※今日はmixiと連動いたします。
指揮者の小澤征爾さん(74)が食道がんと診断されて
6月まで全公演をキャンセルすることが分かりました。
小澤征爾さんがモデルになった恋愛小説
があるのをご存知でしょうか?
カナダの女性作家Sarah Sheard(1953~ )が
1985年に書いたALMOST JAPANESE です。
(邦題『私とアキラと日本と』伊藤和子訳:1995年)
小澤征爾さんのニュースを知って思い出したので
この小説のことを紹介したいと思います。
◆14歳の少女の初恋の相手は
カナダに住む14歳の少女エマ。
彼女の14歳の誕生日に、地元のオーケストラが日本人の
常任指揮者を迎えることになりました。
アキラは隣のベネットさんの家を買った。
父と母は、大変な名誉だと言っていた。
「あの日本人は天才だ」
「マルコーニかアインシュタインが隣に越してくるようなものだ」
※アキラの家に挨拶に行くことになったエマに映った姿の描写から
・若白髪がいく筋か混じった髪
・濡れたような黒で、つやつやと光沢がある。
・笑うとその髪が揺れて、ひたいに降りかかる。
「その髪の下から、私をじっと見つめる目」
・猫の目のような目の形
・かすれたがらがら声だが、どこか女性っぽい。
・強い訛りで「鳥が歌を覚えるように私の名前を繰り返した」
それからというもの、
エマにとってアキラはかけがえのない憧れになりました。
アキラの描写は小澤征爾さんに見えてきませんか。
◆つつみこむ愛情
「今日で15歳になった。アキラは37歳」
「彼はとても人に気をつかう。私よりずっとデリケート」
「彼は私になんでも話してくれる。言葉のハンデは問題にならない」
「僕はエマとなんでも話すんだ、と彼は誇らしげにマネージャーに言った。
セックスの話以外はね・・」
「私たちの愛は特別だった」
◆◆
思春期の揺れ動く繊細な感情と、モデルとなった小澤征爾の魅力が
複雑に交差していきます。
◆◆
エマは大人になり、同年代の男の子とのいろいろな恋愛体験を経て
再びアキラと向き合うかのように、日本に向かいます。
◆ふたたびめぐり合う歳月の中で
日本での凱旋公演を聴きにきたエマに映ったアキラの描写から
・一瞬見た瞬間、息を呑んだ。
・かなり過酷な生活をしているようだ。
・髪はもうほとんど灰色。
・目と口のまわりには小じわができている。
・皺が刻まれたせいで、どこか西洋人的な風貌に見える。
この時の演奏は、アキラがヨーロッパの楽団に移るために
エマと別れる最後のコンサートと同じ曲目でした。
ドヴォルザークの交響曲第四番
エマは大泣きするんです。
まるで過去の純粋な恋愛を思い出すかのように。
コンサート終焉後、楽屋での再会シーンは
いつ読んでも泣けます。。
彼はすでに結婚し、子供もいる。
そのことはカナダの新聞で読んで知っていた。
彼はうちの近所の様子をたずねた。
あれから変わった?
きみは結婚したの?
ご両親は健在?
無意識のうちに私は、
彼とつきあっていた頃の話し方にもどっていた。
短い簡単なフレーズを重ね、彼と同じように冠詞を省く。
◆小澤征爾と重なる・・
エマはアキラに問いかけます。
お疲れでしょう?私はもう帰ります。
あなたはしあわせ?
今の生活はどう?
このあとのアキラのセリフは
今日のニュースの小澤征爾さんと重なります。
彼の顔を疲労の影がよぎった。
指揮者はラクじゃない。
経営サイドとしょっちゅう会議があるし、責任が重い。
寝る暇が無くてね。くたびれるよ。
彼は笑った。
僕はもう年だ、エマ。よれよれのじいさんさ。
どうか、笑ってやってくれ!
私はたまらなくなって、彼の手を握り締めた。
彼女は、僕がカナダにいた頃、隣にすんでいたお嬢さんでね。
それが今では、こんなにきれいな娘さんになって・・
(以上、伊藤和子訳を多少移し変えて紹介いたしました)
◆◆
小説のラストを明かすのはいけないことですから書きません。
この小説が絶版なのは惜しい。
今ならケータイ小説に再編してもっと紹介してほしいです。
純粋な恋愛小説としても秀作です。
そしてなによりも北米カナダ人の女性が
小澤征爾をこんなにエキゾチックで男性的魅力あふれる人物
として描写してくれたことで
彼の生演奏が聴かれなくなっても、時代をこえて永遠に
世界のオザワの魅力が語り継がれることでしょう!
小澤征爾さんの復帰を願いながら。
◆◆◆
いつかおばさんになったエマが
年老いたマエストロに再会し
たくさんの歳月の向こうに
きらきら輝いている日々を振り返って
温かな気持ちで胸がいっぱいになる。
そんな場面を想像しながら・・
(『私とアキラと日本と』訳者:伊藤和子さんのあとがきから)
◆◆◆
それではよい連休を。
よい成人式をお迎えください![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0001.gif)
指揮者の小澤征爾さん(74)が食道がんと診断されて
6月まで全公演をキャンセルすることが分かりました。
小澤征爾さんがモデルになった恋愛小説
があるのをご存知でしょうか?
