日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

切手の消印から

2020年02月09日 | 生活・ニュース

 写真右側の消印(Aさんから)は2月6日の12~18時、左側の消印(B社から)は2月7日の12~18時、Aさんと同じ居住区のわが家へ届いたのは両方とも2月8日の15時ころ。切手の消印日付を見ていて面白いことに気づいた。Aは居住区内のポストに投函。Bはわが家から90キロ近く離れている山口市でAより1日遅れの投函、それが同時に届いた。

 Bの届いた状況から推測すればAは1日早く届くのが当たり前ではと、苦笑しながら見比べる。日本郵便(株)も民営化するとき「サービスが低下することはない」という宣言だったが、その通りに運んでいない。一例だが、郵便の収集配達していた局が業務の合理化とかで、その業務を他局と統合され配達時間が半日あまり遅くなった。ほかにも不便が生じている。

 配達は仕事と言わず、HPでは「サービス」となっている。サービスと言えば奉仕とか客の便利を図ることに使う。配達は仕事と思っていたが仕事ではなくサービス、だから、しなければならない、ことではないことになるのだろう。サービス精神では郵便を投函した人の委託を真摯に遂行する姿勢が欠ける社員が存在するかもしれない。

 60年以上昔の話し。高校時代3年間、夏と冬の繁忙期に郵便配達のアルバイトをした。赤色の自転車が唯一の動く乗り物、鞄や籠を荷台に乗せて走り回った。日給300円、それでも当時では高額バイトだった。今なら20分ほどの金額しかない。ささいな切手の消印からあれこれ思いつくのは、毎日サンデーのせいだろうか。 
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困ったものだ

2020年02月08日 | 社会 政治

 世界で新型コロナウイルスが猛威を振るっている。原因は発生国たる中国の初歩対応の遅れが拡散に至ったと指摘されている。日に日に広がり歯止めの時は分からず、いつま、どこまで広がるのか、報道を見ながら早く終息することを願っている。クルーズ船内の厳しい状況下にある人らの声も届いてくるが、今しばらく辛抱して欲しい、そう願うしかない。

 新型肺炎罹患対策としてマスク着用が伝わると、あらゆる店頭からマスクが消えた。すると、通販市場に何倍もの高値で売りが出るという報道を見て、人間性を疑う思いをしたのは私だけではないと思う。先日、マスク買い占めを見た薬店、マスクの置かれていた場所にのど飴が並んでいた。笑うに笑えない世相にあきれる。

 マスクだけではない。ポリスメールによると「新型肺炎」を種にした「Emotet(エモテット)」の攻撃メールが送られてくるという。このメールは、非常に悪質という。正規のメールへの返信を装う手口が使われていることが多く注意を呼び掛けている。ほかにもフィッシングやショッピングに関する手口のメールも出回っていると広報され、十分に確認して開くように促している。

 何か混乱が起き困る人が発生すると、いつも善良な人を騙す手口がいくつも現れ、それらが一気に広まる。頭の回転が速く行動も素早い騙しをする人、その知恵と行動を騙しに使わず、援助・救助の方に回らないのかといつも思う。交通通信の発達で世界は狭くなったが、こうした伝染も最新科学に対抗するように強くなった気がする。世界の英知を集め早い終息を願う。
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Not Found

2020年02月07日 | 生活・ニュース

 Webサイトでリクエストした相手が見つからないと「お探しのページは見つかりません」とか「Not Found」というメッセージが表示される。初めのころはアドレスの入力間違いかと再入力を試みたこともある。原因はリクエスト先が存在しなくなっていることが原因だった。

 ブログやフェイスブックを毎日訪問していると、ある日、予告なしに「応答なし」が表示されて、どうされた、どうしたと気に留めるが確認の方法はない。それなりの緊急事態か発生したのだろうと勝手に決めている。こちらからの一方的ではあるが長い交流(訪問)に終止符を打つことになる。届かないが感謝の気持ちを心に刻む。

 「いつか終わるんだ」という予測していたホームページでも、いざ「Not Found」が現実に表示されると「寂しい」と感じる。それが思い入れの強いサイトであれば他のサイトよりその思いは強い。HP管理者にお礼を申し上げて訪問を終える。

 ブログを閉じるときは短い一文で知らせるのが良い、終活のメモにはぜひそのことを加えてという記事を見た。万一の時、終わったことを報せてもらえるように必要事項を書き残せとある。10数年間、多くの人のサイトを訪問したが2人のブログにそうした記述があった。一人は息子さんが父の死と交誼に感謝する言葉を書かれブログを閉じるとあった。もう一人は、「祖母の視力が落ちて長い休みに入ります」と同居の孫が手伝っていた。その方々の人柄が浮かぶ。私も息子へ申し送ろう。
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暖かい重ね着

