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受験生の静かな戦い◆センター試験から

2010-01-15 13:27:52 | 日記
こんにちは。

今週の土日は
大学入試センター試験がありますね。
受験生は がんばってください!


試験会場にもドラマがあります。

◆現金輸送なみの厳重管理


入試数日前には、センター試験の問題・解答用紙が
各大学に搬入されます。

私が大学に勤務していたときは
銀色をした専用のジュラルミンケースが
たくさん届いて、それを保管場所まで厳重にもって
いきました。

保管には決められた手順・ルールがあり、すべて
マニュアルにしたがって作業をします。

現金輸送か金塊輸送なみの緊張感がありました。


◆試験には運命がかかる


試験準備で漏れがあったり、当日も受験生に不利があれば
ただのミスでは済まないことになります。

受験ミスというのは入学機会が失われてしまうという意味で
生涯の人生に与える影響が大変に重いものです。


試験の監督要領(マニュアル)はエネルギーの限りをつくして
読みこなした覚えがあります。

「絶対に手順を間違えないようにしなきゃ!」

受験生以上に監督者が必死になりました。


◆試験監督も試験をされている


試験会場となる大学では、どんなトラブルにも対応できるよう
学長以下教職員は緊張しながら準備しています。


監督要領(マニュアル)には映画かテレビの台本のように
試験時間に沿っていうべき注意事項のセリフがはっきり太い活字
で書かれています。

間違ったことや間違った指示もできません。
全国いっせいに、同じタイミングでしゃべります。
それが公平な試験の条件なんです。


試験会場は
試験監督にとっても試験されているようなものです。
その意味で、当日の受験生へアドバイスするなら

試験監督の顔を眺めて、
「あの人は 自分より緊張しているんだから」
「あの人よりは 自分は大丈夫なはずだろう」
などと観察する余裕を持ってみてね。


◆受験のスタイルの変化から


今の大学受験では、AO入試が半数を占めていたり
また受験機会も複数回あったりしますから
親世代が思うほど学力一辺倒ではなくなっています。

その分、大学生に基礎学力が低下していることは事実です。

入学後に性格適性検査(言語能力や計算能力も調べられるもの)
を実施すると、AO入試組と学力入試組では明らかに
数値の開きがあるんです。


そういった学生が、これからどんどん社会に出ようとしています。
(ゆとり教育世代がいよいよ就職活動していますね)


私は偶然にも、大学の職場でこの状況を理解してきました。

それで今の大学生や、これから社会人になる年代に向けてメッセージを
発信するときに私が気をつけていることがあります。


◆知らないことは知らないのです


社会的に当たり前のようなことを知らないケースがあっても
それを知らないこと自体 は責めるべきではないです。
普通に教えれば、素直に理解してくれます。

教えてみて、理解が不足していたら注意する。

知らないこと自体を
そんなことを知らないなんて!と
先に注意してしまうと
そこから先にはコミュニケーションが取れなくなる。

知らないことを責めるよりは、改めて教えることを優先しましょう。


◆平成生まれをあたたかく迎えるには

今年成人式を迎えた世代は全員が平成生まれになったようです。

いずれ昭和世代は淘汰されますから、彼らに期待して
社会にスムーズにあたたかく迎えたいなあと思います。

社会への第一関門は就職から
その前段にあるのが大学入試

就活も入試も、平成がリードする時代です。
バトンタッチできますように。



センター試験中(17日)に誕生日迎えながら
明治生まれはただつぶやくのみです

注:
昭和43年生まれなので(明治維新から100年)
意識の上では明治生まれと思っています。

では。


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阪神大震災の日の前に◆再生を願う私自身の誕生日から

2010-01-14 18:06:49 | 日記
こんにちは。

もうすぐ1月17日がやってきます。
個人的には
誕生日
なんですが

15年前からは
阪神大震災の日なのであまり浮かれて
いられません。

自分の誕生日が鎮魂の日というのは
いろいろと考えさせられます。


震災当時は三重県の鈴鹿市に住んでいたので
その日は鈴鹿山脈を越えて
かなりの揺れを体感しました。


体に刻まれた地震の揺れが誕生日と重なったので
ひときわ印象的でした。


当時、もし鈴鹿に住んでいなかったら
震災はニュースでしか理解できなかったと思います。
歴史の体感ということですね。


明治生まれのおばあちゃんは
その昔
関東大震災を経験していて
「びっくしたよー」
(紀州和歌山の出身なので「びっくり」をこんな発音?してました)
と言ってました。

