源義経(菅田将暉)は、『パットン大戦車軍団』(70)の主人公・ジョージ・S・パットン将軍(ジョージ・C・スコット)を参考にしたのだという。こういう裏話は面白い。

【インタビュー】「鎌倉殿の13人」三谷幸喜(前編)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/c7da9b5b02ac56987b16cbf63b901204

【インタビュー】「鎌倉殿の13人」三谷幸喜(後編)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/00c5fbc4696195e085877a8224fa89f5

「鎌倉殿の13人」と「草燃える」
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/d1c36450859482d0466097e0b3b053b3

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『バビロン』

2022-12-24 08:17:49 | 新作映画を見てみた

『バビロン』(2022.12.20.TOHOシネマズ日比谷.完成披露試写会)

 『ラ・ラ・ランド』(16)のデイミアン・チャゼル監督が、オリジナル脚本を書き、1920年代のハリウッド黄金時代を舞台に、ゴージャスでクレイジーな映画業界で夢をかなえようとする男女の運命を描く189分の大作。音楽は『ラ・ラ・ランド』のジャスティン・ハーウィッツが担当。

 チャゼル監督は、『セッション』(14)ではジャズ、『ラ・ラ・ランド』ではロサンゼルスへの偏愛ぶりを示したが、それはこの映画からもうかがえる。そういう意味でも、これは明らかな“チャゼル印の映画”だといえる。

 夢を抱いてハリウッドへやって来たメキシコ人の青年マニー・トレス(ディエゴ・カルバ)と、スターを目指す新進女優のネリー・ラロイ(マーゴット・ロビー)。彼らの人生は、サイレント映画の大スター・ジャック・コンラッド(ブラッド・ピット)との出会いによって大きく動き出す。

 恐れ知らずで美しいネリーは、自由奔放な個性で観客を魅了し、スターへの階段を駆け上がっていく。一方、マニーはジャックに世話係として雇われた後、大手映画会社のプロデューサーとなる。だが、『ジャズ・シンガー』(27)を皮切りに、トーキーが映画に革命を起こし、彼らの運命が狂い始める。

 ジャックのモデルはジョン・ギルバート、同じくネリーはクララ・ボウか。パーティのシーンではロスコー・アーバックルのような男も出てくる。

 主役の3人に、トランペットの名手シドニー・バルマー(ジョバン・アデポ)、中国系女優のレディ・フェイ・ズー(リー・ジュン・リー)、ゴシップコラムニストのエリノア・セント・ジョン(ジーン・スマート)らが絡む。

 そのほか、トビー・マグワイア、サマラ・ウィービング、オリビア・ワイルド、エリック・ロバーツ、ルーカス・ハース、キャサリン・ウォーターストン、「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」のフリーらが顔を見せる。

 オープニングで描かれる狂乱のパーティや、パワフルで狂気に満ちた映画製作が、やがて映画業界に求められた社会性やヘイズ・コード(自主規制条項)の導入によって、様変わりしていく様子は、例えば、西部開拓時代の無法、無秩序がもたらしたエネルギーが、やがて文明や法の波によって終息していくさまとも重なる。

 そして、この映画が描いたサイレントからトーキーへと移行する際の混乱を見ながら、何だか『雨に唄えば』(52)のパロディみたいだと思っていたら、この曲が先に歌われた『ハリウッド・レヴィユー』(29)と思われる映画の製作風景が映り、ラストでちゃんと本物の『雨に唄えば』が出てきた。しかもすこぶる感動的にだ。

 それによって、3時間余り描かれてきた、一種グロテスクな狂乱や狂気の話が、全て帳消しになって、何だかいい話を見たような気分になる。これはちょっとずるい感じもする。

 とはいえ、3時間余が、思いの外、長く感じられなかったのも事実。やはりチャゼル監督の力量はたいしたものがあるといえるのかもしれない。


『雨に唄えば』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/3f26b055ce96f109becb1499e4e4b622


『20世紀の映画』から

 

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