
父の徴兵検査は甲種合格なのに赤紙が来ず、周囲の人を送るばかりで肩身の狭い思いをした、と母から何度か聞かされた。
だが、父は広島に原爆が投下された日、公務で広島に入り被曝。その症状に苦しんだ。広島で目にした惨状に比べればと思ったのか、出征しなかった負い目もあったのだろう、父は1度も被曝を嘆くことはなかった。
被曝から21年目の夏、父は50代半ばで急逝した。出征しなかったことで苦悩した父。それを、もう1つの戦争体験として伝えたいと願っていたが、叶わなかった。
2007年8月11日 毎日新聞 「はがき随筆」掲載