そのうちに私自身も
おじいさんになって

阪神大震災があって
「びっくりしたよー」

と語り継ぐ人生を歩むのかなと思っています。


関東大震災によって、江戸から明治にかけて根付いた
ものがいろいろと崩壊しました。

崩壊は再生とセットになります。
その後の再生は、歴史解釈がなされています。


阪神大震災によって、敗戦から戦後復興してきた
ものがいろいろ崩壊しました。

その後の再生は、今まだ現在進行中ですね。


願うものなら、日本は
歴史的に立派な再生を果たした
と言われるようにしていきたいです。

ここ15年はずっと
自分の誕生日を契機にして
地震の復興と自分の年齢、成長が
鎮魂と再生に見合うものなのかどうか

振り返らざるをえません。



こういうことを先に書いておいて
誕生日前は
すこし気軽になりたいです

では




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青砥藤綱はFPの神様だと思います◆72の法則から

2010-01-13 13:30:30 | 日記
こんにちは。

昨日紹介した青砥藤綱は鎌倉時代の人物です。

そこで彼が川底に10文を落とした年月を仮に
正応3年(鎌倉時代の名僧、叡尊死去の年)
1290年としてみます。

青砥がファイナンシャルプランナーであるなら
現代に向かってこのような説明をすると思います。


銀行預金の金利が0.1%であるなら
それは

正応3年に私が川に10文を落として拾い上げ
その年に10文を銀行にあずけたとして、ようやく
平成22年の今年で20文になる、ということだ。



預けた金を2倍にするための
金利と年数はどのくらいであるか?

これを72の法則という。
金利(%)×年数=72


青砥藤綱の10文は
金利0.1%なら720年でようやく2倍になります。
※複利計算の場合



銀行や証券、保険のパンフレットをみて
利率が表示されていれば、自分で実際に計算してみれば
はじめて分かることが たくさんあるのです。

72の法則については、アメリカの学生向け金融教科書
にも掲載されています。

青砥藤綱の話は、まさに720年後の平成の日本にこそ
ぴったりの金融話なんだと思うこのごろです。


だから青砥藤綱は
ファイナンシャルプランナーを守護する高天原
八百万の神々の一柱かもしれませんね

FP試験受ける時には彼に神頼みしましょう
では
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鎌倉時代のファイナンシャルプランナー◆青砥藤綱から勉強中

2010-01-12 11:34:28 | 日記
こんにちは

連休中、道端で1円玉を連続して3枚拾いました。
見つけようと思ったのではなくて、自然に視界に
入ってきたものが1円玉でした

私は、1円玉は見つけると必ず拾います。
(意地汚いといわれたら困っちゃいますが)

なぜなら、1円といえども価値はあるんです

100円ショップで税込み105円のものを買うとき
104円しか無かったら

絶対に買えません。

1億円の買い物でも、9999万9999円しか無かったら

絶対に買えません。


仕事ではご先祖かも知れない
鎌倉時代の武士の逸話を紹介しますね。


◆川に落とした小銭を拾うか拾わぬか。


鎌倉時代後期の武士、青砥藤綱は
ある時、橋の上から10文を落としてしまいました。

夜が近くなったので50文で松明を買い求め
松明の明かりで川底を照らして10文を拾い上げました。


10文というのは小額な銭です。

それを拾うために、さらに50文を費やすなどして
「青砥藤綱は何と無駄な事をしたものよ」
と彼を揶揄する者がいました。

質問:
彼はその声に、どう返答したのでしょうか?

