今朝の富士山
今日の富士山麓は晴天です。
ベレー帽のように可愛らしい笠雲を被っています。
忘れることの有り難さ
今日は忘れることの有り難さについて書きたいと思います。
先日片付けをしていて、何に使うのか咄嗟に思い出せない物がありました。
重さも有り、銘まで打ってあります。そこそこ高価な物です。
大切な物で、大事に使っていたのに、何なのか思い出せないのです。
夫に聞いて「火打ち石」の相方の方と判明しました。
言われれば「あー」と直ぐ解ります。石とペアーになっていたら何なのか思い出せないと言うことも無かったと思います。
呆れた様子の夫も、私が最近毎日使っているГ湯たんぽ」の事を「アンカ」と言い間違えたりしています。
二人共それなりの年になって来ていますので、物忘れとかド忘れをすると認知症になったのかしらととても不安になります。
特に私は、脳幹出血を患っていますので、もう昔のように、記憶力の良いタンポポおばさんとは言われないと思います。
でも、私最近忘れることって、すごく大切で、有り難いことなんじゃないかと思うのです。
例えば、両親の死去に伴う諸々の悲しかった出来事。
父の死後わずか二週間で自宅が火事になった悲惨な思い出。
兄や、姑との人間関係に悩んだ辛かった日々。
忘れてしまえば、恨むこともないし、悲しむことも無い。
まだ父や母を忘れることは無いけれども、嫌なことは、忘れることにしようと思っている。
「一生忘れないで恨んでやる」なんて台詞は、心の貧しさを現していると思う。
時間は忘れることを助けてくれる薬だと思う。
大体今の日本人には覚えることが多すぎます。
六十才前後の人は大変です。
今八十才の方が、パソコンを使えなくても、そんなに困らないと思うのですが、今、六十才前後の私たちがスマートフォンを使いこなせないと
直ぐに困る日がやって来そうな気配です。
生活必需品になる日も近いのかもしれません。
新しいことを覚えるのには、古いことは忘れるのが人間の知恵なのでしょう。覚える能力には限界があるのですから、もう使わない豆炭のアンカや、火打ち石は忘れても仕方がないのでしょう。
別れた昔の恋人のことは忘れて、新しい恋をする。
そうしないと、前に踏み出せませんものね。
忘れることは、より自分に必要なものを取り入れて行く自然の摂理なのかも知れませんね。