カナダの女性作家Sarah Sheard(1953~ )が
1985年に書いたALMOST JAPANESE です。
(邦題『私とアキラと日本と』伊藤和子訳:1995年)
小澤征爾さんのニュースを知って思い出したので
この小説のことを紹介したいと思います。
◆14歳の少女の初恋の相手は
カナダに住む14歳の少女エマ。
彼女の14歳の誕生日に、地元のオーケストラが日本人の
常任指揮者を迎えることになりました。
アキラは隣のベネットさんの家を買った。
父と母は、大変な名誉だと言っていた。
「あの日本人は天才だ」
「マルコーニかアインシュタインが隣に越してくるようなものだ」
※アキラの家に挨拶に行くことになったエマに映った姿の描写から
・若白髪がいく筋か混じった髪
・濡れたような黒で、つやつやと光沢がある。
・笑うとその髪が揺れて、ひたいに降りかかる。
「その髪の下から、私をじっと見つめる目」
・猫の目のような目の形
・かすれたがらがら声だが、どこか女性っぽい。
・強い訛りで「鳥が歌を覚えるように私の名前を繰り返した」
それからというもの、
エマにとってアキラはかけがえのない憧れになりました。
アキラの描写は小澤征爾さんに見えてきませんか。
◆つつみこむ愛情
「今日で15歳になった。アキラは37歳」
「彼はとても人に気をつかう。私よりずっとデリケート」
「彼は私になんでも話してくれる。言葉のハンデは問題にならない」
「僕はエマとなんでも話すんだ、と彼は誇らしげにマネージャーに言った。
セックスの話以外はね・・」
「私たちの愛は特別だった」
◆◆
思春期の揺れ動く繊細な感情と、モデルとなった小澤征爾の魅力が
複雑に交差していきます。
◆◆
エマは大人になり、同年代の男の子とのいろいろな恋愛体験を経て
再びアキラと向き合うかのように、日本に向かいます。
◆ふたたびめぐり合う歳月の中で
日本での凱旋公演を聴きにきたエマに映ったアキラの描写から
・一瞬見た瞬間、息を呑んだ。
・かなり過酷な生活をしているようだ。
・髪はもうほとんど灰色。
・目と口のまわりには小じわができている。
・皺が刻まれたせいで、どこか西洋人的な風貌に見える。
この時の演奏は、アキラがヨーロッパの楽団に移るために
エマと別れる最後のコンサートと同じ曲目でした。
ドヴォルザークの交響曲第四番
エマは大泣きするんです。
まるで過去の純粋な恋愛を思い出すかのように。
コンサート終焉後、楽屋での再会シーンは
いつ読んでも泣けます。。
彼はすでに結婚し、子供もいる。
そのことはカナダの新聞で読んで知っていた。
彼はうちの近所の様子をたずねた。
あれから変わった?
きみは結婚したの?
ご両親は健在?
無意識のうちに私は、
彼とつきあっていた頃の話し方にもどっていた。
短い簡単なフレーズを重ね、彼と同じように冠詞を省く。
◆小澤征爾と重なる・・
エマはアキラに問いかけます。
お疲れでしょう?私はもう帰ります。
あなたはしあわせ?
今の生活はどう?
このあとのアキラのセリフは
今日のニュースの小澤征爾さんと重なります。
彼の顔を疲労の影がよぎった。
指揮者はラクじゃない。
経営サイドとしょっちゅう会議があるし、責任が重い。
寝る暇が無くてね。くたびれるよ。
彼は笑った。
僕はもう年だ、エマ。よれよれのじいさんさ。
どうか、笑ってやってくれ!
私はたまらなくなって、彼の手を握り締めた。
彼女は、僕がカナダにいた頃、隣にすんでいたお嬢さんでね。
それが今では、こんなにきれいな娘さんになって・・
(以上、伊藤和子訳を多少移し変えて紹介いたしました)
◆◆
小説のラストを明かすのはいけないことですから書きません。
この小説が絶版なのは惜しい。
今ならケータイ小説に再編してもっと紹介してほしいです。
純粋な恋愛小説としても秀作です。
そしてなによりも北米カナダ人の女性が
小澤征爾をこんなにエキゾチックで男性的魅力あふれる人物
として描写してくれたことで
彼の生演奏が聴かれなくなっても、時代をこえて永遠に
世界のオザワの魅力が語り継がれることでしょう!
小澤征爾さんの復帰を願いながら。
◆◆◆
いつかおばさんになったエマが
年老いたマエストロに再会し
たくさんの歳月の向こうに
きらきら輝いている日々を振り返って
温かな気持ちで胸がいっぱいになる。
そんな場面を想像しながら・・
(『私とアキラと日本と』訳者:伊藤和子さんのあとがきから)
◆◆◆
それではよい連休を。
よい成人式をお迎えください
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