ファイナンシャルプランナーの資格試験に
出題したいものです。


◆貨幣価値と経済原理


武士の金は、領民から頂いたものであろう。
たとえ小額であっても川に落としては申し訳ない。

川に落ちてしまったら、貨幣は拾わぬ限り石ころのようなものだ。

それを探すために費用を出すことによって結局は

領民の元に金が行き渡り、領民はそれで生活することができる。

したがって自分の行為は理にかなうものである。
(無駄な行為ではありえない!)


彼を揶揄した人物はこの話を聞いて恥じ入ったという・・

(「太平記」から)


◆鎌倉時代のファイナンシャルプランナー


結局彼は10文落とした結果
50文損しただけじゃないの?

鎌倉時代以降、現代まで青砥藤綱の考え方をきちんと理解できた
人は少ないと思うんです。

青砥自信の蓄えは確かに10文の損失と
さらに50文を消費しました。

しかしその消費が、回りまわって他人の懐を潤す景気につながる
という理解力こそ鎌倉時代のファイナンシャルプランナーだと思います。


私の話に戻ると、1円玉といっても価値があります。
たとえば海外でレート換算したらどうなるでしょう。
1円玉でモノが購入できる国もあるんです。

貨幣の価値を認識して大切に使うということは大切ですよね。
でもそこにとどまるだけではなくて、

自分の支出は他人の収入につながっているのだ、という経済感覚
もまた大切だと思います。


◆リアリストとしての足跡から


青砥藤綱という武士がどんな武士だったかを示すもう一つの
逸話があります。

相模守(北条時頼)が、夢のお告げで
「青砥という武士に所領を与えよ」と言われたので実際に所領を
与えようとしたところ、彼は辞退します。

普通なら「所領を与えられる」ことは収入増であり名誉なことです。
宝くじに当たった、たなぼたの幸運として受け取る事もできました。


彼の判断は非常に現実的なロジックにもとづいたものです。



そのような理由(夢)で所領を与えられるということは、
もし仮にその夢に<青砥の首を刎ねよ>とお告げがあれば
私は簡単に首を刎ねられるということでもありましょう。


リスクマネジメントが徹底していたということですね。


彼がもしタイムスリップして現代で仕事をするとするなら
やっぱり優秀なファイナンシャルプランナーです



来月に生保FPの資格試験を受ける身としては青砥藤綱に
守護霊にでもなって頂きたいと思うものです。

1円を大切に拾う精神だけは彼を見習っているんですが
コメント (3)
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小澤征爾に恋をした、14歳のカナダの少女の話から★

2010-01-08 15:11:15 | 日記
※今日はmixiと連動いたします。

指揮者の小澤征爾さん(74)が食道がんと診断されて
6月まで全公演をキャンセルすることが分かりました。



小澤征爾さんがモデルになった恋愛小説
があるのをご存知でしょうか?

カナダの女性作家Sarah Sheard(1953~ )が
1985年に書いたALMOST JAPANESE です。
(邦題『私とアキラと日本と』伊藤和子訳:1995年)

小澤征爾さんのニュースを知って思い出したので
この小説のことを紹介したいと思います。


◆14歳の少女の初恋の相手は

カナダに住む14歳の少女エマ。

彼女の14歳の誕生日に、地元のオーケストラが日本人の
常任指揮者を迎えることになりました。


アキラは隣のベネットさんの家を買った。
父と母は、大変な名誉だと言っていた。
「あの日本人は天才だ」
「マルコーニかアインシュタインが隣に越してくるようなものだ」

※アキラの家に挨拶に行くことになったエマに映った姿の描写から

・若白髪がいく筋か混じった髪
・濡れたような黒で、つやつやと光沢がある。
・笑うとその髪が揺れて、ひたいに降りかかる。

「その髪の下から、私をじっと見つめる目」
・猫の目のような目の形
・かすれたがらがら声だが、どこか女性っぽい。
・強い訛りで「鳥が歌を覚えるように私の名前を繰り返した」