2020年02月06日 | 自然 季節

  30数年前に亡くなった義母が冬になると6枚7枚と重ね着をしていた。今は暖かい衣料品が手軽に求められ、サッシ窓で隙間風は入らず、暖房も備わり、重ね着も昔ほどではないかもしれないが、義母の享年に並ぶと重ね着の必要なことを実感するようになった、そんな短い文を読んだ。私の母も重ね着をしていた。

 寒くても子どもらはいつもの時間にいつもの様に元気に登校していく。男女ともに奨励服を着ているが、男子児童の半数位は半ズボンに短い靴下、さすがに上着は長袖を着ている。女子児童はスカートがほとんど、長い靴下を履いているが、男女ともに見た目、温かそうには思えないが、それは年よりの思い、児童らは語り合いながら元気に角を曲がって行く。

 今日のアメダス測定の最低気温はマイナス1.1度、最高は昼少し前の7.3度、湿度も低く寒い一日だった。乾燥注意報発令に続いて「空気が非常に乾燥し、火災が発生しやすい気象状況です。火の取り扱いに十分注意しれくださ」という火災気象通報が下関地方気象台から発表された。わが家の車庫に下げているアルコール寒暖計は7時半にマイナス1度を示していた。昨日の朝は0度、今冬初の冬らしさを感じる。

 私にも重ね着の経験がある。30代後半まで化学プラントの運転に携わった。この間の3年ほどフィルドマンをして計器室外の作業担当だった。冬季の20㍍もあるストラクチャーの上はとにかく寒くて冷たい。防寒着の下は厚着、靴下は2枚履いていた。作業があるので手袋はそういう訳にいかない。進歩したITやAI下でも20㍍までのぼっているのだろうか。
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一人では渡れない

2020年02月05日 | 地域

 「自治会を脱退する」「転居や新築で移ってきても自治会に入らない」という人が多くなった、雑談をしている中で或る地区の自治会役員の人から話が出た。この話はよく耳にするが実際に接したことがないので具体的には知らない。話しによると、若い人の家庭にその傾向が多いという。スマホで済むから回覧板はいらない、自治会の役員や世話をしたくない、高齢の者にはよく分からないと笑う。

 自治会は任意団体ではることは認め、そのうえで話をするという。自治会員でなければ自治会の管理するゴミ集積場は利用できない、地域の行事に参加困難になる、児童らの登下校の安全見守りをどう思うか、など地域との協同・親睦を話すという。「ああいいですよ」とにべもない答えもあるらしい。そんな現状を聞くと思い当たることがある。

 今は大きな問題になる「村八分」の話し。地域全部が申し合わせその家と付き合わない、仲間外れにすること。では残り二分は何か、「八分でも火事と葬式は助ける」ということと聞いている。今は社会構造が変わりそんな手伝は無くても事は進むというだろう。そこまで割り切れないのが、これまで助け助けられた経験が邪魔をする。自治会には入らないが近所とはおつき合いする人もあるだろう。

 地域とのつながりがやっかい、気が重い、めんどくさい、こんな気持ちからでは親しい日常の交わりは難しい。いろいろあるだろうが、なぜ敬遠される自治会なのか、それを考えてみるのも入会減対策のひとつでは、雑談はそんなところで終わった。若い人が入会しないと運営は難しくなる。敬遠される自治会を見つめなおす、いいことと思う。
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鯨肉給食

2020年02月04日 | 回想

 昼食には少し早いかなと思う時間、近くの小学校の傍を通りかかった。風の向きなのか何とも良いにおいがしてくる。それもそのはず、ブロック塀超しに給食室が見える。そこでは白い割烹着を着た人をよく見かけるし、食材の空き箱が積まれているので給食室と思いこんでいる。そういえば今朝の新聞に「給食に鯨肉」の記事が載っていた。

 太平洋戦争が終わって2年目、教育改革初年度の1947(昭和22)年4月に市立と呼称が変わった小学校へ入学した。教科書が「カタカナからひらかな」に変わった。といっても、全教科揃っているわけではなく、記憶には「こくご」くらいしかない。思えば、戦後の混乱が続き町には進駐軍のジープや青い目で背の高い兵隊を見かけていた。

 2年になってからと思う、何と呼んだか覚えていないが「ジュースと粉乳」を日替わりで出され教室で飲むようになった。味は記憶していないが何もない時代のこと、駐留軍からの支給品だろうが喜んで飲んだ。学年が進むにつれ給食内容が充実し、満足満腹するようになった。底が平らで柔らかいコッペパンやメロンパンは大人気だった。それにクジラ肉、鯨肉も大人気だった。

 「大きいものを食べると縁起がいい」という節分の風習にちなみ、昨日の給食に鯨肉が出されたと記事。竜田揚げが人気というが、時代は変わってもこれは変わっていないようだ。日本は商業捕鯨が復活したので、これからは給食の蛋白源となるのだろうか。国外は日本食ブームという。日本の食文化を世界に広めるために和食に鯨肉使用はいかがだろうか。
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山あいの霧

