旅の始まりはこちらから 1 イタリア ローマ
旅のスケジュールは こちら
1ローマ・コロッセオ・フォロロマーノ・トレビの泉
2 バチカン市国・サン・ピエトロ大聖堂
3シエナ・カンポ広場 4ピサの斜塔
5 フィレンツェ 6ベネティア
7ベネツィアゴンドラ 8ミラノ
9 フランスモンサンミッシェル 10メトロ・エッフェル塔
11パリ市内観光 12ベルサイユ宮殿~帰国
2004年 7月6日(火)
ベルサイユ宮殿
パリ市内から、バスで40分ほど、ベルサイユ宮殿に到着です。
ベルサイユ宮殿は、もともとルイ13世の狩猟の為の小さな別荘を、
ルイ14世が50年の歳月をかけ、1682年に完成した、バロック建築の代表作。
豪華な建物と広大で美しい庭園で有名です。
バロック建築とは、彫刻や絵画、家具などの諸芸術が一体となった
総合芸術を特徴とする建築様式のことだそうですよ。
なるほど。。メモメモ。。
バスを降りると、王の中庭と呼ばれる、一面石畳の広場がありました。
ここで、ツアー全員にイヤホンが渡されました。
ガイドさんがマイクで話す言葉が、
そのイヤホンでツアー全員に聞こえるという訳です。
すれ違う色々な国の人が、みんなそれぞれイヤホンを付けていて。。
「なんか、おもいしろいね。。。」
「ほんまやな~。。」
中世と近未来とが同居しているみたいで、不思議な感じがしました。
ベルサイユ庭園
3つの宮殿と庭園、大庭園などからなるベルサイユ宮殿は
とてつもなく広く、道の全長が20km、部屋数は、なんと700だそうです。
幾何学模様の庭園が広がる後方には、
ベルサイユの森が続いています。
こちらは、ベルサイユ宮殿の中から眺めた庭園です。
うわ~、何。。この広さ。。
花壇には、当時流行したアラベスク模様が
描き出されているものも。。。綺麗ですね~。
宮殿の中は、豪華な装飾と、金箔の輝きで目がくらみそう。
なんという贅沢。。。
贅の限りを尽くしたベルサイユ宮殿では、
毎晩のように、豪華な舞踏会や音楽界が催され、
華やかな宮廷文化が花開いていたといいます。
ディアナの間
金や大理石が惜しげもなく使われた「ディアナの間」にある
ルイ14世の胸像。ちょっと分かりにくいかな。。
この部屋は、ルイ14世が御婦人達と、ビリヤードを楽しむ
為の部屋だったということです。へぇ~。。
戴冠の間
この部屋には、ダヴィッドの名画「ナポレオン1世の戴冠式」が
飾られているのですが、ここで面白い話を聞きました。
これと同じ大きさ、構図もまったく同じ絵が
ルーブル美術館にあるというのです。
ルーブル美術館にある方が、元の絵ですが、
このベルサイユ宮殿の絵もダヴィッドが描いた本物です。
ナポレオンが失脚したとき元の絵が焼却破棄されてしまうことを恐れて、
ダヴィッドが、もう一枚同じものを描いたというのです。
唯一つ、違えたのは。。自分が恋した女性のドレスの色だけを
変えたとか。。
確かに、ベルサイユ宮殿のこの絵に描かれた5人の女性のうち、
左から2番目の女性のドレスだけがピンク色です。
自分が恋した人のドレスだけピンクに色を変えるなんて
なんだかロマンチックなお話ですね~。
今回はルーブル美術館へ行く時間がないのですが、
いつか、ルーブル美術館へ行って、
全員同じ色のドレスの元の絵も見てみたいです。
鏡の間
ベルサイユ宮殿の中でも、儀式や外国の賓客を
謁見するために使われた鏡の間は一番有名で、
天井から、何本もの豪華なシャンデリアが吊り下げられています。
この部屋の豪華な事、美しい事。。もう、
うわ~~。。とか、ほぉ~~っ。。とか、そんな言葉しか出てきません。
ここは、第1次世界大戦終戦後、「ベルサイユ条約」が
結ばれた場所でもあるそうですよ。
さて、このように贅を凝らして、お金に糸目をつけない贅沢さが、
ルイ16世の頃には、国家財政の貧迫を招き、
それが、やがてフランス革命に繋がっていったようです。
1789年勃発したフランス革命により、
ベルサイユ宮殿もその終焉を迎え、
ルイ16世も、その妃マリー・アントワネットも
民衆の生活の苦しさを無視し、国費を浪費した罪で、
ギロチン刑に処せられてしまうことになるのです。
ベルサイユ宮殿のトイレ
と、ここでまたトイレの話になりますが。。
当時、べルサイユ宮殿には王族用以外のトイレが
なかったらしいのです。
トイレがないなんて、どういう事と思いますが、
人々は、広大な庭のどこかで用を足していたようで、
そのために、宮廷の女性のドレスは長く、
スカートが膨らんでいたというのです。
「花を摘みに行ってくる」というと、バラ園の隅などで
しゃがみこむことだったんですって。。信じられません。。
