
「親鸞」と号するまで、僧として修行する彼は範宴から綽空、そして善信という称をいただいていた。越後へ流刑になるとき初めて「親鸞という変わった号を名のりたい」と法然上人へ身のちぢむ思いを感じながら善心は言った。
そのとき法然上人は遠流が決まり僧の身分は剥奪され「藤井元彦」という名前を役所から与えられていた。「なに、親鸞、か。ふーむ」とつぶやいてうなずき、続けて次のように話した。
「その志や賞すべし。念仏往生の教えは、遠く大乗の道に進んだ天竺の世親(せしん)菩薩と、浄土の思想を極めた曇鸞(どんらん)大師の願いにつきる」とその意を解し「この法然をも越えてさらに遠くへ旅立とうとしているのじゃな」
親鸞という号はどこで始まりその意味するところはなんだろう、読み始めたひとつにはそんな単純な興味もあった。読んでしまえば「そうか」というこにしかならない。深くは世親菩薩と曇鸞大師にいたる必要があるのだろう。
昨年の㋈に始まった五木寛之の新聞連載小説「親鸞」はちょうど1年354回で終了した。と言っても親鸞が流人として最も重い遠流で妻・恵信のふるさと越後へ旅立つとこまで、「いつか続編を書く」と作者は話している。
切抜きを我流で製本した「親鸞本」は4冊になった。重ねてみるとそれなりに嵩張るが、嵩以上に重さを感じるのは独りよがりだろうか。
(写真:いつでも読み直せる親鸞本)