田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

『MEG・ザ・モンスター』

2018-08-24 08:48:18 | 新作映画を見てみた
B級モンスターパニック映画の味わいあり



 200万年前に絶滅したはずの巨大ザメ・メガロドン(通称MEG)と、レスキューダイバーのジョナス(ジェイソン・ステイサム)との闘いを描く海洋パニック映画。米中合作のためか、全体にうさんくささが漂うことに加えて、ステイサムよりもリー・ビンビンの方が目立ってしまうという事態が生じている。

 監督は『クール・ランニング』(93)『あなたが寝てる間に…』(95)『フェノミナン』(96)など、主に90年代に精彩を放ったジョン・タートルトーブ。最近はニコラス・ケイジのお抱え監督のようになっており、この映画もその延長線上にあるのかなと思う。

 なかなか姿を見せないMEG、音響効果による脅かし、MEGの目から見たようなカメラアングル…など、『ジョーズ』(75)の影が満載だが、ここまであからさまにやられるとかえって潔さも感じさせられる。

 『ジョーズ』から派生した様々な“サメ映画”では、サメたちは空を飛んだり、ショッピングセンターやスキー場に現れたりもしたが、久しぶりに本道の海に戻ったことになる。ただ、MEGの体長はジョーズの3倍以上、という触れ込みだが、でか過ぎて逆に恐怖が半減するところは計算違いか。

 海洋研究所の所員たちによるチープな集団劇に、『トレマーズ』(90)にも似たB級モンスターパニック映画の味わいがある。アメリカのテレビで人気があるというマシ・オカを初めて認識した。
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『絢爛たる影絵―小津安二郎』(高橋治)再読

2018-08-23 10:58:20 | ブックレビュー
 小津安二郎監督の『東京物語』(53)で助監督を務め、後に作家に転身した筆者が、小津の生涯と映像の秘密を、様々な人々の証言と興味深いエピソードを交えて語ったもの。この文春文庫版の発売は1985年だから、およそ30年ぶりの再読となった。



 小津は1903(明治36)年生まれ、筆者の高橋は1929(昭和4年)年生まれと、両者の間には父子のような年齢差がある。従って、当然ジェネレーションギャップが生じる。しかも、叩き上げの監督である小津に対して、筆者、大島渚、篠田正浩、吉田喜重、田村孟ら、いわゆる松竹ヌーベルバーグと呼ばれた当時の若手監督たちは、皆一流大学出である。

 彼らはエリート意識や自我が強く、旧世代を“論理”で否定しようとするところがある。そんな両者が相容れないのもまた必然なのだが、実は本書の面白さは、小津を語りながら、そうした両者のずれや葛藤が浮かび上がってくる切なさにある。これは、自分が筆者が本書を書いた年を越え、小津が亡くなった年に近づいた今だからこそ気付いたことだとも思える。

 また、大島、篠田、吉田、田村ら、後に松竹を去った者たちの名前は盛んに登場するのに、松竹に残り、撮影所所長の城戸四郎が推進した“大船調”を継承し、形こそ違え、小津と同じように“家族”にこだわった映画を作り続けた山田洋次は全く登場しない。そこに筆者の他者に対する好みの癖を感じる。

 つまり、あとがきに「これを事実のみによる大船撮影所史、小津安二郎伝として読んでほしくはない。あくまで私の心象に残る小津の影絵なのである」とある通り、あくまでこれは、筆者の感情を反映した事実と虚構であり、想像を織り交ぜたノンフィクションノベルだということを忘れてはならないだろう。そのどちらつかずの吹っ切れないところに、もやもや感が残るのは否めない。

 その意味では、小津が戦中に軍部報道映画班としてシンガポールに赴任していた時代を描いた併録短編「幻のシンガポール」は、本編とは違い、筆者が実際に見知った出来事ではないだけに、筆者の妙な思い入れや過度の感情表現がない分、想像や仮説が広がり、小説として面白く読める。

 同地で『風と共に去りぬ』(39)『市民ケーン』(41)など、当時の日本未公開映画を見た小津が相棒のカメラマン厚田雄春に「~(日本の)家が焼けても、俺たちはほかの人間が持っていない財産をもってるぜ。ジョン・フォード、ウィリアム・ワイラー、ウォルト・ディズニー。日本じゃまだ誰も見ちゃいないんだ。ワイラーの真似をしてるだけでも、四、五年はやっていけるぜ」と語る場面が興味深い。

