今日はお墓参りのハシゴをしました。
富士市から、沼津市、国道246を通って小山町の富士霊園迄強行軍でした。
私の故郷の石塔です
平成
昭和
大正
明治等は見た事があると思いますので、江戸時代迄遡ってみます。
安政四己年十二月 1858年
安政は幕末期で、安政の大獄は、安政5年
1838年
天保九年十一月十日
天保の大飢饉等があった時代です。
1804年
文化元子三月十四日
文化文政時代
1779年
安永八
六月
1778年
安永七戍三月
今から237年前の月日が刻まれています。
読み取れる石塔の中で一番古い石塔です。
今から50年程前に私がお墓の草取りをしていた時には、天正等もっと古い時代の年号の朽ち果てた石塔がありました。
昭和53年頃の伊豆半島沖の群発地震や、
伊豆大島の噴火に伴って度々起きた地震。
加えて四年前の東日本大震災で様子が一変してしまいました。
もはや石のかけらのように風化したものもあります。
昔、普通の子供にとってお墓は陰気で恐ろしい場所でした。
夏休みには、子供会で、肝試しと言って、夜お墓の探検みたいなことをしたりしました。
いわば本物のお化け屋敷です。
私の生家は裏庭が小川を挟んで、お寺に続いていましたので、毎日竹藪の擦れる音や、葬式の鐘の音等を耳にしていました。
いわばお寺育ちのようなものです。
古いお墓は、私の歴史好きの原点のような気がします。
富士霊園にはお洒落なお墓や、新しい形式の墓石も沢山あります。
反対に全くお墓参りされていないようなお墓も。
石塔はただの石。
余り立派な石も困ります。
今日も太平洋戦争で戦死した兵隊さんのお墓が70年を経て壊れかけているのを目にしました。
片付けるのにもお金がかかって大変だそうです。
お墓捨て場の様子をテレビで見たことがあります。
237年以上前の御先祖様の石塔が同じ場所で、直系の子孫の手で延々と供養されている方が奇跡に近いことだと思います。
私は、シンプルで標準的なお墓にしました。