2020年02月03日 | 回想
 
 雨上がり近くなると山あいから霧が昇り始めるのを見ると思い出すことがある。それは小学何年のころだったろうか。近くの小川の上流はどうなっているの、そんなことを思い一人で、小川の中を歩き山裾から谷の上流へ向かった。いま思えば無謀なことで、見つかれば厳しい叱責を受けるだろう。その頃は山や小川、畑など身近な広場は全部が遊び場だった。砂防ダムを越えさらに進んだが、谷の両側から垂れ下がる枝や雑草に阻まれ引返した。

 源流の湧き出る澄んだ、そして神秘的な水の映像を見ながら、もしかしてそんな場所を見たい、そう思ったのかもしれないと昔の愚行に意味を見出すような思いをする。愚行ではあるが、本当に小川の源が見たいと思った。市を潤す錦川の上流に行くと「ここが源流」という大きな観光用の標識が建っている。私の愚行は子ども心だった、と思う。

 「水を制する者は国を制する」、戦国時代の武将に必要な一つの要件だったという。関ヶ原の戦いが終わって岩国入りした吉川広家は防衛を考えた城下を作る策の一つとして、錦川の多田付近から下流の流れを人為的に複数回変えたとある。どのような手立てでなされたのか知りたい。

 山あいの小さな谷間を流れるわずかな水が幾筋も集まり本流となる。源流を見ようと試みた谷川もそんな一つで小川となって錦川に通じる。小川には重要な役目があった。途中に広がる稲田の水源として足踏み水車が何台も並んでいた。50年くらい前になるが、幹線道路新設で田園風景は消え、広い商業地にかわった。そんな道路から見上げる山並みに、愚行を試みた山あいが見える。見渡して変わらないのは霧が立ち昇る風景だけになった。
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細い道の景色

2020年02月02日 | 地域

 たまに、バス通りから細い脇道へ入る。迷路とまではいかないがそれに似たような路を歩く。場所によっては軽自動車も通れない公道か私道か迷うところもある。それだけに曲がり角も多い。そこを左右どちらに進むかは気の向くままに曲がる。そんな奥まった細い道だが一応アスファルト舗装されている。

 なんでそんな道を歩くかと問われそうだが、時間はたっぷりあり、車も通らず、老化防止の散歩には安心して歩ける。そんな場所でも変化は多々ある。出会えば会話した事のある人の家が突然更地になり、除草シートで覆われている。あるいは、畑の作物が収穫されず放置されている畑にも出会う。雑草が茂った畑の中に、錆た手押しポンプが立っている。活躍した栄光の時を偲ぶ。

 暗い話ばかりではない。この地域は市内でも人気の小中学校の校区で、個人や建売の新築現場をよく見かける。どれもモダンな造りで、地域の風景が一変するのはそう遠くないのではないか、どんな町になるのか、そんなことを思いながら見て通る。

 表通りからは見えないが、荒神様の小さな社がある。鳥居はコンクリート製だがそれに取り付けられた注連縄や御幣は太く大きく立派で、毎年秋に祭礼がある。境内はいつも掃除の跡が伺え、地域の人の繋がりを感じ、そばを通るときは頭を下げて通り過ぎている。しかし、荒神様のすぐ傍まで新しい町の装いが迫っている。地域の守り神様にも、残るか移転か、いつかそんな難題が起きそうな気がしている。
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素直だから

2020年02月01日 | ウオーキング 散歩

 女の子とお母さんが上空を指さして話している。何だろう、鳥かな飛行機かなと指さす方向を見るが、私には特別変わったものは見えない。「何か見えますか」と訊ねた。すると「子どもクジラが乳を飲んでいるそうです」と母親が答える。言われて向こうの空を見ると、横に長い楕円形の白い雲は親クジラ、白い雲の下に吸い付くような灰色の小さな雲は子どもクジラに見える。

 言われてみれば、確かに映像で見覚えのあるクジラの授乳シーンに似ている。急いで撮ったが、間もなく子どもクジラは形が変わりそして消えた。子どもの発見した天体ショーは終わった。いやいや、子どもの観察力、ひらめき、思いつき、その鋭さにただただ感心するしかなかった。
 
 健康のために散歩と言いながら、何か珍しいこと、面白いことがあればブログに書けるのだが、そんな「二兎を追う者は一兎をも得ず」の諺に似た散歩では収穫がない。雲がクジラの授乳に見える素直な気持ちでないと、例え発見を書いても自慢めいた内容になるだろう。エッセイ例会で「自慢話は控えめに」と教わる。

 小中高生が創作した詩、作文を対象にした「鈴木三重吉賞」がある。児童文芸誌「赤い鳥」の鈴木と言えばよく知られている。賞となった作品の読後感は「素直」な気持で感じたままを作品として展開してある。大きな白い雲と小さな雲、それを見ただけで海中の様子を天空に見出すなど、素直な子ども目線と感性だろうか、ただただ驚く。
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