 この一節を読むと、本書の解説で、米国人で日本学者のエドワード・G・サイデンステッカーが「むしろ小津はアメリカ的な監督」と称しているのも、なるほどと思えるところがあるからだ。
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蓼科の小津安二郎

2018-08-21 10:24:07 | 雄二旅日記

 妻と共に日帰りバスツアー「八子ヶ峰ハイク」に参加。行きも帰りも、おまけに現地でも渋滞に遭遇し、往生したが、やはり高原歩きはいいものだと実感した。

  

 ところで、以前、八子ヶ峰の近くの白樺湖を訪れた際、蓼科(ビーナスロード)で“小津安二郎”の名が記された標識を発見し、今回も車窓から目にしたので、気になって調べてみた。

 標識には「小津安二郎 無藝荘」公開中と記されている。

 蓼科観光協会のオフィシャルサイトによると、無藝荘とは、小津が昭和30年頃から蓼科の別荘として利用していたかや葺き屋根の建物のこと。2003年に、小津の生誕100年を記念し、建物の保全のため、数100メートルはなれた現在の場所 (プール平) へと移築されたのだという。

 小津は『東京物語』(53)を撮り終えた頃、蓼科にあった、脚本家、野田高悟の別荘、雲呼(うんこ)荘を訪れて気に入り、それ以降、仕事場を蓼科に移した。

 そして、晩年の7作品(『早春』(56)『東京暮色』(57)『彼岸花』(58)『お早よう』(59)『浮草』(59)『秋日和』(60)『小早川家の秋』(61)『秋刀魚の味』(62))のシナリオをここで書いたらしい。

 当時の小津と野田、来訪者や蓼科の様子は、雲呼荘に備え付けられていた日記=『蓼科日記』(全18巻)に克明に記されているようだ。

 この他にも、無藝荘周辺が「小津の散歩道」として整備され、小津安二郎記念として毎年茅野市で「蓼科高原映画祭」が開かれているとのこと。『蓼科日記』を読み、改めて訪れてみようか、という気になった。
http://www.tateshinakougen.gr.jp/cinema/

 『小津安二郎をたどる 東京・鎌倉散歩』(貴田庄)と『絢爛たる影絵 小津安二郎』(高橋治)を再読。

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『陽のあたる教室』再見

2018-08-18 15:57:26 | 映画いろいろ

『陽のあたる教室』(95)



 「ザ・シネマ」でやっていたので、何の気なしに見始めたのだが、好きな映画だけに、結局最後まで見てしまった。さまざまな音楽が適材適所に施されているので、何度もの鑑賞に耐え得るのかもしれない。公開時よりも、主人公の最後の年齢に近づいた今の方が胸に迫るものがあった。

 主人公の音楽教師の若き日から老年までを見事に演じたリチャード・ドレイファスが絶品で、初見の際は、アカデミー賞ものだと思ったものだが、結局『グッバイガール』(77)以来の受賞はならなかった。

 ちなみに、1995年度の主演男優賞は『リービング・ラスベガス』のニコラス・ケイジが受賞。候補者はドレイファスのほか、『ニクソン』のアンソニー・ホプキンス、『イル・ポスティーノ』のマッシモ・トロイージ、『デッドマン・ウォーキング』のショーン・ペンという顔ぶれだった。もう20数年も前のことになるのか…。


【All About おすすめ映画】『陽のあたる教室』↓
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/2afae95f6a726ee00a54e53c509c0842


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『ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男』

2018-08-17 10:02:43 | 新作映画を見てみた
当時の興奮がよみがえる



 1980年のテニスのウインブルドン選手権決勝、ビョルン・ボルグ対ジョン・マッケンローの死闘をクライマックスに、2人のそれまでの道のりや葛藤を描く。ビリー・ジーン・キングとボビー・リッグスの試合を描いた『バトル・オブ・セクシーズ』に続く実録テニス映画の公開だ。

 まず、スベリル・グドナソンとシャイア・ラブーフが、若き日のボルグとマッケンローを見事に再現していることに驚かされた。その2人が躍動する、カメラワークを工夫した試合のシーンを見ていると、当時、実際の試合を衛星生中継で見た興奮がよみがえってきた。

