伝え聞く、いにしへの賢き御世には、あはれみをもちて国を治め給ふ。
すなはち、殿に茅ふきて、そののきをだにととのへず、煙の乏しきを見給ふ時は、かぎりある貢物をさへ免されき。
これ、民をめぐみ、世をたすけ給ふによりてなり。
今の世のありさま、昔になぞらへて知りぬべし。
意
聖帝の世では、慈悲をもって、国を治めなさったと聞く。
宮殿の屋根は、葺いた茅萱の草の先を切り揃えることさえなさらなかった。
民のかまどの煙が乏しいと見れば、王の生活に直接ひびく租税さえ免じなさった。
民を愛し、厚生を念となさったのである。
今の世の有り様がどんなものか、昔と比べてみれば、わかるであろう。
(思いがけない遷都によって荒廃した都の姿を憂いて)
鴨長明は、平安時代の末から鎌倉時代の初め、12世紀の後半から13世紀初めにかけて、政治の実権が貴族から武士へと移行する歴史の転換期を生きた人です。
今からおよそ800年前になります。
大火、つむじ風、遷都、飢饉、そして1185(元暦2)の大地震。
多くの家や人が失われる天災や、人災が相次ぎました。
現在の日本と似ていると思いませんか?
朝(あした)に死に夕(ゆうべ)に生まるるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。
意
朝死ぬ人があるかと思えば、夕方生まれる子がある。
まさに水に浮かぶ泡にそっくりだ。
私は知らない。
生まれたり、死んだりする人が、どこから来てどこへ消えてゆくのかを。
一言で言えば、やはり「無常」ということです。