そして、臭いを消す為に、香水が色々と生み出されたようです。
こんなに豪華で、贅沢の極みを尽くしているのに。。
香水の研究するくらいだったら、
トイレくらい作ったらいいのに。。って思わず思ってしまいました。
でも、今でもベルサイユ宮殿のトイレは少なくて、
私達が行った時も、女性用トイレはすごく並んでいました。
私も、モンサンミッシェルの事があるので、並んでいたのですが
あまりの人の数で、とてもバスの出発時間に間に合いそうになく。。
さすがに主人も、何も言わずに待っていてくれましたが、
どうしよう。。どうしよう。。と思っていたら、
トイレの監視員のおばさんが、私を指差して
こっちへ入れという合図をします。
男性用があいたから入れということのよう。。。
たまたま、監視員さんの前にいたのが私だったから
声をかけてくれたようです。
え~~。。と思ったけど、この際と思い切って
男性用のトイレを使わせていただきました。
おかげで、バスの時間にも間に合ってラッキー~。
でも、後にも先にも、男性用のトイレを使ったのは
まだ、これ1回限りです。。ほんとですよ~。
オペラ通り
オペラ座
ベルサイユ宮殿から帰った後は、次のムーランジュールの
ショーまで、3時間ほどフリータイムです。
オペラ通りを歩いて、オペラ座の前までやってきました。
オペラ座は、ガルニエ宮とも呼ばれるパリの歌劇場。
2007年3月に、日本の大歌舞伎「勧進帳」「紅葉狩」が
市川団十郎・市川海老蔵によって公演されたのも、
このオペラ座です。
ドレスアップして、オペラ座で歌劇を鑑賞できたら、
どんなに素敵だろうと思いつつ、前を通り過ぎただけでした。
ギャラリーラファイエット
オペラ座の近くのデパート、ギャラリーラファイエットで
買い物をしました。
天井のネオ・ビザンチン様式の見事なドーム型ステンドグラス。
本当にここが、デパートなの。。?と疑ってしまいます。
でも、たしかにデパートです。
このデパートで主人が買った、機内持ち込み用の
茶色のスウェードのスーツケース。
主人のお気に入りになって、今も活躍しています。
寿司 口悦
今日の夕ご飯は、お寿司です。
昨日はフランス料理だったし、その前まではずっとイタリアンだったし、
そろそろ、日本食が食べたくて。。
もう、明日帰国するのになぜ。。と、思いつつ、
どうしても、日本食が食べたくなって。。二人で、ぶらっと訪ねてみました。
パリのお寿司がどんなものなのか興味もあるしな~
日本で食べるのと、まったく同じお寿司に感激。
よかった~、久しぶりのお寿司はやっぱりおいしいね~。
ムーランジュール
さて、パリ最後を飾るイベントは、モンマルトルの丘にある
ムーランジュールです。
夕暮れのパリの街をバスで移動。
セーヌ川の向こうにエッフェル塔も。
モンマルトルの丘は、パリの北西部に位置する小高い丘で、
絵描きや芸術家で溢れた街です。
近くにサクレクール寺院などもあって、散策したかったのですが
時間がなくて、夜のモンマルトルをバスから眺めただけになりました。
ムーランジュールの有名な赤い風車です。
この中で、踊り子さんによる華麗なショーが始まるのです。
主人はジャケットを着て、私もちょっとだけドレスアップして。。
トップレスのダンサーのショーと、ワインに酔いしれ、
フィナーレの有名なフレンチカンカンまで、
あっという間に時は過ぎていきました。
7月7日(水)
帰国の朝、ホテルの部屋の窓から見た景色です。
これで、パリの街ともお別れです。
こちらは、シャルルドゴール空港。
うちの長女、いや。。違った。。添乗員さんです。
色々とお世話になりました。
元気にされているかな。。
きっと、今も世界中を飛び回ってられるんでしょうね~。
楽しくて、夢のような10日間が終りました。
色んな事もありましたが、今ではどれも
楽しく、愉快な思い出になりました。
パリで出会った、小物たちにも集合してもらいました。
(ちょっと一言)
お久しぶりです。毎日、毎日暑いですね~。
風邪をひいて、ほぼ10日、まだ完治できない私です。
そんなに物持ちはいい方じゃないのに。。
咳が止まらないのですが、でも、あともう少しかなと思っています。
さて、6月29日から始まった、長い、長い旅行記に
お付き合い頂いたみなさん、
本当にありがとうございました~。
途中、体調を崩してしまったこともあって、
予定よりも、すごく長くなってしまいました。
ごめんなさい。。
でも少しでも、イタリア・フランスの旅を楽しんでいただける方が
おられたとしたら、嬉しいな~と思っています。
皆様、本当にお疲れ様でした。
ありがとうございました~。
また、次からは普通のブログに戻りたいなと
思っています。