それからというもの、
エマにとってアキラはかけがえのない憧れになりました。

アキラの描写は小澤征爾さんに見えてきませんか。

◆つつみこむ愛情


「今日で15歳になった。アキラは37歳」

「彼はとても人に気をつかう。私よりずっとデリケート」

「彼は私になんでも話してくれる。言葉のハンデは問題にならない」

「僕はエマとなんでも話すんだ、と彼は誇らしげにマネージャーに言った。

セックスの話以外はね・・」

「私たちの愛は特別だった」
 
◆◆
思春期の揺れ動く繊細な感情と、モデルとなった小澤征爾の魅力が
複雑に交差していきます。
◆◆


エマは大人になり、同年代の男の子とのいろいろな恋愛体験を経て
再びアキラと向き合うかのように、日本に向かいます。


◆ふたたびめぐり合う歳月の中で


日本での凱旋公演を聴きにきたエマに映ったアキラの描写から

・一瞬見た瞬間、息を呑んだ。
・かなり過酷な生活をしているようだ。
・髪はもうほとんど灰色。
・目と口のまわりには小じわができている。
・皺が刻まれたせいで、どこか西洋人的な風貌に見える。


この時の演奏は、アキラがヨーロッパの楽団に移るために
エマと別れる最後のコンサートと同じ曲目でした。

ドヴォルザークの交響曲第四番

エマは大泣きするんです。
まるで過去の純粋な恋愛を思い出すかのように。


コンサート終焉後、楽屋での再会シーンは
いつ読んでも泣けます。。

彼はすでに結婚し、子供もいる。
そのことはカナダの新聞で読んで知っていた。
彼はうちの近所の様子をたずねた。

あれから変わった?

きみは結婚したの?
ご両親は健在?

無意識のうちに私は、
彼とつきあっていた頃の話し方にもどっていた。

短い簡単なフレーズを重ね、彼と同じように冠詞を省く。


◆小澤征爾と重なる・・

エマはアキラに問いかけます。

お疲れでしょう?私はもう帰ります。

あなたはしあわせ?
今の生活はどう?

このあとのアキラのセリフは
今日のニュースの小澤征爾さんと重なります。


彼の顔を疲労の影がよぎった。

指揮者はラクじゃない。

経営サイドとしょっちゅう会議があるし、責任が重い。
寝る暇が無くてね。くたびれるよ。

彼は笑った。

僕はもう年だ、エマ。よれよれのじいさんさ。
どうか、笑ってやってくれ!


私はたまらなくなって、彼の手を握り締めた。


彼女は、僕がカナダにいた頃、隣にすんでいたお嬢さんでね。
それが今では、こんなにきれいな娘さんになって・・

(以上、伊藤和子訳を多少移し変えて紹介いたしました)


◆◆
小説のラストを明かすのはいけないことですから書きません。

この小説が絶版なのは惜しい。
今ならケータイ小説に再編してもっと紹介してほしいです。


純粋な恋愛小説としても秀作です。
そしてなによりも北米カナダ人の女性が

小澤征爾をこんなにエキゾチックで男性的魅力あふれる人物
として描写してくれたことで

彼の生演奏が聴かれなくなっても、時代をこえて永遠に
世界のオザワの魅力が語り継がれることでしょう!


小澤征爾さんの復帰を願いながら。


◆◆◆


いつかおばさんになったエマが
年老いたマエストロに再会し

たくさんの歳月の向こうに
きらきら輝いている日々を振り返って
温かな気持ちで胸がいっぱいになる。

そんな場面を想像しながら・・
(『私とアキラと日本と』訳者:伊藤和子さんのあとがきから)

◆◆◆

それではよい連休を。
よい成人式をお迎えください



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