夢見るタンポポおばさん

富士山麓の風景、花の写真。エッセイ。

宮沢賢治 雨ニモマケズ

2011-03-05 20:08:49 | 写真

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世界中のあちらこちらで、何の罪もない国民を巻き込んで、紛争が絶えません。

日本でも、国民の民意など馬耳東風で、国会議員の権力争いが連日行われています。

宮沢賢治

雨ニモマケズより

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ

慾ハナク

決シテ瞋ラズ

イツモシヅカニワラッテヰレ

中略

東ニ病気ノコドモアレバ

行ッテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ

行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ

南ニ死ニサウナ人アレバ

行ッテコハガラナクテモイイトイヒ

北ニケンクヮヤソショウガアレバ

ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒデリノトキハナミダヲナガシ

サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボートヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニ

ワタシハナリタイ

昭和6年11月3日手帳より

『 世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない』

農民芸術概論綱要   序論

宮沢賢治

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富士山の一日

2011-03-04 20:45:24 | 写真

夜明け前の富士山です。

静かに佇んでいます。

山寺の鐘が、午前六時を告げています!

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午前十時頃の富士山。先日の積雪で、麓まで白くなっています。

畑の白色は、霜柱です。

寒さが戻って来ました。

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昼過ぎの富士山。

春の日差しを浴びて、ゆったりとその美しい姿を見せています。

手前の白色の花は、満開の梅。

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雲が、出て来ました。

影が、富士山の雪に映っています!

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雲が、富士山の上で遊んでいるようです!

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杏の蕾が膨らんで、桃色になって来ました。

花の色は、何色?

答えは咲いてからのお楽しみ!

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耳の日 耳寄りな話

2011-03-03 21:48:33 | 映画

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今日三月三日は、雛祭りだけでなく、

語呂合わせですけれども、耳の日です。

今日は、耳の日にちなんで、耳寄りなお話です。

ある方々にとっては、耳障りな音です。

耳順 じじゅん    六十才    孔子   論語  為政

孔子は、六十才になって、人の言うことをすぐ理解出来、素直に受け入れられるようになったと言う。

耳目 じもく

耳と目。聞くことと見ること

人の手先となって働く者

人を指導する者。

耳目之官じもくのかん

天子の耳目の代わりになる役人の意。国家の治安を保護する官。

耳視じし

みみで見る。の意

耳にしたことを、よく確かめもしないで、そのまま行うこと。

耳食じしょく

耳で聞いて、食物の味を判定する。転じて、他人の説を聞いて、それをそのまま信じること。

逆レ耳みみにさからふ

聞きにくい。

聞いて心に苦痛を感じること

忠言逆耳  漢書

今の日本の政治家は、ほとんどみんな聴く耳を持っていません!

国会中継を見ていれば、彼らの聞く態度の欠如は一目瞭然です!リビアの指導者の轍を踏むようなことはしないで欲しい!

耳目の官の代表であるはずの議員

国民を甘く見ているのではありませんか?


富士山に春雷

2011-03-02 20:02:12 | 写真

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今日は久しぶりに富士山が見えました!

真っ黒な雲に隠れていた富士山が、みるみるうちに姿を現しました。

あまりの美しさに見とれて夢中で撮影していました。

とその時、突然ドカーンと言う物凄い爆音。

周りにいた人がみんな北朝鮮からミサイルが飛んで来たのかと思ったくらいです!

春雷でした!

多少の雷や、停電などには驚かない私たちですが、流石に今日のは驚きました!

雨はほとんど降りませんでした。

下の富士市街や、沼津市では、雨が降ったようです。

七変化の富士山をご覧下さい。

今日、富士山は自然の力強さを見せてくれました。私は今日は、133枚も撮影しました。

夕日の中に虹が見えますよ!


弥生一日生まれの女

2011-03-01 20:14:15 | インポート

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今日三月一日は、私の亡き母の誕生日です。

よく死んだ子の年を数えると言いますけれども、私はいつも死んだ親の年を数えています。

大正12年3月1日に生まれて、平成2年7月31日に亡くなりました。(1923~1990)

67年の人生でした。

1日から31日というのが、母の人生を象徴していると思っています。

何から何まで

最初から最後まで

基本から応用まで

私の故郷では、『食うこんから食わないもんまで』と言います。

旧家の嫁の心得なのです。

食事の支度すなわち、炊事、洗濯、掃除などの家事全般。

食わないもん、すなわち家の継承。冠婚葬祭に代表される交際。

子供の教育。老親の介護。

母がクモ膜下出血で倒れて、救急車で緊急入院した時に、

薬で眠り続ける母を見て、「あー、お母さんはやっと、あの重いお茶の袋を担がなくて良くなったんだ。」と思った私なのです。

「お父さんさえ生きていてくれたら」というのが、母の口癖でした。

その頼りの父親も1日生まれで、25日に亡くなりました。(1920~1966)

25日は、サラリーマンの給料日が多いです。

父親は、お金、経済の支えを象徴していると思っています。

今日母は、生きていれば満八十八才の米寿だったのですが、十時間を超える手術を耐えたにもかかわらず、

闘病わずか18日で意識が回復しないままに、20年前に亡くなりました。