都合で早く到着、
「坐禅会の札」禅堂はこうこうと明るい、
老師はストーブをたいてくださり、
すでに座についていらっしゃる。
一番乗りの私も定位置に促され、いつもと違う「内側を向いて座りなさい?」
寒い朝の参禅「まず足指、足裏・ふくらはぎのマッサージ」の指導。
普段はこんなことはなく、なぜ?でした。
定刻になってもこのしぐさが続く、いつも中座されるはずの
6時時報の梵鐘「ボーン」が聞こえる。
今朝はこの流れの中で「坊守様が撞かれている」、
心なしか老師よりは弱い音。
禅堂の正面には見慣れた「大きな涅槃図」が設えられています。
足へのマッサージは坐禅の準備体操であったらしい。
足の痛さ(今は感じないくらいの練習)を全然感じない、
血行をよくしてから座に就くのは長時間座るコツかもしれません。
さて、ここから座中のお話は始まる、
「正しい姿勢・呼吸のしかた、そして心、意識の置き場所」など
基本の基の語りが続く。
天地陰陽、宇宙のすべての生き物はすべて平等を「釈迦太子」
がお教えくださった、すべての生きとし生けるものたち
が悲しむ図は、釈迦様入滅を悲しんだのでしょう、
坐禅をする理由は、こうした思想を心得、
仏の教えに近づく手段、として日常に活用できることのためです。
ここで始めて小鐘3つ、これからが正式坐禅スタート。
年初のせいか?全員に「警策」をいただいた。
すでにこの作法も心得ている。
今日の警策は直堂(老師)が励ましのため下さったもの。
自分から進んでいただく警策もある
その後、無言の一炷(ちゅう)40分。
禅堂入りの
6時は真っ暗であった空も開け、外は3月中旬のすがしさを感ずる。
この時期、寺院の各種行事の自粛が進む中、
参禅者は、壁やふすまに向かい座るため
中止されなかったのは老師のお心遣い。
予備運動で足の痛さもなく、楽しんで座れた坐禅会でした。
坐後の「お菓子・お茶の接待を頂き」、
来月の参加を楽しみに、禅堂を後にしました。