『アンタッチャブル』(87)(1987.10.26.日本劇場)
法律=正義ではない
テレビシリーズの「アンタッチャブル」はうろ覚えでしかない。従って、ブライアン・デ・パルマがどこまで換骨奪胎を行ったのかは定かでないが、今まで彼に付いて回っていた、“ただのヒッチコックもどき”という評価は払拭されたのではないか。
昔ながらのアメリカの正義を真正面から捉えながら、同時に今風のバイオレンス味も加味した盛り上げ方にはなかなかのものがあった。この際、エイゼンシュタインの『戦艦ポチョムキン』(26)の「オデッサの階段」からの戴きは、デ・パルマ流のサービスとして受け取っておこうと思う。
この映画は、何より、キャストがいい。まず、禁酒法という一種の悪法が生んだ悪党アル・カポネを、楽しそうに演じたロバート・デ・ニーロの相変わらずの怪演が目を引く。
対するアンタッチャブルたちも、きっといい俳優になると期待していたケビン・コスナーの奮闘、『アメリカン・グラフィティ』(73)のひ弱な青年役から見事に脱皮したチャールズ・マーティン・スミス、イタリア移民のにおいを感じさせたアンディ・ガルシア、そしてさすがのショーン・コネリーの好演が相まって、魅力的なアンサンブルと、見事なチームワークを生んでいた。
ただ、正義の側のアンタッチャブルたちが、これだけ魅力的でありながら、対するカポネがあまり憎々しく思えなかったのは、移民の成り上がり故の悲しさや、禁酒法そのものの矛盾を感じさせられたからだろう。だから、最後に法の番人であるエリオット・ネスが勝っても苦さが残るのだ。
そして、ラストの禁酒法廃止に対するネスの「法律=正義ではない」という一言が皮肉に聞こえ、それに振り回された男たちの空しさを感じさせるなど、デ・パルマにしては珍しく社会派的な面も示される。いよいよヒッチコックの影から解放されたのかと、今後に期待を持たされた。