30年前の今日のあけがた、阪神淡路大地震が発生した。その時刻、今朝は朝刊から目を離し静かに黙祷した。高校の級友が一人帰らぬ人になった。靴のまち長田区をクラスの数人が代表して見舞った。直属上司の母がマンションの傾きで一時閉じ込められたが救出されほっとした。
神戸の街は40数年前1度だけ歩いたが、以後は出張などで新幹線の車窓から見るだけになっていた。地震による新幹線不通で航空機から街をみた。屋根にブルーシートが貼られた家々を見て被災地の広さに驚いた記憶が残っている。被災者の努力と各方面からの支援の力で復興した神戸の街の姿を映像で見ると、震災を思わせる形は見えない。震源から約400㌔離れた当市では進度3か4だった。
地震が起きたとき、私はいつものように出勤準備をしていた。大きな揺れに「倒壊」が頭をよぎった。というのは、終の棲み処の棟上げからそれほど日にちが過ぎていない。自転車で建築現場へ急いだ。夜が明けきらない時間だったが、外見で異常の無いことにほっとした。建築メーカーも異状なしを確認したと連絡が入った。
発災直後のNHKのTV放送を見ながら、映像に写る神戸の街の様子と、東京のスタジオからの放送内容に大きなギャップがあった。通信手段が途絶えていることから起きた現象だった。今なら多くの手段があり、爾後への対応は早める。日ごろの訓練とチェックを関係者にはお願いする。
(今日の575) 竹筒にともす灯に涙みる