20歳を少し超えたころ所要で上京した。それは初めてのことで緊張しながら訪問先のドアを開ける。そこで出迎えてくれたのは同郷で顔見知りの人、一気に緊張がほぐれしばらく話が弾んだ。その内容はたわいないことだったのだろう全く記憶していない。残っているのは東京人の「何を話しているのかわからない」という厳しい一言。緊張のほぐれから「岩国弁」丸出しの会話だった。
方言、辞書によると、さらに辞書を開かなければ私には理解できな説明文が載っている。ピタリと響くのは「ある地方だけで使用される語、土地のなまりことば」という説明。俚言葉(さとびことば)といって「いなかことば」ともある。地方独特の言葉だろう。
バスが山道を登る。左は棚田、といっても刈り取り前の稲穂はその半分ほどで、残りは雑草が茂っている。ふと「ことしゃあ豊作かいねえ、栗が、もぶれついとる」と反対側の座席の人が声をあげる。みんな一斉にその方を向く。大きな栗の木に青いイガの外皮が見える。あのまま熟れたら豊作だろう、素人にも分かる。
「もぶれついとる、そんな言葉を孫の前で使いんさんなよ」と、ちょっと注意ポイ声に「家じゃあ方言丸出しじゃけえ」と初めの人。お孫さんの反応は解らないが、使い慣れた言葉は思いを正直に伝えることが出来る。もぶれついとる、実がどんなについているか私にはすぐ分かった。
夏に子どもがくっついてくると「暑苦しいけえもぶれつかんといて」、そんな昔の言葉をを思い出しながら「もぶれついとる」を聞いた。今頃はクーラーや扇風機などでこうした会話は消えた。「もぶれる」はひっつく、まみれる、まとわりつく、そんな意味合いに使うと思う。近所の柿の木にも「もぶれついとる」実に色がつきはじめた。豊作になれ。
転勤で飛ばされた先で 岩国弁を使うと
事務所の中が 岩国弁になる と 友人に指摘された
「ひよる=風で飛ばされる」「せど=建物の裏」など
しかし 明治維新以降 誰でも苗字が使えたり
時の大臣に山口県人が多かったせいか
山口弁は 標準語の基礎になったので 不便はしない
今は お隣の広島弁が混じり
悪態をつく時は自然に口から出てきます(爆笑)
大都市集中化の崩壊はじめでは、そんな気がしています。
NHK山口も方言のいろいろを放送しているようです。元気になる方言はうれしいです。