夢見るタンポポおばさん

富士山麓の風景、花の写真。エッセイ。

お迎えにあがりました。

2018-01-31 20:37:34 | 日記・エッセイ・コラム

                       お迎えにあがりました。

     般若心経の写経  私の母親が、みんなの幸せを願って書きました。

      

三十一日は、私と夫二人の母親の月命日です。

二人とも偶然に、七月三十一日に亡くなりました。

私の母親は平成二年に67才で、クモ膜下出血で倒れて18日目に呆気なく…

姑は、長い間関東の病院に入院した後で、

平成二十八年、お盆の14日に満89才の誕生日を迎える前に、享年89才で逝去。

 

                     『お迎え』

私の母は明るくて、良く気が付く働き者だったので、生前は、友人も多くて、兄弟、姉妹の仲も良好で、

誰も相手にしないような偏屈な老人や孤独な老人にも、案外気に入られていました。

 それとは全く対照的に、姑は僻みっぽくて、我が儘で、見栄っ張りなので、

心を許せる友人も、笑い声も少なくて、実の兄弟や親、とも疎遠な人でした。

 

人間は生きたようにしか死ねないと言われますが、

姑の死を見て、とても実感させられます。

あの世には、

自分の思惑通りには行けない…

お金も着物も。

            姑の持ち物は、棺桶に入れた汚れたリハビリシューズと、ヨレヨレのブラウス。

          海外旅行のお土産物とか言うお人形。使い古したハンカチと箸。茶碗と湯呑み以外全部

宝石も、お気に入りの諸々の家財も…全部

姑が未だ生きている内に、『汚いから』と言って、

義兄一家が全部棄てたそうです。

  60才の男の厄年に、癌で余命半年と告げられ

半年間の闘病の後、亡くなった義父が遺した遺産。

義父が未だ入院中に、遺産を当てにして、

姑と義兄の家を契約していた姑。

そんな醜い手段で手に入れた東京都下の家も古くて、汚いからと、

関東の外れの老人病院に入院中に、

弟に何の連絡も、ましてや承諾も許可も無く、勝手に取り壊されて、

義兄の家が建設されていた…

にもかかわらず、死後、姑の遺体は家にも入れて貰えずに

潰れて経営者の代わった死体の臭いが充満している薄気味悪い

葬儀屋の遺体置き場に一人で置かれていました。

枕元には、

しおれて枯れかけた菊の花。

夏の暑さで傷んだお団子。

前の遺体に使った物でしょうか?

 

       自分が今まで、好き勝手に、やってきたようにやられる。

義兄たちは、自分たちもまた同じ轍を歩むとか全然考えてもいないようです。

 

    ここからは私の想像です。

   母が、 自分の命日に、姑をあの世に連れて行ってくれた?

Г義父さんは、義母は、我が儘で煩いからもう少し独りでノンビリしたい。

彼女ももう少し苦労した方が良いから、

未だ迎えに行かない。」って言っているので、私が迎えに来ましたよ!!

こんな病院に独りで何時までいたって孫達や曾孫にも逢えません。

七月三十一日が私の祥月命日だから、一緒に連れて行ってあげますよ。

命日が同じならば、お経も大丈夫。

毎日、必ずお線香や御灯明もあげてくれます。

お水やお茶、ご飯やお供え物。

お花も庭の花だけども、切らすこともありません!

何しろ命日が同じならば、存在が忘れられないで、私と一緒に供養して貰えます!!

こんな良い話無いじゃ無いですか?

サァ、いきましょう。

 逝きましょう…