夕日ヶ浦温泉旅行記での母の思い出に続いて
もう一つ両親の思い出話を書きたいと思います。
母の3回忌
昨年12月29日には、親族で母の3回忌の法要をしました。
母は2022年12月27日に亡くなったので、
丸2年以上が経ってしまったんですね。
年末の忙しい時でしたが、10人ほどの家族親戚が
母の法要に集まってくれました。
皆でお参りして、その後この階段を下りていきます。
やっぱりこの階段はきつい。
でも、無事に3回忌の法要が終わりほっとしました。
七条舞坂でお斎(おとき)
お斎(おとき・法要後の食事会)は、
父と母、両方の思い出の場所の七条舞坂で。
弟が予約し、お寺の和尚様も来てくださいました。
七条舞坂は、何度もこのブログに登場していますが
私が父を市民病院に連れていき、父の透析が決まった時の
忘れられないエピソードがあるお店なのです。
父と母の思い出(以前のブログから抜粋)
まだ、私が学生だった頃、
体調の悪い父を、検査の為に市民病院へ
連れて行ったことがあります。
その時の検査データーがすごく悪くて。。
そのまま入院して透析することを勧められてしまった父。
私はどうしていいやら。。おろおろ。
でも、父は、入院は次の日にして、一度家に帰ると言います。
先生のOKを貰って、父を助手席に乗せ家に帰る途中
七条舞坂の近くまで来た時、うなぎ大好きな父が、
「舞坂の鰻でも買って帰ろうか。」と、にやっ。
「入院したら、当分は食べれへんしな~。」
「え~。。そんなんええの。。」と言いつつ、
なんか、私も父に鰻を食べさせてあげたくて、車をストップ。
家族の人数分、うな丼を買って帰りました。
家に帰って、入院の事や、透析のことで、母も弟も心配し、
暗くて不安な空気が家中に流れたのですが、
ここで、家族分のうな丼が登場。
「いや。。当分食べれへんしと思ってな。。」と、
頭をかきながら、にやっと笑う、わんぱく坊主のような父を見て、
呆れながらも、みんなの顔に笑顔が戻りました。
美味しいうな丼を皆で食べて。。、おかげで
皆も、ま、なんとかなるやろう~、頑張っていこうと
前向きに思えたのです。
その後、透析を続けた父は、9年後に亡くなってしまったのですが、
この時、みんなで食べたうな丼は、
父が生きているときも、亡くなってからも
家族の心を温かくする思い出で、
舞坂のうな丼は母にとっても忘れられない味なのです。
そんな思い出の舞坂、その後母と一緒に食べに来たことも
何回かあり、その度、父の話で盛り上がっていました。
本日の特選うな重も美味しかったです。
今思うに。。これから入院透析と言われて、
うな丼を買おうと笑う父のすごさを、私はとても感じます。
私なら落ち込んで、食欲なんかないだろうに。
あの時の父はすごかった。。今はそんな風に思うのです。
母からの結婚祝い
さて、話を母の事にもどして。。
実は、昨年秋姪っ子(母にとっては孫)が入籍したのですが、
そのお祝いを、生前母から頼まれてました。
まだ結婚していない孫が結婚した時、もし私がいなかったら
お祝いを渡してあげてねと。
亡くなった後調べてみたら、ちゃんとその分のお金は、
封筒の中に残っていて。。
この日、うちの家に来た姪っ子夫婦に、
母から頼まれていたお祝いを渡しました。
お祝い袋もちょっと豪華なのを買って。
でも、名前を書くのはおかしいし。。と悩んで、
祖母と書くことにしました。
私達からの結婚祝いも一緒に渡しました。
ギリシャのお土産も一緒にね。
姪っ子たち喜んでくれましたよ。
母は5人兄弟(長女・次女・三女・四女・長男)の
三女でしたが、昨年末一人だけ元気だった次女の伯母が
101歳で亡くなり、全員があの世で揃うことに
なりました。
きっとあの世の方が賑やかになって、
皆でわいわいしていると思います。
お母さん、ちゃんと結婚祝い渡したよ。
幸せになるように見守っていてあげてね。
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