 この映画は、『ラッシュ/プライドと栄光』(13)のF1レーサー、ジェームス・ハントとニキ・ラウダにも似た、対照的なライバル同士の関係の妙が見どころだが、同時に、皇帝と悪童、氷と炎など、正反対のように言われた2人が、実は直情型で短気なところなどはよく似ていたということも明かされる。ボルグを見ていると、感情の抑制について考えさせられるところがある。

 ところで、70年代末から80年代初頭にかけてのテニス界は、この2人にジミー・コナーズを加えた、いわゆる三つ巴の様相を呈していた。そこに、例えばボクシングのモハメド・アリとジョー・フレイジャーとジョージ・フォアマン、あるいはマービン・ハグラー、トーマス・ハーンズ、ロベルト・デュラン、シュガー・レイ・レナードの相関関係が重なって見える。

 ライバルがいてこそ互いが引き立つのだ。そして、これはスポーツに限ったことではないが、ライバル同士にしか分からない不思議な連帯感や友情があることを、この映画を見ながら改めて知らされた。
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『検察側の罪人』

2018-08-16 09:45:38 | 新作映画を見てみた
真っ当な“劇映画”になっている



 都内・蒲田近辺で強盗殺人事件が発生。被疑者の一人として、過去の未解決殺人事件の重要参考人・松倉の名が挙がる。事件を担当したベテラン検事の最上(木村拓哉)と新米検事の沖野(二宮和也)は、捜査方針をめぐって対立する。やがて最上と松倉の過去の因縁が明らかになり、沖野は師である最上を「松倉を犯人に仕立て上げようとしているのではないか」と疑い始める。

 雫井脩介の原作(タイトルはアガサ・クリスティの『検察側の証人』のもじりか?)を、原田眞人の監督・脚本で映画化。検事の仕事を具体的に見せながら、法の矛盾、時効、罪と罰、善と悪、司法と検察、そして正義を問い掛ける。

 原作の大胆な省略、早口のセリフ、テンポの速い展開、けれん味、過去と現在の交錯など、随所に映画的な処理が施され、例えば演劇的な三谷幸喜、ドキュメンタリー的な是枝裕和などの映画とは違い、良くも悪くも真っ当な“劇映画”になっていると感じさせられた。

 形は違うが、正義を貫こうとして悪になる姿、復讐の空しさ、ラストシーンに響く叫び声など、原田が尊敬するという、黒澤明の『悪い奴ほどよく眠る』(60)を思わせるところもある。

 俳優に目を移すと、キムタクが己のスタイルにこだわり過ぎて苦労している感があるのに対して、二宮には、“ベビーフェース”のマイナスを逆手に取って、プラスに転化させる、いい意味でのしたたかさがある。さすがに『硫黄島からの手紙』(06)でイーストウッド、『母と暮せば』(15)で山田洋次に鍛えられただけのことはあるということか。2人に加えて、闇のブローカー役で怪演を見せた松重豊、刑事役を渋く演じた谷田歩が印象に残った。

【映画コラム】映画俳優・二宮和也の“プラチナデータ”
https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/column/34544
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調布のガメラと大魔神

2018-08-14 08:27:56 | 雄二旅日記
 先日、京王線の調布駅の通路でガメラや大魔神の壁画?を発見した。

 

 調布に大映(現角川大映)の撮影所があるからとのこと。何でも今、調布は「映画のまち」として町興しをしているらしいのだ。東宝の砧、東映の大泉撮影所は取材で何度か訪れたことがあるが、調布はまだない。今度、街の再訪も含めて訪れてみようと思う。

https://csa.gr.jp/film_chofuofmovie
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『カメラを止めるな!』

2018-08-13 09:32:11 | 新作映画を見てみた
 上田慎一郎監督の劇場長編デビュー作だが、ほぼ無印だった。ところが、新宿K's cinemaと池袋シネマ・ロサの2館で始まった上映が、まるでゾンビのように、100館以上にまで増殖。TOHOシネマズの日比谷、日本橋、六本木などは軒並み満員で、自分たち夫婦も上野でやっと見ることができた。珍現象というか、もはや“異常事態”である。



