慣れることの恐ろしさ
今日の夕刊でオウム真理教の死刑囚6人の死刑が執行されたと言うニュースを読みました。
これで13人全員を死刑執行。
ひと月の間に二度も。一面に死刑執行のトップ記事。
事件の特殊性を考慮すれば死刑執行は当然だとは言え、
日本の政治の枠組み。
司法、立法、行政の三権分立が護られているのかとても不安になります。
国の高級官僚を始め、首相の取り巻き連中の嘘八百が平気でまかり通る現在の政治。
これから先、日本はまた暗い世の中になって行くのではないかと危惧しています。
新聞の一面トップに、6人死刑執行の活字が出ていても、慣れてしまってまたかと気にしなくなるのが恐ろしいです。
家族間の殺人事件等も、最近では、年がら年中日本のあちらこちらで起こっていますので、
ニュースに出た時以外は慣れてしまって余り驚かなくなりました。
想像を絶するような暑さや、経験したことのない集中豪雨等も
連日のように報道されると、聞き慣れてしまって、
またかと思って注意を払ったり、警戒態勢を疎かにしがちです。
腐った政治に最初は異議を唱えていた人々も、腐りきった環境下では、だんだん臭さに慣れて腐りきった世界に馴染んで来ます。
どうしても死刑をしなくてはいけないのか、人間が人間を裁く事が出来るのか、
これで良いのかこれが最善の策なのだろうか
違うのでは無いのか、
余所の国はどうしているのか
起こった事実の
原因や結果に対して疑問を持つと言う観点での議論は十分だったのか
最近の政治。
特に国会のあり方を見ていると、馴れ合いの恐ろしさを感じざるを得ません。
異常事態が日常的に起こると慣れてしまって、
極めて異常な方法が当たり前。
正常な感性や感覚、が異端視される危険な状況に陥ってしまいます。
街中を下着姿で歩いたらおかしいですが、昨今の女性の薄着ファッション。
下着姿とあまり変わらないと思います。
見ている方が恥ずかしくなってしまいます…
が着ている方は真剣な勝負服です!
げに、慣れることは恐ろしきこと。