 ゾンビ番組の撮影中に本物のゾンビが現れ、スタッフやキャストを次々に襲い始めた。リアリティにこだわる監督は、その様子を撮るためにカメラを回し続ける。その結果、37分のノーカット番組「ONE OF THE DEAD」が出来上がったが、実は…。

 いい映画の条件は、脚本がよくできていて話が面白いのが基本中の基本であるが、この映画は伏線の張り方が特にうまい。それに加えて、劇中スタッフの妙な熱気や、何かを作り上げる時の狂気に心が動かされる。この程度しか書けないのがもどかしい。

 なぜなら、「この映画は二度はじまる」とキャッチコピーにある通り、ある意味、一度終わった後が、この映画の“面白さの本番”になるのだが、ネタバレになるので具体的には書けないのだ。

 というわけで、ネタバレ禁止がかえって興味をそそり、自分の目で確かめたいという欲求を生んだ。そして見てみると噂に違わず面白い。という事が異常事態を生んだ最たる原因かとも思える。かくいう自分もその中の一人だった。情報過多が当たり前の今、逆に、言わないことが宣伝効果を発揮するというのも皮肉な話だ。

 また、動画(映像)が手軽に撮れる時代の、動画慣れした若者たちにとっては、よくできた手本を見るように、身近に感じられたのではないか。一方、自分のような、映画好きの観客や映画関係者にとっては、映画製作の楽屋落ちを見るような面白さがあった。つまり、そのどちらをも取り込むことに成功したことも、大ヒットの要因の一つだろう。

 こういう映画が大作と肩を並べて上映されるとは、何とも愉快。でも、こんな奇跡がいつ起きるとも限らないから映画作りはやめられないのかな、とも思った。
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【ほぼ週刊映画コラム】『オーシャンズ8』

2018-08-11 20:36:07 | ほぼ週刊映画コラム
エンタメOVOに連載中の
『ほぼ週刊映画コラム』

今週は

男たちが間抜けに見えるところが肝心な
『オーシャンズ8



詳細はこちら↓
https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/column/week-movie-c/1159980
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『スカイスクレイパー』

2018-08-11 08:20:45 | 新作映画を見てみた

『スカイスクレイパー』(18)(2018.8.9.TOHOシネマズ六本木)

イーサン・ハント対ザ・ロックが見たくなる

 元FBI人質救出部隊のリーダー、ウィル(ドウェイン・ジョンソン)。ある事件の爆発事故で片足が義足となった彼は、今は香港にある世界最高峰のビル「ザ・パール」に家族と共に住み、ビルのセキュリティを担当していた。そんな中、謎の一団がパールに大火災を発生させる。ウィルはビル内に取り残された家族を救うため孤軍奮闘する。

 基になったのは、監督・脚本のローソン・マーシャル・サーバーの「世界で一番高い建物で火災が起き、主人公の家族は火災現場より上の階に取り残される。しかも主人公はビルの外にいる」というシンプルなアイデアだったという。

 そこにスタッフが「主人公は火災の犯人にされてしまう。だから彼は家族を救うためにビルの中に入る方法だけでなく、犯人を捜して火災を食い止め、自らの疑いを晴らし、ビルから脱出する方法も考えなければならない。しかもたった1日の間に…」という具合に、難題を肉付けをしていったらしい。

 というわけで、『タワーリング・インフェルノ』(74)『ダイ・ハード』(88)『逃亡者』(93)を、ジョンソン一人でやってのけたところもすごいのだが、普通の彼なら面白くないとばかりに、さらに義足というハンディキャップまで付けたところがミソ。

 製作は「キングコング」「ゴジラ」「パシフィック・リム」「ジュラシック・ワールド」シリーズなどを送り出したレジェンダリー・ピクチャーズ。子供も喜ぶような題材で、常に娯楽に徹する姿勢と、大作の中に残るいかがわしさは、80年代のキャノン・フィルムズをほうふつとさせる。

 ただ、元プロレスラーのジョンソンは、もちろん大変な肉体派ではあるのだが、80年代のスタローンやシュワちゃん、それに続いたセガール、ヴァンダムなどの格闘家系とも違う、独特のキャラクターを持っている。

 肉体を酷使する、偉大なる大ばか者同士として、イーサン・ハント(トム・クルーズ)対ザ・ロック(ジョンソン)の対決を、ぜひ見てみたいと思った。レジェンダリーならやりかねないと期待したりして…。

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